【窓の中から/BUMP OF CHICKEN】歌詞の意味を考察、解釈する。

18歳世代に向けて作られた「窓の中から」

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)が2023年4月5日に28枚目となるシングル「SOUVENIR」をリリースした。

表題曲「SOUVENIR」やカップリングの「クロノスタシス」は既に配信で発表された楽曲で、三曲目の「窓の中から」のみが未発表の新曲となる。

この「窓の中から」は同年3月31日にNHK総合で放送された『BUMP OF CHICKEN 18祭(フェス)』のために書き下ろされた楽曲であり、放送内では1000人の17歳~19歳男女がコーラス、パーカッション、ブラスでこの「窓の中から」をBUMP OF CHICKENと共に歌唱演奏する様子が放送された。

「18祭」はNHKが2016年から毎年行っているイベント及び番組で、現在までにONE OK ROCK、WANIMA、RADWIMPS、[Alexandros]、あいみょんがそれぞれの「18祭」を開催している。

番組のコンセプトとしては「17歳~19歳」の男女を「18歳世代」とし、応募された動画作品の中から1000人を選考して各アーティストが制作した楽曲に参加する、というもので、参加パートはコーラスを中心にブラス、パーカッション、ダンスなどがある。
各アーティストは送られてきた動画作品を元に楽曲を制作し、選考に通過した18歳世代はあらかじめ送られてきたデモ楽曲を聴いて練習し、一度限りの本番撮影に備える、といったものである。

果たして、BUMP OF CHICKENは18歳世代に向けてどういう世界を展開したのか、今回はこの「窓の中から」を考察してみたい。

「窓」は一人ひとりの世界

ハロー ここにいるよ 生まれた時から ここまでずっと

同じ命を削り 火に焚べながら生きてきた

瞼の裏の 誰も知らない 銀河に浮かぶ

すごく小さな窓の中から 世界を見て生きてきた ここにいるよ

BUMP OF CHICKENのメインソングライターである藤原基央は、送られてきた動画を元に楽曲を制作した。

動画はパソコンか、あるいはパソコンをミラーリングしたディスプレイか、いずれにせよ何かしらのモニターで確認されただろう。

藤原基央はそのモニターを「窓」になぞらえたのではないだろうか。

折しも新型コロナウィルスが未だ収束せず、「コロナ禍」は既に三年以上にもなった。
その中で生まれた新たな文化に「テレワーク」や「リモート」といったものがある。

音声通話機能を備えた、昔で言えばテレビ電話だろうか。
画面越しにリアルタイムで打ち合わせや会議、ミーティングができる。
あるいは友達と、恋人とコミュニケーションが取れる。
「窓の中から」というのはコロナ禍において分断された関係性を繋ぎ止めるモニター上でのコミュニケーションを指しているのではないだろうか。

また、過去に発表された「プラネタリウム」や「Title of mine」「ロストマン」といった、BUMP OF CHICKENのメインテーマの一つでもあるであろう「孤独な状態から見た外の世界」を暗示しているとも取れる。
思春期やモラトリアムから抜け出る前の、大人と子供の間にある18歳という年齢。
今から自分が踏み出す世界は、「窓の中から」見る景色はどういう世界だろうか、このはじまりの一節にはそんな想いが込められている。

誰もが抱える孤独と断絶

ああ ここにいるよ 少し似た色の 知らない光

同じように生きる灯に 手を振っても 分からないかな

ハロー 遠い隣人 あまりに巨大な 銀河で出会う

こんな小さな窓の中にも 届いたあなたの灯 ここにいるよ

藤原基央は音楽家を志し、高校を中退してアルバイトをしながら一人孤独に歌を作り続けた。
自分のやっていることが正しいのか、誰も教えてはくれない。
本音を言えば繋がりが欲しい。
わかり合い、共有し、心置きなく話せる相手が欲しい。

