ヨルシカ「花に亡霊」歌詞の意味を考察|亡霊=想い出。“夏の歌”なのに実は夜だった

ヨルシカ「花に亡霊」を聴くと、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、眩しい夏の景色ではないでしょうか。

木陰。
冷たい氷菓。
風。
雲。
汗。
花。

しかし、n-buna本人が明かしている制作イメージを知ると、この曲の景色は大きく変わります。

実は「花に亡霊」は、現在進行形の夏を描いている曲ではありません。

n-bunaによれば、イメージしていた時間帯は「夜」。

夜の中にいる人物が、かつて過ごした夏の風景を思い出しているのです。

さらにタイトルの「亡霊」についても、n-buna自身が「想い出」を意味すると説明しています。ヨルシカ『盗作』公式特設サイト

つまり「花に亡霊」とは、

「毎年咲く花を見たとき、もうそこにはいない誰かや、戻ることのできない夏が蘇って見える」

というイメージなのです。

これは単純な失恋ソングでも、死別を描いた歌とも言い切れません。

「忘れたくない人」と「忘れていく時間」のあいだに生まれる、記憶そのものを歌った作品として読むと、「花に亡霊」の美しさが見えてきます。

ヨルシカ「花に亡霊」の基本情報

項目内容
楽曲名花に亡霊
アーティストヨルシカ
配信開始日2020年4月22日
作詞・作曲・編曲n-buna
Vocalsuis
収録アルバム『盗作』
アルバム発売日2020年7月29日
タイアップ映画『泣きたい私は猫をかぶる』主題歌
Official Video監督ぽぷりか

ヨルシカ公式によれば、「花に亡霊」は2020年4月22日に配信開始。作詞・作曲・編曲をn-buna、ボーカルをsuisが担当しています。ヨルシカ公式

その後、2020年7月29日発売の3rdアルバム『盗作』の最終曲として収録されました。ヨルシカ公式|『盗作』

「花に亡霊」の“亡霊”とは何なのか

この曲について最も検索されやすく、同時に最も重要なのが、

「亡霊とは誰なのか?」

という疑問でしょう。

ここには作者自身によるかなり明確な回答があります。

n-bunaは『泣きたい私は猫をかぶる』で使用された3曲について解説した際、「花に亡霊」の亡霊を「想い出」と結びつけ、夏に咲いている花の中に過去の姿を見る意味のタイトルだと説明しています。Billboard JAPAN

