【カルマ/BUMP OF CHICKEN】歌詞の意味を考察、解釈する。

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)は、日本を代表するバンドとして高い評価を得ています。

彼らは精力的に音楽活動を行い、ゲームやドラマ、CMのテーマソングも多く手掛けてきたロックバンドです。

その人気は今もなお衰えることを知らず、全国ツアーを行ったり、新曲の制作を行ったりしています。

今回は、彼らの数多くの楽曲の中でも特に代表的な一曲『カルマ』の歌詞の意味を考察してみたいと思います。

ゲームのタイアップ曲

2005年にリリースされたBUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)の楽曲『カルマ』は、シングルとしては『天体観測』に次いで2番目に高いセールスを記録しました。

この曲は、人気RPGゲーム「テイルズオブジアビス」のテーマ曲として採用され、ゲームのキャッチコピーは「生まれた意味を知るRPG」となっています。

「カルマ」という言葉は「業(ゴウ)」を意味し、因果応報や個々の行為を表すものです。

このテーマは、BUMP OF CHICKENのボーカルである藤原さんが長らく探求したかったものであり、ゲーム会社と何度も話し合いを重ね、藤原さんの思い描く内容で楽曲が制作されました。

楽曲はゲームのタイアップ曲である一方で、作品に合わせた曲を作ることではなく、自分たちの気持ちに忠実に作られたとのことです。

最初は主題歌のみの依頼でしたが、「作品全体で楽曲を表現したい」という想いから、サウンドトラック(サントラ)が制作されることになりました。

「テイルズオブジアビス」はアニメ化やリメイクもされており、高い評価を受けているRPGであり、おすすめの作品です。

生まれた意味を知る

『カルマ』という曲は、藤原さんが長らく探求していたテーマを歌ったものであり、その意味は非常に難解です。
この難解なテーマゆえに、藤原さん自身も楽曲の制作を躊躇していたといいますが、『テイルズオブジアビス』のストーリーを見た際に、「ゲームの物語が『カルマ』の歌詞の意味を示す指針になるのではないか」と感じ、楽曲制作に踏み切ったとのことです。

それでは、この『カルマ』の歌詞について考察してみましょう!


ガラス玉ひとつ落とされた
追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに
ひとつだけ残ってる

この曲『カルマ』は、印象的な歌詞「ガラス玉一つ落とされた」というフレーズで始まります。
この歌詞からもわかるように、曲のモチーフは「ビー玉(ガラス玉)落とし」と呼ばれる遊びです。

「ビー玉落とし」は、床に小さな枠を作り、ビー玉を上から落としたり指で弾いたりして、相手のビー玉にうまく命中させることで自分のものにする遊びです。

この楽曲のAメロは、「ビー玉を落としたことで他のビー玉が弾き飛ばされ、一つだけが残る」という状態を表現しています。
人々も同様に、気づかないうちに他人を傷つけたり排除したりしている可能性があります。
それを「ビー玉落とし」の遊びと重ね合わせることで、深い意味が込められています。

次のAメロやBメロでも同じテーマが表現されており、

「心臓が始まったとき いやでも人は場所を取る」

「汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた」

という歌詞があります。
これらは、生まれてきた時点で既に無意識のうちに他人を傷つけている可能性を示しています。

『カルマ』の歌詞は、このように繊細なテーマを巧みに表現しており、深い考察が呼び起こされる楽曲となっています。

必ず僕らは出会うだろう
同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ
いつだって呼んでるから
くたびれた理由が重なって揺れる時
生まれた意味を知る