たとえ藤原基央のようにドロップアウトしなくとも、普通に小学校、中学校、高校、そして大学と歩みを進める人たちでも、「孤独」はある。
誰にでもある。
そしてその「孤独」はコロナ禍となった現在、より強くなった。
顔を合わせる機会を奪われた人々にとって、スマホやパソコンで会う仲間や出会いは何よりも大切な「灯り」なのだと思う。
インターネットという、「あまりに巨大な銀河」の発達により世界は身近になった。
世界の果てにいる人とでも、回線さえ繋がればすぐに「小さな窓」を通して会うことができる。
だがそれは同時に、「誰とでも繋がりあえるわけではない」ことをも証明している。
インターネットの発達は、言語も違えば世界観も、価値観も違う、「わかり合えない人たち」が世界には何億人といる、という残酷な事実を突きつけることにもなったのではないかと思う。

以前にこんな歌があった。
孤独を表現した一節としてわかりやすかったので心に残っているのだが、アニメ「幽遊白書」の主題歌である「微笑みの爆弾」の一節だ。

都会の人ごみ 肩がぶつかって ひとりぼっち

果てない草原 風がビュビュンと ひとりぼっち

どっちだろう 泣きたくなる場所は

2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ

―馬渡松子「微笑みの爆弾」

周りにたくさんの人がいても、一人ぼっちでも、孤独はある。
むしろ、「そこにいるのに関わりを持てない」という事実の方がより強く孤独を感じるのではないだろうか。

藤原基央は参加した18歳世代を、そして惜しくも選考に漏れた者たちを、「少し似た色の知らない光」や「同じように生きる灯」と表現したのではないだろうか。

それぞれが抱える戦い

綺麗事のような希望を いつもそばにいた絶望を

他の誰とも分かち合えない全てで 喉を震わせろ 自分の唄

グーの奥にしまった本当を 鏡からの悲鳴に応答を

同じように一人で歌う誰かと ほんの一瞬だけだろうと 今 重ねた声

BUMP OF CHICKENには「孤独な戦い」を物語る歌が多くある。

馴れ合いの優しさではなく、拳を握りしめて立ち向かうべき困難と戦う事を、藤原基央はデビューから一貫して歌い続けてきた。
その根底にあるのは「音楽という道を選んだ自分自身との戦い」である。
ファーストアルバム「FLAME VEIN」に収録されている「バトルクライ」は最初期の作品で、まさに藤原基央の決意表明とも言える戦いの歌だし、セカンドアルバム「THE LIVING DEAD」に収録されている「グングニル」や「グロリアスレボリューション」は「音楽という馬鹿げた道を選んだ愚か者」を自分に置き換えて力強く歌う、笑う奴らや馬鹿にする奴らに対する挑戦状でもある。

作品を重ねていくに連れ、初期のような刺々しい感情の戦いの歌は徐々に少なくなるものの、「sailing day」や「ファイター」といった楽曲は「自分自身を奮い立たせる」というよりは「同じような思いを抱える他の誰か」のための戦いの歌と言えるだろう。
悔しい時、負けそうな時、BUMP OF CHICKENの戦いの歌はそんな時にほんの少しだけ背中を押してくれる。
興味深いのはその「戦い」が「他の誰とも分かち合えない」その人だけのもの、という表現をするところである。
他の誰かと団結してみんなで解決するものではなく、「一人で孤独に戦う、あなただけの戦い」が確かにあるということを藤原基央は歌っている。
そして、それぞれが抱える戦いを「少し似た色の知らない光」が集まる、1000人の18歳世代が集まるこの場所で喉を震わせて歌え、と藤原基央は鼓舞する。
普段は押し殺すその声を、この場所で思う存分「喉を震わせて」歌え、他のみんなも「同じように一人で」歌っている、という一節はこの楽曲を最も象徴する一節ではないだろうか。

この楽曲を聴くのであれば、是非YouTubeにアップされている「18祭」の映像を見てほしい。

何を考えているのかわからない、理解できない価値観を持つと言われる「Z世代」の若者たちがそれぞれの戦いを抱え、思い思いに叫び、声高に歌う。

その姿は、あまりにも美しい。