【Lemon/米津玄師】歌詞の意味を考察、解釈する。

米津玄師の代表曲にして珠玉の名曲

この曲を知らない者はいないというぐらいのメガヒットを記録し、紅白歌合戦での熱唱も記憶に新しい名曲の「Lemon(レモン)」。

現在も続く、米津玄師の活躍により、幅広い層に支持され、当人の代表曲と言っても過言ではない今作。

実は、作曲者の身内の「死」によって作詞された深いメッセージ性のある曲であることを知らない方もおられるのではないだろうか。

今回はそんな名実ともに兼ね備えた名曲の歌詞解説を行っていく。

大切な人との離別

夢ならばどれほどよかったでしょう

未だにあなたのことを夢にみる

忘れた物を取りに帰るように

古びた思い出の埃を払う

大切な人を失くした気持ち。
それをまだ受け入れられない。

どうか悪い夢であってくれ。
「埃」はずっと長い年月をかけて溜まるもの。
長くその喪失感を引きずり続け、夢のように毎晩繰り返し思い出してしまう。
そういった喪失感の繰り返しをうまく表現しているフレーズである。

戻らない幸せがあることを

最後にあなたが教えてくれた

言えずに隠してた昏い過去も

あなたがいなきゃ永遠に昏いまま

「死」という誰も逃れられないもの。
その衝撃や傷は簡単に癒えるものではありません。

しかし、実はその「死」こそ、ある意味で救いなのではないか。
最後には必ず亡くなってしまう。
だからこそ、人はその瞬間を大事にして、精一杯相手を尊重して思いやるのである。
永遠に続くのなら、その扱いや価値に重きを置く者などいなくなるからである。
有限であるからこそ、終わりがあるからこそ、その価値に気づけるのである。

きっともうこれ以上 傷つくことなど

ありはしないとわかっている

生物にとって死以上の出来事は存在しません。
特に身近な人間であればあるほど、大事であればあるほど、その喪失におけるダメージは計り知れない。

心に残るサビのフレーズ

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ

そのすべてを愛してた あなたとともに

胸に残り離れない 苦いレモンの匂い

雨が降り止むまでは帰れない

今でもあなたはわたしの光

どんなことがあろうとも、例え一時的な衝突やすれ違い、全てが綺麗な思い出だけではない。
しかし、そんな苦い思い出さえ、終幕の死というものの前では、愛すべき思い出の一つと変わる。

「雨が降り止むまで帰れない」これは「雨」を「涙」のようなニュアンスで表現しており、涙、つまり悲しみが収まるまで、日常の生活には戻れない、そういった意味を表している。

今でもあなたを忘れずにいて、思い出の中でも生き続けている、ということを伝えているのである。

「死」とは一体何なのか

暗闇であなたの背をなぞった

その輪郭を鮮明に覚えている

受け止めきれないものと出会うたび

溢れてやまないのは涙だけ

「死」という概念は、曖昧さも兼ね備えている。
誰にでも訪れるがその瞬間は想像しがたい曖昧なモノ。

だから輪郭はなぞって、なんとなくわかったフリはできる。
しかし、いざそこに直面した時、受け止めきれない。
そして、その受け止めきれない分だけ涙が溢れていく。

ただただ涙を流すことでしか自分を救えない。
その圧倒的絶望感を上手く表現している。

何をしていたの 何を見ていたの

わたしの知らない横顔で

ここで初めて相手に語り掛けるような口調に変化する。
「あなた」は一体何を考えていたのか。
死というものに対してどう向き合っていたのか。
その時「わたし」がどういう状態になると思っていたのか。
「わたし」が知らないところで、どう死と相対していたのか。

そういう溢れ出す感情がこのフレーズに挿入されている。

どこかであなたが今 わたしと同じ様な

涙にくれ 淋しさの中にいるなら

わたしのことなどどうか 忘れてください

そんなことを心から願うほどに

今でもあなたはわたしの光

死後の世界が一体どうなっているのかは全くわからない。
もし、「わたし」が死んだ時に、どこに行くのか、どうなるのかは誰にもわからないのである。
だから、いっそ忘れてほしい。

涙や悲しみ、寂しさに押しつぶされてしまうのなら、忘れて楽しく生きていってほしい。

自分が今とは逆の死んでいく立場であれば、そう願うほど、絶望感に苛まれているという表現である。

「恋」の本当の意味と終幕へ

自分が思うより恋をしていたあなたに

あれから思うように息ができない

あんなに側にいたのにまるで嘘みたい

とても忘れられないそれだけが確か

「恋」というキーワードは一般的には恋愛を想定させるが、ここでは、愛している相手への想いを指す。
共に生活が出来なくなった、失われてしまった最愛の人。
息ができない、という表現はまさに、生き物に必要な呼吸ができないという、生きるための必須条件が満たせない程の苦しみである、ということ。
しかも、呼吸は常に行うもの。

それができない、常に必要である、生きる最低条件である呼吸ができない。

この言葉選びに愛する者を失う悲しみの表現が全て集約されているように思える。

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ

そのすべてを愛してた あなたとともに

胸に残り離れない 苦いレモンの匂い

雨が降り止むまでは帰れない

切り分けた果実の片方の様に

今でもあなたはわたしの光

ここでサビを繰り返して歌は終幕を迎える。
苦みを含むレモン。
米津玄師は曲で果物の例えをよく使用するが、まさに死はレモンのような存在であると言える。

そのレモンを切り分け、その片方、つまり自分の人生の半分にまだあなたは存在し、光となって残り続けていると歌っているのである。

「死」との向き合い方

終始、死について歌い、最愛の者が亡くなったことに対して「悲しい」という内容を繰り返しているこの曲は、人間が絶対に乗り越えられない「死」というものに対してのある意味、最後の抵抗の様なものであると言える。
いずれ誰にも訪れる最愛の者との離別。
それを考えさせられる意味でもこの名曲を一度体験していただきたい。