【天体観測/BUMP OF CHICKEN】歌詞の意味を考察、解釈する。

一つの物語であると同時に、藤原基央の内面を描いた作品

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)が大きく飛躍するきっかけとなった楽曲が「天体観測」である。

「FLAME VEIN」「THE LIVING DEAD」の二枚のアルバムをインディーズで発表し、シングル「ダイヤモンド」でメジャーデビューを果たしたBUMP OF CHICKEN。
続いて発表されたのがシングル「天体観測」である。
リリース日は2001年3月14日。
発表から既に20年以上も経過しているが、未だにこの楽曲を評価する声は高く、様々なタイアップに起用され続けている楽曲である。
また、色々なアレンジを施したカバーとして他歌手に歌われることも多い、「BUMP OF CHICKENの代表曲」と言って差し支えのない曲である。

なぜこの楽曲の評価が高いのか、それを検証するのはいささか野暮ではあるが、一つにはBUMP OF CHICKENの王道作風とも言える「物語の構築」がある。
同じく一つの物語として根強い人気を持つ「K」や「グングニル」、または後に発表される「車輪の唄」「ダンデライオン」といった楽曲と同じように、この「天体観測」にもストーリーがある。

今回はこの「天体観測」の歌詞を紐解いて考察してみたい。

荒波に揉まれるBUMP OF CHICKENの意思表明

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった

ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た

始めようか 天体観測 ほうき星を探して

深い闇に飲まれないように 精一杯だった

君の震える手を 握ろうとした あの日は

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ

静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった

「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた

気が付けばいつだって ひたすら何か探している

幸せの定義とか 哀しみの置き場とか

生まれたら死ぬまで ずっと探している

さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

今まで見つけたモノは 全部覚えている

君の震える手を 握れなかった痛みも

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ

暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ

そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている

「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった

宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ

ただひとつ 今も思い出すよ

予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな

君の震える手を 握れなかった あの日を

見えてるモノを見落として 望遠鏡をまた担いで

静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた

そうして知った痛みが 未だに僕を支えている

「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで

前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ

始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも

「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている

インタビューによると、この楽曲は「客観的な内面の発露」であると言う。

「ツアーを回ったこととか、メジャーという土俵に立ったこととか、その頃の状況と密着しながら描いたので、その頃の心境も反映していると思う」と発言している通り、特に作家である藤原基央の内面がこの楽曲には見え隠れしている。

「深い闇に飲まれないように精一杯だった」というフレーズは、メジャーデビューにあたって制作された前作「ダイヤモンド」でも見られた「環境の変化に対する戸惑いと意思表明」が見られる。

ひとつだけ ひとつだけ

その腕でギュッと抱えて離すな

世の中にひとつだけ かけがえのない生きてる自分

弱い部分 強い部分 その実 両方がかけがえのない自分

誰よりも 何よりも それをまず ギュッと強く抱きしめてくれ

ダイヤモンド

ここで歌われる「ひとつだけ」とは何を指すのか、その答えはメンバーである直井由文がインタビューで語っている。

一番最初の『ガラスのブルース』という曲から「人に伝えたい」という気持ちがすごくでかい。
4人だけで音楽やって楽しければそれで人生もすごく楽しめると思うが、僕らの場合は生まれてきた曲は人に届けるために生まれてきたもので、そこだけはずっと変わってない

「明日が僕らを呼んだって返事もロクにしなかった」というのは、周りの環境から押し付けられるようなことを跳ね返し、自分たちの信じる道を行く、というBUMP OF CHICKENの意思表明に思える。

「スノースマイル」「プラネタリウム」につながる物語?

「天体観測」に限らず、BUMP OF CHICKENの楽曲に星が登場することはよくある。
シングル「プラネタリウム」では四畳半の孤独な空間にプラネタリウムを設置するという事が歌われているが、登場人物は「僕」一人だけである。

見えなくても 輝いてて

触れようと 君の名前を呼ぶ

一番眩しい あの星の涙は 僕しか知らない

プラネタリウム

おそらく、藤原基央は星に「孤独」というイメージを抱いているのではないだろうか。
「天体観測」では「僕」がいて、「君」は回想である。
実際に登場するのは「僕」だけである。
「君」はどこへ行ってしまったのだろうか。

「宛名のない手紙」は誰に向けて書かれたものだったのだろうか。
「楽曲の解釈は聴き手に任せる」と藤原基央が発言している通り明確な答えはないが、「君」はあるいは既にこの世にはいないのかもしれない。
「僕」は心に残る「君」の面影を追い続けているのではないだろうか。
また、天体観測に向いている季節は空気の澄んだ冬であり、いなくなった「君」を歌うBUMP OF CHICKENの冬の楽曲に「スノースマイル」がある。

冬が寒くって 本当に良かった

君の冷えた左手を

僕の右ポケットに お招きする為の

この上ない程の 理由になるから

君と出会えて 本当に良かった

同じ季節が巡る

僕の右ポケットに

しまってた思い出は

やっぱりしまって歩くよ

君の居ない道を

スノースマイル

「天体観測」では握れなかった「君」の手を、「スノースマイル」では冬の寒さを理由に繋ぐことが出来る。
そして「プラネタリウム」で名付けた星は「君」の名前である。
この3つの楽曲はあるいは同じ世界の、同じ人物の話なのかもしれない。
もちろん、BUMP OF CHICKENのその他の楽曲にも「同じ僕」は登場するのだろう。
なぜなら、「僕」は楽曲の作り手である藤原基央の内面の発露であるからだ。
もしかしたら、「車輪の唄」で別れた幼い二人が成長した姿が「天体観測」や「スノースマイル」なのかもしれない。
藤原基央が歌を作り続ける限り、「僕」は様々な物語を描き続けるのだと思う。

大きくなりすぎた「天体観測」

藤原基央の描く「僕」の物語は多くのファンを獲得し、BUMP OF CHICKENは一躍トップバンドとして名を馳せた。
しかし、BUMP OF CHICKENが敢えてこの代表とも呼べる「天体観測」を演奏しなかった時期がある。
多くのファンを獲得したこの楽曲ではあるが、聞き手が多ければ多いほど解釈も多くなる。
特に藤原基央の描く孤独な世界はあまりにパーソナルで、救いを求める多くの人々の救済となったのだろう。
その結果、「天体観測」がひとり歩きし、バンドから離れていってしまったのではないだろうか。
あまりに大きくなりすぎた「天体観測」から、BUMP OF CHICKENは暫くの間距離をおいた。
それはBUMP OF CHICKEN=天体観測というイメージを嫌い、他の楽曲にも耳を傾けてほしいというバンドからのメッセージなのではないだろうか。
メンバーは「ちょっと尖ってたから」と演奏しなかった理由を明かすが、その心理はやはり「天体観測という楽曲が大きくなりすぎたから」ではないかと推察する。
藤原基央並びにBUMP OF CHICKENは様々な物語を作り出す。
時には癒やしを、時には痛みを描き出す。
ここまで考察した通り、「天体観測」だけを聴いていては「天体観測」は推し量れない部分があるのだと思う。

是非、「天体観測」を補完する物語として他の楽曲にも耳を傾けてほしい。
そこには、きっとあなただけにしか描けない物語があるはずだ。