【蛍の光/クリープハイプ】歌詞の意味を考察、解釈する。

尾崎世界観が私立恵比寿中学に2015年に提供した「蛍の光」という楽曲。
楽曲提供を行なったバンドがセルフカバーを行うことは珍しくはありません。
多くのアーティストがこれを実践しています。
それでも、クリープハイプが自身の楽曲をセルフカバーする点には、何か特別な魅力が感じられます。
その特異な点は、セルフカバー曲が特別な企画盤などではなく、バンドの制作活動において最も重要な位置にあるオリジナルアルバムに収録されていることです。
さらに、そのセルフカバーがアルバムの冒頭に位置しているという点も興味深いです。
このことから、過去の楽曲に特別な感情や思い入れがあるのではないかと考えてしまいます。
3年前の楽曲を再び歌うことに、バンドメンバーたちが何らかの特別な想いを抱いている可能性が高いのかもしれません。


「蛍の光」は、特別なメッセージがアイドルによって歌われるべき曲であると考えられています。
そのため、エビ中にとっては特別な意味を持つ一曲と言えるでしょう。

この曲は尾崎世界観にとっても特別な存在であると思われます。
実際、「蛍の光」はエビ中の魅力を引き出すために生み出された楽曲であり、尾崎世界観にとっても特別な思い入れがあるのではないでしょうか。

「蛍の光」が特別な理由は、アルバム『金八』の特設サイトにある楽曲提供者コメントから窺えます。
この曲は、尾崎世界観が他のアーティストが歌うことを想定して初めて書いたものであり、おそらく唯一の例ではないでしょうか。

エビ中のメンバーが脱退したことがきっかけで生まれた「蛍の光」。
歌詞が「いつかのさようならの前に」と始まる部分から、アイドルが将来アイドル活動を終える時を歌っているようにも感じられます。
もしかしたら現役アイドルがこのテーマについて歌うことはタブーかもしれませんね。

エビ中の「蛍の光」にはタイトルの後ろにDEMOという言葉が付いています。

暗くなって不安になる時にいつも目の前で揺れる光の海
さよなら蛍の光 もう電気を消しておやすみなさい


辛くなって不安になる時にいつも目の前で揺れる光の海
ありがとう蛍の光 もう電気をつけて行かなくちゃ

サビの歌詞は、ファンへの感謝と別れの情感を表現し、ファンが持っているサイリウムの光を「蛍の光」とたとえています。
この歌詞がアイドルとファンの絆を歌っているように感じられます。

この曲は、実際にアイドルが本当に引退するときに歌うことを想定して制作されたため、DEMOとしてリリースされ、あえてギター弾き語りの合唱での1発撮りで、そのままになった可能性も考えられます。

一方で、クリープハイプの「蛍の光」はバンドアレンジであり、DEMOという表記がありません。
これはおそらく、この曲が既に完成されているということを示しているのでしょう。

エビ中のために作った曲を再びセルフカバーする理由について、特に3年以上前の楽曲を選ぶ理由については、考える余地があります。


私立恵比寿中学の一員として、松野莉奈という才色兼備のメンバーが在籍していました。
背が高く、モデル業もこなす美しい彼女は、他のメンバーと比べて歌唱力はやや劣るかもしれませんでしたが、ステージでは一生懸命にパフォーマンスし、感情を率直に表現する性格で、観る者に元気を与える存在でした。

2017年2月8日、彼女はわずか18歳で急逝しました。
その原因は致死性不整脈という病気でした。
突然の訃報に、多くの人々が驚きと悲しみに包まれました。

尾崎世界観は、ラジオ番組で松野莉奈との思い出や感慨を語りました。
そして、その中でかかった楽曲は『蛍の光』ではなく、『全力☆ランナー』でした。

『全力☆ランナー』は、松野莉奈が生前特に愛した楽曲の一つであることを彼女自身が語っていました。
テレビ番組やインタビューでも、この楽曲に対する彼女の熱い思いが伝わってきました。

もしかすると、放送前にスタッフや関係者から、松野の好きな曲を教えられたのかもしれません。
しかし、楽曲提供やレコーディングに参加したことを通じて、尾崎世界観はエビ中のメンバーや活動について、時折考えるようになったのではないでしょうか。
彼が松野莉奈が好きな楽曲も知っていた可能性も考えられます。

そのためこそ、今回のセルフカバーには特別な意味が込められているのではないかと感じずにはいられません。

もちろん、この考えは私自身の妄想の域を出ないかもしれません。
しかし、エビ中が歌うことに意義のある、特別な思い入れのある楽曲を提供してくれた尾崎世界観が、バンドとしてのセルフカバーを行う姿を見て、どうしても深い意味を感じずにはいられませんでした。

今回のセルフカバーは、松野莉奈への想いを胸に刻んで行われたのではないかと、私は思います。


エビ中の「蛍の光」は、アイドルがファンとの別れをテーマにした楽曲として知られています。
しかし、クリープハイプの「蛍の光」という同じ楽曲を歌う際には、異なる意味が込められているように感じました。

