ヨルシカ『へび』歌詞考察|夢と現実を繋ぐ幻想的な比喩と文学性の謎を解く

1. 「へび」の象徴性と歌詞に込められた比喩表現

ヨルシカの楽曲『へび』において、「へび」という存在は単なる生物的なモチーフではなく、深い象徴性を持っています。古来より「へび」は、再生や変化、知恵、または誘惑や罪の象徴とされてきました。この二面性が、楽曲全体の不安定で夢幻的な雰囲気と見事に重なります。

歌詞においても、「へび」は明確な行動や意志を持たず、ただ「そこにいる」存在として描かれます。それはまるで、心の奥底に潜む抑圧された感情や記憶のよう。聴き手は「へび」が何かしらの恐怖や苦しみ、あるいは未練の象徴であると直感的に理解するのです。

さらに「わたし」が「へび」に感情移入していく過程は、自分の中の矛盾や無意識の部分と対峙していく過程とも重なり、リスナーに内省を促します。


2. 「巫山の雲」とは何か?—中国古典から読み解く愛の象徴

「巫山の雲」という語句は、歌詞の中でも特に詩的な印象を与えるフレーズです。これは中国の古典詩『高唐賦』に登場する言葉で、夢の中で出会った女性と現実とのはざまを象徴しています。つまり、「巫山の雲」とは、夢幻的で儚い恋愛の象徴とも言えるのです。

この比喩が『へび』の歌詞に使われていることにより、歌の舞台は一気に幻想的な世界へと拡張されます。現実と非現実の境界が曖昧になるこの言葉は、「あなた」が実在する存在なのか、記憶や夢の中の人物なのかという解釈を深める鍵となります。

このように、東洋の古典文学からの引用を通じて、ヨルシカはただの恋愛ソングではない、高度な文学性を持つ楽曲を作り上げているのです。


3. 自然描写と感情の交錯—「ブルーベル」「カタバミ」「シジュウカラ」の役割

ヨルシカの楽曲では、自然や植物の名前がよく登場しますが、『へび』においても例外ではありません。例えば「ブルーベル」は、欧州では「死者の花」とも呼ばれ、孤独や悲哀の象徴とされています。また、「カタバミ」は三つ葉の形が幸福を表す一方で、繁殖力の強さから「忘れ去られない記憶」とも結びつけられます。

そして「シジュウカラ」は、日本の里山によく見られる鳥であり、「記憶の案内人」のような役割を果たしているとも解釈できます。歌詞に登場するこれらの自然要素は、それぞれが「わたし」の感情や記憶と密接に結びついています。

ヨルシカは、言葉のひとつひとつに意味を持たせながら、感情の移ろいを風景や自然と重ねることで、聴き手に強いイメージを残します。


4. アニメ『チ。』とのシナジー—知的探求と「へび」の関係性

『へび』は、アニメ『チ。-地球の運動について-』のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲です。このアニメは「真理を追求する知の欲求」と「その代償」をテーマにした作品であり、その文脈を踏まえて歌詞を読むことで、まったく異なる解釈が見えてきます。

「へび」は旧約聖書において知恵の象徴でもあり、禁断の実をもたらす存在です。つまり、真理を追い求めることで生まれる葛藤や破壊を「へび」が象徴しているとも考えられるのです。歌詞に漂う悲しみや後悔は、知を得た者の宿命とも言えるでしょう。

このように、『へび』はアニメのテーマと密接に結びついており、作品の一部として聴くことで、より深い理解と感動を得られます。


5. 「あなた」と「わたし」の関係性—夢と現実の境界線

『へび』の歌詞における「あなた」は、具体的な人物像を持たず、むしろ抽象的な存在として描かれます。それゆえ、「あなた」と「わたし」の関係性は、現実の恋人同士というよりも、失われた何か、または未練の対象としての「あなた」である可能性が高いです。

「夢の中でしか会えない」「名前を呼ぶ声が聞こえた気がする」といった描写からは、記憶と夢が交錯する情景が想像されます。この境界線の曖昧さが、聴き手にどこか懐かしさと切なさを感じさせる所以です。

ヨルシカの楽曲は、常に「わたし」の内面と向き合わせてくれますが、この『へび』では、その内面がとりわけ幻想的に描かれており、聴く者それぞれが自分自身の「あなた」を思い出すきっかけとなります。


まとめ

『へび』は単なるポップスではなく、文学性、象徴性、心理描写、そして他作品との関連性に富んだ深層的な楽曲です。比喩や自然描写、中国古典の引用などを通じて、「へび」という存在が心の奥に潜む感情や記憶、知の代償までも象徴する複雑な意味を持っていることがわかります。ヨルシカの真骨頂とも言えるこの詩世界に触れることで、音楽の深さと美しさを改めて実感できるでしょう。