今回は、2008年にリリースされたコールドプレイの「Viva La Vida(美しき生命)」を取り上げたいと思う。
歌詞に入る前に、まず印象的な「Viva La Vida」という曲タイトルに注目したい。
スペイン語で「Viva」は「生きる」、「Vida」は人生を意味するので、直訳すると「人生を生きろ」となり、日本語ではよく「人生万歳」と訳される。
曲の邦題は「美しき生命」となっているが、いずれにしても人生を謳歌する喜びを表していると言えるだろう。
盛者必衰のストーリー
曲は次のような歌詞から始まる。
I used to rule the world
Seas would rise when I gave the word
Now in the morning I sleep alone
Sweep the streets I used to own
~日本語訳~
かつて、私は世界を支配していた
言葉を発すれば海が水位を上げた
いまは一人きりで朝を迎え
かつては自分のものだった街を掃いて回る
I used to roll the dice
Feel the fear in my enemy’s eyes
Listened as the crowd would sing
Now the old king is dead long live the king
~日本語訳~
かつて、私は賽を振り
敵の目に恐怖の色が浮かぶのを感じた
群衆が歌うのを耳にした
「古い王は死んだ! 新しい王に栄光を!」
ここでわかるのは、この曲に出てくる「私」はかつて世界を支配した王だったが、いまは凋落し、権力を失っているということである。
One minute I held the key
Next the walls were closed on me
And I discovered that my castles stand
Upon pillars of salt and pillars of sand
~日本語訳~
鍵を手に入れた途端に
壁が目の前に迫りくる
そして、私は気づいたのだ
我が城は砂と塩の柱の上に建っていたことを
言うまでもなく、鍵というのは閉ざされた扉を開くためにある。
世界を支配し、すべてを自分の思いのままにする力を手に入れたことは、この王にとって輝かしい栄光の時代の始まりを意味したはずだ。
しかし、その扉を開くための鍵を手に入れた瞬間に、目の前は壁によって暗く閉ざされる。
「砂上の楼閣」は絶対に見える権力がいかに儚く、脆いものかを表す盛者必衰の象徴と言えるだろう。
「王」とはだれなのか
コールドプレイ最大のヒット曲である「Viva La Vida」は発表当初から大きな話題を呼び、独特な世界観の歌詞についても多くの考察がされてきた。
そのなかでもとりわけ議論を呼んだのは、この曲の主人公である「王」とはだれなのかということだろう。
それを読み解くヒントとして、この曲にはキリスト教や聖書、実際の史実を連想させるフレーズがいくつも見られる。
聖書からの引用が多く見られることは、この王が治めていた国がキリスト教国であることを示していると言えるだろう。
「エルサレムの鐘」や「ローマ軍の聖歌隊の歌」などのフレーズは、十字軍のエルサレム遠征を想起させる。
もう一か所、王とはだれなのかを示唆する大きなヒントとなる部分がある。
それは、二回目のサビ前で登場する次の歌詞だ。
Revolutionaries wait
For my head on a silver plate
Just a puppet on a lonely string
Oh, who would ever want to be king?
~日本語訳~
革命家たちは待ちわびている
私の首が銀の皿にのせられるのを
所詮は、頼りない紐につながれた操り人形
いったい誰が王になどなりたがるだろうか?
「首が銀の皿の上にある」という状況は、暗殺や処刑によってこの王が殺されることを暗示している。
「革命」という言葉とセットで想起されるのは、やはりフランス革命によってギロチンで斬首された国王ルイ16世だろう。
「かつて世界を支配していた」という歌詞も、革命によって崩壊した絶対王政を指していると考えられる。
しかし、少し違和感の残る部分もある。
たとえば、曲中の王は「一人で朝を迎え」「街を掃いて回りながら」、かつての栄光を懐古している。
革命によって王座から奈落の底へ一気に転落した16世に、かつての成功を悠長に振り返るような余裕はなかったはずだ。
ほかにも、「古い王は死んだ! 新しい王に栄光を!」という群衆の喝さいも腑に落ちない。
ルイ16世の祖父であるルイ15世の時代、すでに国の財政は窮地に追い込まれており、国民は苦しい生活を強いられていた。
そのような状況で、孫のルイ16世が絶対王政を引き継いだところで、「新しい王に栄光を!」などと民衆は歓迎するだろうか。
どちらかと言えば、ルイ16世は「古い王」のイメージが相応しい気がする。
そうなると、民衆に迎え入れられる「新しい王」は、そう、フランス革命のあとを受けて帝政を開き,国民的英雄として迎えられたナポレオンではないだろうか。
最盛期にはヨーロッパ大陸の大半を支配下に置いたものの、最終的に島流しにされ、そこで余生を送ったという点も曲中の王の境遇に近い。
ただ、ナポレオン説にも「ナポレオンは処刑されていない」、「自力で王位を得たナポレオンに『操り人形』の表現はそぐわない」等々の異論はあるだろう。
そもそもコールドプレイ自身は「特定の王を指してはいない」としており、いずれの説も認めていない。
「Viva La Vida」は人生賛歌なのか
ここで、もう一度この曲のタイトルを思い出してもらいたい。
「人生万歳」「美しい生命」である。
だが、最初に述べたように、歌詞の内容は「かつての繁栄から凋落し、処刑されようとしている王」の話だ。
どう考えても、人生賛歌的なタイトルは不釣り合いに感じる。
なぜ、コールドプレイはこのようなタイトルを付けたのか。
そもそもなぜスペイン語なのか。
ある意味では、歌詞よりもタイトルのほうが謎めいているかもしれない。
最後にもう一か所だけ、歌詞の意味を考えてみたい。
サビの最後にこんな一節がある。
There was never an honest word
But that was when I ruled the world
~日本語訳~
誠実な言葉などひとつもなかった
だが、それは私が世界を支配していたころの話だ
王にとって「かつて世界を支配していた過去」が栄光であり、「一人で朝を迎え、街を掃いて回る現在」は敗北を意味すると多くの人は考え、この曲を聴いていたと思う。
しかし、最後の最後で「世界を支配していたころは、誠実な言葉などひとつもなかった」と栄光であるはずの過去を後悔し、敗北であるはずの現在を肯定するようなセリフを口にするのである。
どういうわけか、この部分について触れている考察をあまり見かけないが、ある意味では最も解釈が分かれる箇所のように思う。
いかがだっただろうか。
「Viva La Vida」は非常に解釈が難しい曲である。
結局のところ、「Viva La Vida」とは王の人生の何を指しているのか。
この楽曲が収められているアルバムの正式なタイトルは、「Viva La Vida(美しき生命)」のあとに「or Death and All His Friends(もしくは、死と彼のすべての友人)」と続いている。
「生命と死」ではなく、「生命、もしくは死」ということは、「生」と「死」は同じもの、あるいは互換可能であると考えられる。
曲中の王の人生も、「栄光の過去」と「敗北の現在」、あるいはその死すらも含めて「美しき生命」であり、「人生万歳」と歌っているのかもしれない。