クリープハイプの代表曲の一つであり、FM802の春のキャンペーンソングとしても話題を集めた『栞』。
一聴すると春の別れをテーマにしたポップな楽曲に聞こえますが、その歌詞に込められたメッセージや比喩表現には深い意味が潜んでいます。
「途中でやめた本」「句読点のない嘘」「後ろ前逆の優しさ」など、一見すると曖昧で難解な表現の数々。
しかしそれらは、別れの哀しみ、未練、そしてほんの少しの希望を描き出すために巧みに配置されたものです。
本記事では、『栞』の歌詞を読み解きながら、そこに込められた感情や情景、そしてリスナーが感じ取れる「余韻」について、じっくりと考察していきます。
「『栞』という比喩──本・栞に込められた意味」
楽曲タイトルであり歌詞冒頭に登場する「途中でやめた本」と「栞」。
これらの言葉は、未完のまま止まってしまった“二人の関係”を象徴しています。
- 読み進めることができなかった本は、相手との未来を描けなかった関係を表現。
- 「栞」は、どこまで進んでいたかを示すしるし。つまり「そこまでは確かに一緒にいた」という証。
- この比喩により、過去の思い出を肯定しつつも、再開の見込みが薄い現実が切なく響きます。
栞という小さな存在が、記憶の中で大きな意味を持つ構造が、曲全体の余韻を形作っています。
「句読点のない嘘/後ろ前逆の優しさ」の解釈
歌詞中に登場する「句読点のない君の嘘」や「後ろ前逆の優しさ」は、非常に抽象的ながらも印象に残る表現です。
- 「句読点のない嘘」は、終わりや区切りがなく、曖昧なまま続いていく関係性を暗示。
- 「後ろ前逆の優しさ」は、善意であるがゆえにかえって傷つけてしまう行動を示唆。
- 「すこしだけ本当だった」という言葉が、すべてが嘘ではなかったことへの救いを与えます。
人間関係における“不完全なやさしさ”と“不完全な嘘”のリアリティが、生々しく描かれている部分です。
桜の舞と別れの心理── “今ならまだ…” の風に舞う思い
春という季節、そして桜の描写は、日本の楽曲において別れの象徴としてたびたび用いられます。『栞』でも、桜が印象的に登場します。
- 「今ならまだやり直せるよ」と言いかけて、言えないままの気持ち。
- 桜が舞い散る様子は、時間と共に離れていく二人の距離を象徴。
- 舞う桜=届かない思い、あるいは風に乗せた願い。
桜の儚さと再会の希望が交錯するようなこのパートは、聞く人の経験と感情に寄り添う場面です。
「意味不明な2人の話」と「ありがちで退屈な続き」の対比
歌詞の中盤には、「意味不明な2人の話」という一節があります。
これは、一見意味をなさないようでいて、当人たちにとってはかけがえのない時間だったということを示しています。
- 「ありがちで退屈な続き」という表現は、平凡であることの価値を逆説的に伝えている。
- あらすじにまとまらない“2人だけの物語”こそが、愛おしい記憶。
別れの瞬間を迎えた後に気づく、日常の尊さ。そこに“後悔”と“感謝”が同居しています。
最後の余韻── “地面に咲いてる”“文庫になる気持ち”に託された希望
楽曲のラストに近づくにつれ、歌詞は徐々に“再生”や“希望”を匂わせる表現へと変化していきます。
- 「地面に咲いてる桜」は、散った後でも美しい。終わった関係にも価値があったことを象徴。
- 「文庫になる気持ち」は、いつか誰かの心にそっと残るような、自分自身の物語を意味する。
- 別れを受け入れ、前に進もうとする姿勢が、静かな決意として感じ取れます。
クリープハイプらしい“余韻の残る結末”が、この楽曲を特別なものにしているのです。
おわりに
『栞』という楽曲は、比喩に満ちた言葉で構成されながらも、感情の機微を丁寧にすくい取った作品です。
未完成なままの物語、伝えきれなかった言葉、そして散った後に咲く新たな意味──
それらすべてが、“別れ”という一瞬に凝縮され、リスナーの胸に強く残ります。
この曲を聴くたびに、「自分の中の栞」はどこに挟まっているのかを、ふと確かめたくなる。
そんな余韻こそが、この曲最大の魅力なのかもしれません。