【都落ち/ヨルシカ】歌詞の意味を考察、解釈する。

ヨルシカの音楽画集『幻燈』に収録されている『都落ち』は、古代日本の詩集である『万葉集』の歌をインスパイア源とし、日本独特の雰囲気が感じられる別れの曲です。
この楽曲は、大切な人との別れを惜しむ切なさや寂しさが織り交ぜられた美しい歌詞が特徴で、その意味について詳しく考察してみましょう。

主人公は事実上「都落ち」をしてしまった

ヨルシカの最新曲『都落ち』は、2023年4月5日に公開された音楽画集『幻燈』の中の「第1章 夏の肖像」に収められた一曲です。
この楽曲は、古代の詩集『万葉集』の中にある116番の歌、「人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る」という句がインスピレーションの源となっています。
この句は、作者である但馬皇女が、夫である高市皇子以外の穂積皇子との恋に落ち、その関係が世間で噂される中で詠まれたものです。
言い換えれば、現代風に表現すると「他人の噂や評判が苦しい。だから未だに渡ったことのない朝の川を渡ってみよう」という意味合いです。
この歌の中での川は、おそらく恋の進展を阻む障害を指しており、どんなに周囲に言われようとも、作者は自らの決意でその障害を乗り越えようとしていることを強く表現しています。
「都落ち」というタイトルは、都から離れて地方へ去ることを指す言葉です。
ここでは、この表現が愛する人の記憶から自身が消えてしまう別れを意味しています。
歌詞の内容から推察すると、この曲は別れを歌ったものであり、116番の中心的な人物である但馬皇女や穂積皇子よりもむしろ、妻を想う高市皇子の視点で歌われているようにも感じられます。
この記事では、その視点から歌詞の意味を詳しく考察してみたいと思います。

花咲くや 赤ら引く頬に
さざなみ寄るは海
貴方は水際一人微笑むだけ
今、思い出に僕は都落ち

「赤ら引く」という表現には、日や朝が明るく輝く様子と、肌や顔が赤みを帯びる様子という2つの意味が含まれています。
このフレーズは、朝が訪れて太陽の光が顔に明るく当たる様子と、恋によって頬が赤らんでいる様子を描写していると解釈できます。
主人公は美しい水辺で花が咲き、太陽が輝く光景の中で、頬を赤らめた誰か(ここでは「貴方」と表現)が、思いを馳せて微笑んでいる様子を見つめています。
「貴方」が一人でいることから、主人公とは異なる人物に対する恋心が描かれており、主人公は遠くからその様子をじっと見つめている情景が浮かび上がります。

「都落ち」の楽曲において、恋の障害を象徴する要素として描かれていた川が、この曲では海に変わっています。
これは、妻が克服しようとしている障害が非常に大きなものであり、自分から遠ざかることで感じる深い悲しみと孤独感を表現している可能性があります。
夫婦としての思い出は確かに存在しているはずですが、妻が他の男性を想う気持ちによって、主人公の存在が彼女の心から遠ざかっていく様子が描かれています。
これにより、主人公は事実上「都落ち」をしてしまったと言えるでしょう。

厳しい恋の道を選ぶ覚悟

鼻歌、綺麗だね
明日には往くんだぜ
海猫が鳴いたね
鳥でも泣くんだね
心なし乾いたら別れの時間だぜ
夏風揉まれて貴方に浅い影

彼女は陽気に鼻歌を歌って楽しんでいる一方、主人公の心情は対照的です。
妻が明日には愛する人のもとへ旅立つ予定なので、そのことは当然のことです。
彼が「海猫」の鳴き声を耳にして「鳥でも涙を流すのか」と言っているのは、おそらく彼自身が内心で涙を流したり涙を流す寸前であるほど悲しい思いをしているからでしょう。
その言葉は、感情的な状態から生まれたものと考えられます。

彼の涙が少しずつ乾いてくる頃には、もう別れの時が迫っています。
彼女のそばには爽やかな夏風が吹き、何かしらの「浅い影」が彼女に近づいてきます。
もしかすると、この影は近くの木々の葉の影かもしれません。
主人公は、もしこの影が自分の影であればいいのにと思っている可能性があります。
主人公は夫という近しい立場にいながらも、妻のそばに近づくことも、彼女の心の内に入り込むことも叶わない、切ない関係が浮かび上がってくるようです。

さらり花咲くや あから引く頬に
さざなみ、夜は海
貴方は水際一人手を振るだけ
今、思い出に僕は都落ち

冒頭では「赤ら引く」という表現が使われていましたが、ここでは意図的に「あから引く」と表現されており、この箇所が注目されます。
この部分を「吾から引く」と捉えてみると、「吾(我)」は自分自身を指す言葉であり、彼女の頬が自分から遠ざかっていく様子を暗示しているようにも感じられます。
現在時刻は夜であり、別れが近づいていることが表現されていると解釈できます。
月の明かりが海面に広がっている暗闇の中で、彼の内にある陰鬱な感情を反映しているように思えます。