サビでは、「必ず僕らは出会う」という歌詞が歌われていますが、その出会うものは、果たして何なのでしょうか。

考えられるのは、自分がビー玉をはじき出した行為(=カルマ)との出会いです。

過去に知らず知らずのうちに誰かを傷つけてきた経験に対して、必ずその結果や影響に直面することを歌っているのかもしれません。

生きていく上で、誰しも「なぜ自分たちは生きているのか」という問いに立ち向かう時があります。

そして、「他人の居場所を奪ってまで手に入れたこの場所で、自分がなすべきことは何なのか?」という疑問に突き当たることもあるでしょう。

自分が取ってきた行動を振り返り、他人の居場所を奪ったり排除したりしたことを反省することで、生きる意味を見出そうとする歌詞の意味が浮かび上がります。

「くたびれた理由が重なって揺れるとき、生まれた意味を知る」という歌詞も、ここに重なる考え方かもしれません。

自己や他者との向き合い

2番のAメロも1番と同じく、「知らないうちに他のビー玉をはじき出している」という意味を歌詞で表現しています。

数えた足跡など
気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は
どうやら1と0の間

「数えた足跡」という歌詞は、自分が過去に行ってきた行動を指していると考えられます。

しかし、ここでは「自分が何を成したか」という点よりも、「1と0の間」での意味を強調していると思われます。

「1と0の間」とは、ビー玉が落とされる瞬間のことを指しているのではないでしょうか。

つまり、生命が誕生する瞬間、0から1になる瞬間を意味していると考えられます。

それは「自分がなぜ生まれたのか」という根本的な疑問にもつながるでしょう。

「数えた足跡」とは過去の行動の意味を見つめることでもあるかもしれませんが、特に「1と0の間」での意味を見出すことが重要だと示されているようです。

初めて僕らは出会うだろう
同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで
いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる

「僕ら」という表現が先ほどまで使われていましたが、この部分からは初めて「二人」という表現が登場します。

ここでの「二人」とは、おそらく「いまの自分」と「自分が行った行動(カルマ)」を指しているのでしょう。

「約束が交わされる」という歌詞は、お互いの内なる対話を表現していて、「いまの自分」と「過去の行動」が向き合い、これからの生き方について約束を交わす瞬間を描いているのかもしれません。

この約束が、今後の生きる指針となり、生きる意味を見出すための重要な要素となることを示唆しているようです。
自分自身と過去の自分との対話を通じて、生きる意味や方向性が明確になるというメッセージが込められていると考えられます。

鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを映す為の
汚れた手と手で触り合って
形が解る

先ほど、「僕ら」という表現について、自分とカルマとして解釈できるとお話ししましたが、この「僕ら」は自分と「自分がはじき出した誰か」という解釈もできると考えられます。

具体的な例として、就職活動の場面を挙げることで説明します。
採用試験を受けて「受かった自分」と「受からなかった他の誰か」が初めて出会ったときに、「自分はこの人の分まで頑張るんだ!」という意識が生まれ、約束が交わされる、という風に解釈できるかもしれません。

また、歌詞に登場する「鏡なんだ」という部分は、自分が他の誰かをはじき出しているだけでなく、自分自身も他者にはじき出されているということを示唆しているのではないでしょうか。

はじき出したもの同士(汚れた手と手)が出会った瞬間に、自分が他者をはじき出す存在であり、同時に他者にはじき出される存在でもあることがわかる、と歌われていると考えられます。

忘れないで
いつだって呼んでるから
同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう
沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる
僕らはひとつになる

歌詞によれば、「カルマ」と出会うことや、自分がはじき出した他の誰かと出会うことで、生きる意味を再確認することが示唆されています。

この楽曲では、カルマとはじき出した他者との出会いが、自己の成長と意味を見出すための重要な要素として描かれています。

このような意味深い出会いを通じて、自分自身や他者と向き合い、生きる意味を再考し、成長することが伝えられているようです。

まとめ

この楽曲を制作した藤原さん自身も「難解である」と認識しており、曲に込められたメッセージの解釈は人それぞれだと感じられました。

藤原さんは、「人畜無害になりたい」という夢を抱いていますが、同時に誰にも迷惑をかけず生きることが不可能だと否定しています。

自分の行為(=カルマ)と向き合うことが、音楽で恩返しをするという道に進むきっかけとなった可能性が考えられます。

藤原さんの音楽には、自らの経験や考えが深く反映されており、自己の成長と向き合いながら、音楽を通じて感謝を表現しているのかもしれません。