したがって、亡霊をいきなり

「亡くなった恋人の幽霊」

とする必要はありません。

むしろ、

花を見る

その花と結びついた過去を思い出す

今はいない人や、過去の二人の姿が目の前に蘇る

この「記憶の再出現」こそが亡霊なのです。

存在していない。

けれど、確かに見える。

触れられない。

けれど、匂いや風景によって突然そこに現れる。

記憶とは、確かに亡霊によく似ています。

実は「花に亡霊」は“夜”の歌だった

ここは現記事にはない、ぜひ入れたいポイントです。

歌詞だけを読むと、強い日差しのある青空を想像しやすい曲です。

ところがn-buna本人のイメージは違います。

アルバム『盗作』は、作品が進むにつれて昼から夕方、そして夜へ向かうように構成されています。

「夜行」を経て最後に置かれる「花に亡霊」も、イメージは夜。

n-bunaは公式インタビューで、夜にいながら夏の情景を回想し、それが亡霊のように見えているという制作イメージを説明しています。『盗作』公式インタビュー

これを知ると歌詞の鮮やかな夏景色も違って見えてきます。

いま目の前に青空があるのではない。

夜の暗闇の中で、頭の中だけに真夏の青が広がっている。

だからあれほど景色が鮮明なのに、どこか現実感が薄いのでしょう。

曲の中にある夏は「現在」ではなく、記憶によって照らされた夏なのです。

「君」は死んでいる?死別の歌なのか

「亡霊」というタイトルから、

「君はもう亡くなっているのでは?」

という解釈も当然生まれます。

しかし、これは断定しない方がよいでしょう。

n-buna本人が「亡霊」を死者ではなく「想い出」と説明しているからです。

歌詞には別れを感じさせる要素があります。

すでに一緒にはいないことも強く想像させます。

そのため、

  • 恋人との別れ
  • 友人との離別
  • 死別
  • 大人になって離れてしまった二人
  • もう戻れない過去の自分たち

どれを重ねても成立します。

ただし「君は死んだ人である」と公式に設定されているわけではありません。

むしろ、この曖昧さこそ大切なのだと思います。

人が亡霊になるのではない。

「戻れなくなった時間」が亡霊になる。

そう考えると、聴き手自身の記憶まで入り込める余白が生まれます。

なぜ二人とも「亡霊」になるのか

さらに興味深いのは、亡霊として描かれるのが「君」だけではないことです。

過去の二人そのものが、現在から見れば亡霊のような存在になっています。

これは、

「君がいなくなった」

だけではなく、

「あの頃の僕も、もういない」

ということではないでしょうか。

年月が経てば、人は変わります。

たとえ今も二人とも生きていたとしても、木陰で夏を過ごしていた「あの二人」は二度と存在できません。

過去の自分自身さえ、現在の自分にとっては亡霊になっていく。

だから「花に亡霊」が描く喪失は、人を一人失うことだけではありません。

時間そのものを失うことなのです。

氷菓、木陰、雲――なぜ記憶がこれほど具体的なのか

この曲の面白さは、「記憶」という抽象的なテーマを説明しないことです。

代わりに、非常に小さな出来事を並べていきます。

木陰で冷たいものを食べたこと。

風を待ったこと。

遠くの雲を見たこと。

手を伸ばしたこと。

笑ったこと。

どれも歴史に残るような出来事ではありません。

人生を変える大事件でもない。

ところが、大切な人を思い返すときに蘇るのは、案外こういう瞬間ではないでしょうか。

「いつどこへ旅行した」という情報より、

あの日の暑さ。
隣にいた人の仕草。
風の感触。
何気ない会話。

そういうものの方が、その人を強烈に蘇らせることがあります。

「花に亡霊」は、記憶の価値を大事件の大きさではなく、「どれほど自分の中に残っているか」で描いているように思えます。

掴めない雲を「描く」ことの意味

歌詞の中でも特に美しいのが、遠くに現れた雲をめぐる場面です。

相手は手を伸ばして雲を掴もうとする。

もちろん、本物の雲は掴めません。

一方、主人公は紙の上に雲を描きます。

ここは本記事独自の考察ですが、この場面は「花に亡霊」という曲そのものを表しているようにも思えます。

夏も掴めない。

過去も掴めない。

思い出の中の人にも触れられない。

けれど、描くことはできる。

文章にすることも、音楽にすることもできる。

現実そのものを保存することはできなくても、そのとき見たものを作品へ変えることはできるのです。

n-bunaが過ぎ去った夏を音楽へ変えることも、紙に雲を描く行為とよく似ています。

そう考えると「花に亡霊」は、思い出についての歌であると同時に、

「消えていくものを作品にするとはどういうことか」

という創作についての歌にも見えてきます。

「形に残らなくても価値はある」という逆説

この曲では繰り返し、

形に残るものだけが重要なのではない。

