「火星=理想郷」「火星人=理想に届く存在」の象徴性を読む
「火星人」というタイトルは一見SF的で空想的な印象を与えますが、その背後には深い象徴性が隠されています。n-bunaは「火星人」という言葉について「火星に住んでいる人というよりは、“火星に行けるくらい普通じゃない人”のようなイメージ」だと語っています。
この言葉の中にあるのは、現実では手が届かない場所に存在する何か——理想、希望、もしくは逃避先としての“火星”というモチーフ。そしてその地に立つ“火星人”は、地球(現実)とは違う価値観を持ち、現実を超えた存在として描かれているのです。
歌詞の随所にある宇宙的な比喩は、現実では満たされない想いや、社会の常識とは異なる感性を抱えた主人公の「飛躍」を暗示しています。
現実の「普通」から逃れて向かう“火星”というもう一つの世界
ヨルシカの楽曲にはしばしば「普通」や「日常」といったキーワードが登場します。この「火星人」でも「君のような普通の人が」や「普通じゃない僕」といった言葉が、主人公と周囲の世界の“差”を象徴的に表しています。
そのギャップに苦しむ“僕”が望むのは、現実から離れた場所。たとえば火星という異世界に、自分の本音や個性を受け入れてくれる場所を見出そうとする様子が読み取れます。火星は決して科学的に実在する惑星ではなく、心の中の「逃避の象徴」として描かれているのです。
このような逃避願望は、多くの人が感じる「生きづらさ」と共鳴します。聴き手はこの歌を通して、自分自身の「逃げ場所」を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
「自分へランデヴー」自己との対話――“僕”の心の鏡写し
歌詞に登場する「おまえ」「自分へランデヴー」というフレーズは、単なる対話相手ではなく、主人公自身の心の中にあるもう一人の“僕”を指していると解釈できます。
この“おまえ”は、理想的な自分、あるいは本当の自分の姿を象徴している存在であり、現実の世界ではうまく表現できない想いを代弁してくれる存在でもあるのです。
「自分へランデヴー」という言葉は、自己との和解、もしくは再会という意味合いを含んでおり、それは決して簡単ではない内面の葛藤や孤独と向き合うプロセスを描いているとも言えます。歌詞の中で“おまえ”が笑っていることも、自己を許し、肯定しようとする主人公の心の動きを映し出しているようです。
文学的“本歌取り”:萩原朔太郎『猫』との深いつながり
この楽曲で特筆すべきは、萩原朔太郎の詩「猫」からの引用です。
「おまへは何をしてきたのだと云ふ。」
この一節は、原詩の中でも象徴的なフレーズであり、存在の根源を問うような強烈な問いかけです。n-bunaがこの詩を歌詞に取り入れることで、「火星人」は単なるポップソングではなく、詩的・文学的な深みを持った作品へと昇華されています。
この引用を通して、“火星人”としての自分が「何をしてきたのか」と問いかけることで、自己否定から自己認識へと変化する過程が浮かび上がります。現代のリスナーが詩と音楽を通じて再び文学と接する機会を得るという点でも、この引用は大きな意味を持ちます。
チョコのような火星の大地 …… 甘さと優しさを求める心理の裏側
「火星の大地がチョコと同じだったらなぁ」という歌詞は、非常にユニークで印象的な表現です。この比喩が示しているのは、「現実がもっと優しく、甘くあってほしい」という願望です。
現実の世界には多くの痛み、葛藤、そして“普通”という基準があります。その中で孤独を感じる“僕”が望むのは、誰にも責められず、否定されず、ただ包み込まれるような優しさに満ちた世界です。
この「チョコの大地」は、現実の厳しさと対比される理想の象徴であり、聴き手にも「自分にとってのチョコのような場所」を探し求めるきっかけを与えてくれます。
まとめ:Key Takeaway
ヨルシカ「火星人」は、単なる空想や恋愛を描いた楽曲ではなく、深い内面の葛藤や、社会との距離感、自己理解の旅を描いた詩的な作品です。
- 火星は「逃避」ではなく「理想」の象徴
- 主人公は自己との対話を通じて、自分自身を認識しようとしている
- 文学的要素が作品に厚みと奥行きを与えている
- 日常に馴染めない感覚は、多くの人にとって共感可能なテーマ
この楽曲を通じて、聴き手は「自分はどこに向かいたいのか」「何に癒やされたいのか」を静かに考える時間を得られるでしょう。