「貴方は水際一人手を振るだけ」というフレーズは、夫を主人公と仮定すると、直接的に手を振る仕草は妻によって行われるものではないかと考えられます。
この部分から、彼女が夫や現在の立場との別れを告げ、厳しい恋の道を選ぶ覚悟をしている様子が窺えるかもしれません。
この歌詞からは、主人公と彼女の複雑な心情や、彼女が取る決断に込められた強さが感じられます。

現実を受け入れて前に進む

朝焼け、綺麗だね
舟はもう発つんだぜ
海猫が鳴いたね
貴方も泣くんだね
人里離れて鳴る音は向かい波
飛ぶ鳥は遠くへ明日から向こうまで

予期せずに目にすることとなった朝焼けを、「綺麗だね」と言葉にする場面から、主人公が内面でのたくましさを示そうとしていることが透けて見えます。
彼女の乗る船が発つ直前、主人公は彼女が涙を流しているのを目撃しました。
「貴方も泣くんだね」という言葉には、さまざまな複雑な感情が含まれていると思われます。
彼女は愛する人の元へと旅立つ際、この場所に未練がないと思っていたかもしれませんが、彼女が泣いているのを見て、少なくとも一瞬でも彼女の心に自分の存在が重要であると感じた可能性があります。
あるいは、これまで彼女が涙を見せたことがなかったため、別れの瞬間において初めて本当の彼女の姿を目撃したようにも受け取れます。
どちらにせよ、主人公の寂しさが深まる瞬間として描かれています。

そして、遠くへ飛び去る海猫を見つめていると、主人公は旅立つ彼女が鳥のように自由に世界を楽しんでほしいという願いのような感情を抱いたのかもしれません。
これは、彼女への深い祈りや願望を表しているのかもしれません。

水に落ち流れやがて憂き
貴方に焦がれる舟は海
惜しみ書く指は思う丈ばかり
散る思い出は波か都落ち

都離れて舟進む
水は流れて時もまた
僕は貴方の思い出に
ただの記憶に

「貴方に焦がれる」想いが涙となって、静かに水面に滴り、やがて海へと流れていきます。
「惜しみ書く指は思う丈ばかり」という言葉からは、どんな文字を書こうとしても、主人公の心は彼女への想いに支配されていることがうかがえます。
主人公の未練がこめられていますね。

水は永遠に流れ続けるように、時間も止まることなく過ぎていきます。
かつての2人の共有した思い出も、波に揉まれて徐々に薄れ、そして今は彼女の心にかすかに残る主人公の存在も、やがては思い出として風化してしまう運命にあるのでしょう。
「ただの記憶に」という一言が、2人の関係が再び交わることが叶わないことを伝えており、その切ない事実が浮かび上がってきます。

恋ふらくはあから引く頬の
寄せ消ゆ波の花
貴方は水際一人微笑むだけ
今、思い出に僕は
さらり花咲くや あから引く頬に
さざなみ、夜は海
貴方は水際一人手を振るだけ
今、左様なら 僕は都落ち

「波の花」とは、冬の日本海沿岸で観察される自然の光景で、波が岩に激しくぶつかる際に生まれる白い泡のことを指します。
季節は夏から冬へと移り変わりましたが、海辺に立つと「恋ふらく」という気持ち、つまり彼女を恋しく感じてしまう情熱が表現されています。
過去の日々における彼女の微笑みや手を振る仕草を思い起こし、波が岩にぶつかるような激しい、狂おしい感情が主人公の内に湧き上がっていることがうかがえます。

最後の「左様なら」は、文字通り「それなら・それでは」という意味ですが、音の響きから「さようなら」という別れの言葉とも重なります。
この表現からは、彼女が別れを決意したため、自分もそれに従って別れるしかないと悟り、「さようなら」と告げる覚悟を持っていることが窺えます。
主人公は、現実を受け入れて前に進もうとする意志を示しているようです。

自身の感情や経験によって、歌詞の主人公が変わる

「都落ち」は、コンポーザーのn-bunaが作り出す和を感じさせる深みのある音楽と、繊細で芯の通った歌声を持つボーカルのsuisが奏でることで、古典的な日本の恋愛物語が現代に蘇りました。
愛する人との別れに伴う深い感情は、時代を超えて共感を呼び起こすものです。
各人がこの歌詞を解釈する際には、その瞬間の自身の感情や経験によって、歌詞の主人公が変わるかもしれません。
ですから、聴きながら自身の心にどんな思いが湧くかを考えてみるのも一つの楽しみ方ではないでしょうか。