記録されたものだけが重要なのではない。

という方向の言葉が登場します。

ここには大きな逆説があります。

なぜなら、「忘れたくない」という気持ちから生まれたこの曲自体が、まさに記憶を「形に残したもの」だからです。

残さなくてもいい。

でも、忘れたくない。

言葉では足りない。

でも、言葉にする。

過去へは戻れない。

でも、歌えばもう一度見える。

この矛盾こそ「花に亡霊」の美しさなのだと思います。

「言葉→時間→心」と深くなっていくもの

曲の後半では、主人公が求めるものが少しずつ変化します。

最初は「言葉」。

しかし、それだけでは足りなくなり、やがて時間、さらにその奥にある心へ近づいていきます。

これは、

言葉を知れば相手を理解できる

でも言葉だけでは相手そのものには届かない

一緒に過ごした時間が必要になる

それでも最後に残るのは、その時間によって感じた心

という流れとして読むことができます。

人の記憶も同じでしょう。

正確に何を話したかは忘れる。

いつだったのかも曖昧になる。

それでも、

「あの人といると楽しかった」

という感覚だけが残ることがあります。

記憶から情報が少しずつ剥がれ落ち、最後に感情だけが残る。

それもまた、「亡霊」という言葉にふさわしい状態ではないでしょうか。

なぜ最後に「夏の匂い」が残るのか

「花に亡霊」では、視覚だけではなく匂いも重要です。

n-bunaは『盗作』公式インタビューで、アルバムを「夏の匂いがして終わる」作品にしたかったと説明しています。

彼自身、夏には他の季節とは違う懐かしい匂いを感じるのだそうです。『盗作』公式特設サイト

これを踏まえると、曲の最後に夏の匂いが強く意識されるのは偶然ではありません。

顔は曖昧になる。

言葉も忘れる。

出来事の順番もわからなくなる。

それでも、ある季節の匂いを感じた瞬間に、その人と過ごした時間だけが突然蘇る。

「亡霊」は目で見る幽霊とは限らない。

匂いによって現れる亡霊もある。

「花に亡霊」が記憶を非常に身体的に感じさせる理由の一つでしょう。

川端康成『化粧の天使たち』との関係

そして「花に亡霊」を理解するうえで欠かせないのが、川端康成です。

n-bunaは制作前、川端康成『化粧の天使たち』にある、「別れた相手へ花の名を教えておけば、その花が毎年咲くたび自分を思い出させられる」という趣旨の文章に惹かれたと明かしています。『盗作』公式インタビュー

これは「花に亡霊」というタイトルに驚くほど綺麗につながります。

花は毎年咲く。

しかし、同じ夏は二度と戻ってこない。

だから翌年、その花を見た瞬間、

「去年、この花を一緒に見た人」

が蘇る。

花そのものが亡霊なのではありません。

花が「亡霊を呼び戻す装置」になるのです。

タイトルを、

「花の中に、想い出の人が見える」

と考えれば、とてもわかりやすいでしょう。

「花」は何の花?種類は決まっている?

特定の花に決める必要もありません。

J-WAVEのインタビューでは、suis自身が、聴く人によって思い浮かべる花の色が違う曲だと説明しています。J-WAVE NEWS

つまり、

「この花は○○を象徴しています」

と一種類に固定してしまうと、むしろ作品が持つ余白を狭めてしまいます。

ある人には赤い花かもしれない。

ある人には白い花かもしれない。

そして実際に自分が誰かと見た花を思い浮かべる人もいるでしょう。

そのとき初めて、楽曲の亡霊と聴き手自身の亡霊が重なります。

n-bunaは「深い意味」を込めようとしていなかった

ここも非常に重要です。

「花に亡霊」は考察しがいのある作品ですが、n-buna自身は、何か一つの強いメッセージを伝えるために作った曲とは説明していません。

制作時には、美しい言葉、美しい情景、美しいメロディを組み合わせて一つの作品にすることを重視していたと語っています。J-WAVE NEWS

『盗作』公式インタビューでも同様に、「綺麗な言葉と綺麗なメロディ」を軸に作ったことが語られています。

だから、

「この歌は、過去を乗り越えて未来へ進むことを教えている」

のような教訓へまとめすぎるのは少し違うでしょう。

むしろ、この曲は答えを説明しないから美しい。

夏の景色を置く。

花を置く。

そこに記憶を置く。

あとは聴いた人が、自分自身の亡霊を見る。

そういう作品なのだと思います。

『泣きたい私は猫をかぶる』との関係

「花に亡霊」はアニメーション映画『泣きたい私は猫をかぶる』のために書き下ろされた主題歌です。

ただし、映画のストーリーをそのまま説明した歌ではありません。

映画公式サイトに掲載されたヨルシカのコメントによると、最初の打ち合わせで監督側からかなり自由に制作することを求められ、当時制作していたヨルシカ自身のコンセプトも保ったまま曲を作っています。『泣きたい私は猫をかぶる』公式

