1. 「レム」のタイトルが示す「レクイエム」とは何か?
「レム」というタイトルは、一般的に睡眠の「REM(Rapid Eye Movement)」を連想させますが、BUMP OF CHICKENの藤原基央は、インタビューにおいて「レクイエム(Requiem)」の略だと語っています。これは、死者を悼む鎮魂歌という意味であり、曲全体を貫くテーマの核とも言えるでしょう。
歌詞を読み解くと、「誰かに対する後悔」や「過ちを認める痛み」といった感情が根底に流れています。つまり、この曲は死者に対する謝罪や告白ではなく、生きている誰かに届くべき「後悔の歌」なのです。タイトルの「レクイエム」には、失ったものへの想いだけでなく、失わせた自分自身への問いかけも含まれていると解釈できます。
2. 歌詞に込められた「愛」と「その逆」の境界線
「レム」の歌詞には、強烈な言葉と繊細な想いが交錯しています。その中でも印象的なのは、「愛だと思っていたものが実はその逆だった」という気づきを描写している点です。
藤原基央がインタビューで語っていた「愛だと思っていたことが、もしかしたらただの自己満足だったかもしれない」という発言は、この楽曲の核心を突いています。誰かを守りたいという思いが、いつの間にかその人を傷つけていた――。その境界線を見極めることの難しさが、「レム」の中では切実に描かれています。
この問いは、リスナー自身の過去の行動や選択にも向けられます。だからこそ、「レム」は単なるラブソングでもなく、単なる懺悔の歌でもありません。人間関係における「感情の不確かさ」に真正面から向き合った、哲学的な作品だといえるでしょう。
3. 「レム」における社会批判と自己防衛のテーマ
「レム」には、匿名性の高い現代社会の風潮に対する強い疑問や批判が込められていると読むことも可能です。例えば、歌詞中に登場する「君」という存在は、具体的な誰かではなく、”他者”そのものを象徴しているとも解釈できます。
現代では、インターネットを通じて他人を簡単に傷つけることができる一方、自分の正義を主張し続ける姿勢が美徳とされる風潮もあります。そんな社会の中で、自分が「正しい」と信じた行動が、実は誰かにとっての暴力だったかもしれないという視点は、非常に鋭い問題提起です。
「レム」の中で描かれる葛藤は、他者と共存するために「本当に必要なものは何か」を考えさせます。それは、自分の正義を押し付けるのではなく、相手の痛みを想像する力かもしれません。
4. 「レム」の制作背景とライブ演奏の有無
「レム」は、藤原基央が自身の部屋で書き下ろしたというエピソードが知られています。BUMP OF CHICKENの楽曲の中でも、特に個人的で内省的な雰囲気が強いのは、この背景によるものかもしれません。
長らくライブでの披露がなかったこの曲ですが、2024年9月7日に初めてライブ演奏されたことで、ファンの間で再評価が高まりました。実際に演奏されたことで、歌詞やメロディに宿る「魂」がより生々しく感じられたという声も多く見られます。
ライブ演奏を通じて、「レム」の持つメッセージ性や情感がさらに深く広がっていくのは間違いありません。スタジオ音源では捉えきれない「歌の重み」が、ライブで初めて明らかになるのです。
5. 「レム」が特定の人物へのメッセージである可能性
一部のファンの間では、「レム」が特定の人物――特に同世代バンドであるART-SCHOOLの木下理樹氏に向けられた曲ではないかという説が囁かれています。この説の根拠として、過去に木下氏がBUMP OF CHICKENに対して批判的な発言をしたことや、歌詞中の「君」が特定の敵意を持った相手のように読める点が挙げられます。
ただし、このような憶測に対して藤原基央が明言することはなく、あくまでリスナーの自由な解釈に委ねられています。しかし、仮にこの仮説が真実だったとしても、「レム」が内包するテーマは個人間の対立にとどまりません。
それはむしろ、「人と人とのわかり合えなさ」や「相手の視点に立つことの難しさ」といった、普遍的な問題を描いているのです。