蛍の光には、人間の霊魂の姿という伝説が古くから存在しています。
この考え方は、古典文学である伊勢物語にも関連した話が登場するなど、多くの人々によって共有されてきました。
一般的には、人の魂が蛍のように光り輝きながら飛んでいくという信念が広まっています。

クリープハイプの「蛍の光」は、アイドルのファンが振るサイリウムの光を単純に表現するのではなく、この楽曲を通じて「蛍の光」を人間の霊魂の象徴としてとらえ、特に松野莉奈を「蛍の光」として捉えている可能性が考えられます。

暗くなって不安になる時にいつも目の前で揺れる光の海
さよなら蛍の光 もう電気を消しておやすみなさい


辛くなって不安になる時にいつも目の前で揺れる光の海
ありがとう蛍の光 もう電気をつけて行かなくちゃ

さよなら蛍の光 もう電気を消しておやすみなさい

クリープハイプの「蛍の光」は、アイドル側からではなく、ファンの視点から歌われているように感じられます。
クリープハイプがアイドルではない立場からこの楽曲を演奏し歌うことで、ファンが愛したアイドルへの別れと感謝の気持ちが表現されているように思えます。

この歌は、暗い時や辛い瞬間にも、いつもアイドルの歌やライブで見た笑顔から元気をもらっていた人たちが、アイドルに感謝と別れの思いを伝えているかのように感じられます。

そして、クリープハイプにとっては、この歌で表現されている「いつも目の前で揺れる光」とは、おそらく松野莉奈のことなのかもしれません。

ありがとう蛍の光 もう電気をつけて行かなくちゃ

上述の文章は、エビ中の「蛍の光」の最後の歌詞の一部を示しています。
この部分では、不安になる時もいつも一緒にいたファンに感謝を伝え、新たな世界へと旅立つことが歌われており、感動的な表現が含まれています。
それに対して、クリープハイプの「蛍の光」は異なるフレーズで歌詞が終わっていることが特徴です。

さよなら蛍の光 もう電気を消しておやすみなさい

クリープハイプの「蛍の光」は、飛んでいく蛍の光に別れを告げる形で曲が終わります。
もし蛍の光が松野莉奈を象徴しているとするなら、最後の別れの瞬間で「おやすみなさい」という感謝の言葉を伝えているのかもしれません。

エビ中の「蛍の光」とは異なり、クリープハイプのバージョンには「DEMO」という表記はありません。
これは、バンドが演奏し歌った楽曲が「完成された」ものであることを示しています。

「蛍の光」はエビ中メンバーの脱退を契機に書かれた曲であり、松野莉奈がアイドルグループを去ったとは言え、彼女の存在は今のエビ中には姿を見せない現実となりました。
そのような背景から、彼女が早すぎる形で蛍のように飛び去ったのかもしれません。

クリープハイプは、松野莉奈への最後の別れの際に、せめてもの救いとして「蛍の光」を完成させ、彼女を見送ろうとした可能性があります。
この曲は、アイドル側だけでなく、アイドルから元気をもらったファンや周囲の人々の視点も含まれて完成することでしょう。

そして、この曲を自身のオリジナルアルバムの冒頭に収録することで、感情を最大限に伝えようとしたのかもしれません。
バンドの力は音楽を通じて感情を表現し、感動を呼ぶことにあります。
クリープハイプの「蛍の光」は、バンドとして最大限の想いを込めて、松野莉奈への冥福を祈る手段だったのではないかと思います。


クリープハイプのメンバーがセルフカバーを行う理由や背後にある想いは、実際には分かりません。
もしかしたら、特別な理由なしに気まぐれでこの曲をセルフカバーしようと思ったのかもしれません。

個人的には、エビ中もクリープハイプも大好きです。
この曲がどちらのバンドにも繋がりがあることから、妄想してしまう自分もいます。
ただし、深い理由があるのかどうかはわからないものの、何らかの特別な意味があるように感じます。
それほど確信があると言えます。

もし深い理由がないとしても、クリープハイプの「蛍の光」を聴くことで、初めて私立恵比寿中学を知るクリープハイプのファンや、エビ中を再び聴こうと思うファンもいるかもしれません。
今回のセルフカバーによって、クリープハイプとエビ中の繋がりが途絶えていないことを再確認できることは嬉しいことです。
お互いのファンがお互いのバンドを知り、理解し合うきっかけになるかもしれません。
松野莉奈も含めて。

そして、彼女が蛍の光になって飛び去ったとしても、クリープハイプとりななんの繋がりは途絶えず、エビ中にりななんがいたことは永遠に変わりません。
蛍の光になってもりななんは永遠の中学生であり、ファンたちは彼女を忘れないでしょう。

自分の感じ方かもしれませんが、このセルフカバーには愛情と大切な思いが込められているように感じます。