米津玄師「vivi」の歌詞を徹底解釈|切ない別れと言葉の限界、隠された意味とは?

「vivi(ビビ)」の語源と意味:「生きている」と“今”を象徴する存在

米津玄師の楽曲「vivi」のタイトルはイタリア語(またはラテン語)で「生きている」という意味を持ちます。楽曲を通じて何度も登場するこの言葉は、現在を生きる儚さや生命そのものを象徴的に表しています。「vivi」という単語そのものに、今を懸命に生きること、過ぎ去っていく時間を惜しむこと、そして刹那的な美しさが込められているのです。

「言葉」にまつわる葛藤:伝えられない思いと言葉の限界

歌詞には「言葉にすると嘘くさくなってしまう」という表現があります。この楽曲は「言葉」というものに対して抱える葛藤や限界を描いています。米津玄師は、伝えたい気持ちがあっても言葉にした瞬間に本質が歪んでしまうという現実を繊細に表現しています。言葉がもたらす誤解や、言葉の無力さに対する切ない感情が見て取れるでしょう。

サビに込められた別れの心象:灰色の街と“ビビ”の儚さ

サビ部分の「明日にはバイバイしなくちゃ」「灰になりそうなまどろむ街をあなたと共に置いていく」というフレーズは、別れを決断した瞬間の切なさを表しています。まどろむ灰色の街という情景は、未来に希望が見えないような虚無感や停滞感を象徴しています。そこから離れ、新しい何かを求めることは「ビビ(生きている)」というタイトルの通り、今を強く意識して前へ進むというテーマを際立たせています。

Cメロで広がる異常事態の風景:災害、戦争、震災などの喩え

楽曲のCメロでは「落ちていく気球と飛ぶカリブー」「街から子供が消えていく」「魚が静かに僕を見る」という不穏な風景が描かれています。この部分は、特に震災(東日本大震災)や戦争、災害など、個人の力ではどうにもできない大きな出来事の象徴として解釈されています。これらの描写を通じて、制御できない状況の中で自分自身の無力さや、人間関係の儚さと向き合う米津玄師の内面的葛藤が色濃く現れています。

最終結論:分かり合えない二人、でもそれが愛の形

楽曲の最後に登場する「さよならだけが僕らの愛だ」というフレーズは、この曲を貫く究極のメッセージです。お互いを理解しきれない、言葉では完全に分かり合えない、それでもその切なさこそが二人の間の愛である、という逆説的な結論に達しています。愛という感情は決して完全に伝えきれるものではなく、むしろ完全に理解し合えないからこそ美しく、切なく、愛おしいのだということが伝えられているのです。

以上のように、「vivi」は、言葉の限界や生きることの儚さ、社会的な出来事と個人の無力さ、さらには不完全な愛の形まで、様々なテーマを織り交ぜた深みのある楽曲です。その複雑で繊細な表現は多くの人々の共感を呼び、深い考察の余地を与えています。