米津玄師『死神』歌詞の意味を徹底考察|落語モチーフとMVに隠された深層心理

「死神」は落語“死神”をモチーフにした楽曲

米津玄師の「死神」は、江戸落語の演目『死神』を明確にモチーフとして制作された楽曲です。落語の『死神』では、貧乏な男のもとに死神が現れ、人の寿命を操る方法を教えることで金儲けを手助けします。しかし、男は約束を破って死神を裏切り、最終的には自らも死の運命を辿るという物語です。

「死神」の歌詞やMV(ミュージックビデオ)にも、このストーリーが巧みに反映されています。特に「布団の周りを回る」「寿命を示す蝋燭」など、落語独特の象徴や演出が随所に見られます。これにより、単なるカバーやリスペクトに留まらず、米津独自の視点で再構築された作品として評価されています。


1番=男、2番=死神――歌詞の視点転換と構成の巧妙さ

「死神」の歌詞構成は非常に巧妙で、1番は“冴えない男”の視点、2番では“死神”の視点に切り替わる仕組みになっています。1番では、軽薄で情けない男が女性に手を出し、心も体も持て余す様子が描かれています。言葉遣いも荒く、「あんたみたいなやつは~」と、だらしなさをにじませる語り口が印象的です。

2番に入ると一転して、死神が男を裁くような視線で語り始めます。死神のセリフは冷たく、淡々と、時に皮肉を交えて語られるため、聴く者に強い印象を残します。この視点の切り替えは、落語における“登場人物を一人で演じ分ける”という技法とも共鳴しており、まさに語り芸としての完成度を高めています。


呪文「アジャラカモクレン…」の意味と役割

落語『死神』の象徴ともいえる呪文「アジャラカモクレン テケレッツのパー」は、死神を退散させるために唱える言葉です。米津玄師の「死神」でも、この呪文がそのまま登場しており、楽曲のクライマックスやMVの演出において重要な役割を果たします。

呪文自体に明確な意味はなく、音韻の面白さやリズムによる“呪い”や“祓い”の象徴としての効果があります。米津はこの呪文をメロディに乗せることで、視覚・聴覚の両面で強烈な印象を与えています。死神を追い払う儀式的な行為を楽曲で再現し、物語性と幻想性を高めています。


蝋燭の火と寿命――歌詞・MVに込められた象徴性

MVの中で頻繁に登場するのが、蝋燭の火です。これは原作落語でも重要なモチーフであり、人の寿命の長さや尽きる様を示す象徴です。「蝋燭の火が消える=死」を意味し、死神はこの火の管理者として登場します。

米津のMVでは、蝋燭の火を見つめたり、吹き消そうとしたり、時に火を移そうとする描写が見られます。これは、命を売買するような倒錯的な欲望や、抗えぬ運命への抵抗を暗示しています。歌詞にも「俺の命を少しやる」など、命を“モノ”として扱う描写があり、命の軽さと重さが交錯するテーマ性が深く描かれています。


方言と所作で描く米津玄師の表現力とリスペクト

「死神」では、歌詞に徳島の阿波弁「じゃらくれた」(=荒れた、くだらない)や、関西弁「いちびり」(=調子に乗る人)といった方言が登場します。これは、米津玄師の出身地である徳島への敬意や、古典芸能としての落語が持つ地域性を強調する意図も感じられます。

さらに、MVでは米津自身が落語家として新宿末廣亭に登場し、着物を着て扇子や手拭いを使いこなす所作を披露しています。羽織の脱ぎ方や歩き方、微細な動作にまでこだわることで、視覚的にも“語り芸”の世界を構築しています。これは単なるミュージシャンの枠を超えた、総合芸術としての挑戦であり、落語への深いリスペクトを感じさせるポイントです。