そのため、

「僕=日之出」
「君=ムゲ」

と一対一で対応させる必要はないでしょう。

映画と歌がそれぞれ独立して成立しながら、夏、記憶、誰かを大切に思う感情で重なっている。

n-buna自身も、映画とヨルシカという二つの作品がぶつかりながら調和することを望んでいたと説明しています。

「花に亡霊」はエンドソングではない

現記事ではここを修正したいところです。

映画公式での分類は、

楽曲映画での位置づけ
花に亡霊主題歌
夜行挿入歌
嘘月エンドソング

となっています。映画公式サイト

一方で、「花に亡霊」自体は映画の最終盤からエンドロールにかけて使用されたと報じられています。Real Sound

したがって「映画の終盤で流れる曲」という説明は問題ありませんが、正式な位置づけを「エンディングテーマ」とするのは避け、「主題歌」と記載するのが正確です。

アルバム『盗作』で聴くと意味がもう一段変わる

「花に亡霊」は単独曲としてだけでなく、アルバム『盗作』の最終曲でもあります。

『盗作』は「音楽を盗作する男」を主人公にしたコンセプトアルバムです。ヨルシカ公式

物語が進むにつれ、主人公の中から余計なものが削ぎ落とされていきます。

そしてn-bunaは、最終的にその男が本当に書きたかったものとして残るのが「花に亡霊」だと説明しています。『盗作』公式インタビュー

これは非常に面白い構造です。

盗作。
評価。
オリジナリティ。
作品の価値。

そうした難しい問題を扱ってきたアルバムの最後に残るのは、

夏。
花。
誰かとの記憶。

という、とても個人的で単純なものなのです。

しかも、その「花に亡霊」自体も川端康成の文章から着想を得ている。

「完全に誰の影響も受けていない作品など存在するのか」

という『盗作』全体の問いと、美しい記憶の歌が最後に重なります。

なぜ最後は最初の夏へ戻るのか

ここが、現記事の「過去を乗り越えて未来へ進む」という結論を変更したい最大の理由です。

「花に亡霊」は、未来へ向かって終わりません。

最後には再び、冒頭で描かれていた夏の記憶へ戻っていきます。

つまり曲の構造そのものが「回想のループ」になっています。

忘れようとして終わるのではない。

受け入れて卒業するのでもない。

一周して、また同じ思い出へ戻ってしまう。

しかし、それは必ずしも苦しみではありません。

花が毎年咲くように、思い出も何度でも帰ってくる。

そのたび少し形を変えながら、それでも消えない。

この構造まで考えると「花に亡霊」は、

「記憶から解放される歌」

ではなく、

「記憶が何度も戻ってくること自体を美しく描いた歌」

なのではないでしょうか。

「花に亡霊」が本当に描いているもの

この曲には、わかりやすい教訓はありません。

過去を忘れよう、とも言わない。

絶対に忘れるな、とも言わない。

ただ、人の記憶は少しずつ薄れていく。

顔を忘れる。

言葉を忘れる。

いつだったのかも曖昧になる。

それでも夏が来る。

花が咲く。

風が吹く。

匂いがする。

その瞬間だけ、もう存在しないはずの時間が目の前へ戻ってくる。

それが「亡霊」なのでしょう。

そして、もし花を見るたび誰かを思い出すなら、その人は完全には消えていないとも言えます。

花の中に人がいるわけではない。

自分の記憶が、その花へ人の姿を重ねている。

「花に亡霊」という美しいタイトルには、そんな記憶の仕組みそのものが凝縮されています。

これは「忘れないための歌」というより、

「人は忘れていく。それでも、ふとした瞬間に思い出は帰ってくる」

という歌なのかもしれません。

だから聴き終えたあとに残るのも、明確な答えではない。

夏の匂いなのです。

よくある質問

「花に亡霊」の亡霊とは何?

n-buna本人は「亡霊」を想い出と結びつけ、夏に咲く花の中に過去の姿を見る意味のタイトルだと説明しています。幽霊そのものを意味すると限定する必要はありません。

「君」は亡くなっている?

死別として読むことは可能ですが、公式には明言されていません。「亡霊=死者」ではなく「亡霊=想い出」という作者の説明があるため、恋人との別れや過ぎ去った青春などにも重ねられます。

「花に亡霊」は昼の歌?

n-bunaが『盗作』公式インタビューで明かしたイメージは「夜」です。夜の中から、青空の広がる過去の夏を回想しています。

タイトルにある花は何の花?

特定の種類は明言されていません。suisも、聴き手によって思い描く花の色が変わる曲だと語っています。

川端康成との関係は?

n-bunaは川端康成『化粧の天使たち』にある、花と別れた相手の記憶を結びつける文章から着想を得たことを公式インタビューで明かしています。

『泣きたい私は猫をかぶる』の何の曲?

正式には「主題歌」です。「夜行」が挿入歌、「嘘月」がエンドソングです。

「花に亡霊」はアルバム『盗作』にも入っている?

はい。2020年7月29日発売『盗作』の14曲目、アルバムを締めくくる最後の楽曲です。

参考資料

この記事を書いた人
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運営者:yuya
担当:記事の企画・執筆・編集・事実確認
運営開始:2021年
主なテーマ:邦楽の歌詞考察・楽曲解説

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