Official髭男dism『異端なスター』歌詞考察|“スター”像に抗う異端者の叫びとは?

「異端なスター」──“スター”像への違和感を描く序章

Official髭男dismの「異端なスター」は、現代社会における“スター像”に対する疑問や違和感をテーマにした楽曲です。歌詞の冒頭で歌われるのは、「面白くなきゃダメ」「見た目が良くなきゃダメ」といった、現代のエンタメ界やSNS社会に蔓延する“こうあるべき”という無言の圧力。その期待に応えようとすることで、自分を偽っていく様子が描かれています。

この部分は、アーティストとしての葛藤だけでなく、あらゆる人が「理想の自分」を演じてしまう現代社会の縮図とも捉えられます。つまり、聴く者にとっても他人事ではなく、自分自身の“異端”でありたい気持ちと社会的な枠組みの間で揺れる心情を代弁してくれているのです。


「照らすライト」に込められた意味とは?――観客と自己認識の狭間

“僕らは後ろをついてまわって/照らすライトの1つとなって”というフレーズは、一般的にファンや観客の立場を表していると解釈できます。ここでの“ライト”は、ステージ上のスターを輝かせる光であると同時に、監視の目、評価の象徴とも捉えることができます。

このフレーズは、スター自身が観客の期待に応えようとする姿勢と、その視線によって自分自身の輪郭が形作られてしまう皮肉を表しています。つまり、観客が“スター”をつくる一方で、スターも観客の目によって自由を奪われる、という両義的な関係性が浮き彫りになるのです。

また、ここで「僕ら」と表現されている点も興味深く、アーティスト自身が“観る側”にいた経験や視点を反映させているとも解釈できます。


“醜いリアル”“虚しいリアル”──選ばれる人生への嫌悪感

歌詞の中盤では、「人生=醜いリアル」「虚しいリアル」という表現が登場します。これは、いわゆる“正解”とされる生き方に従っていても、そこに本当の満足感や意味を見いだせないという、現代人の虚無感を象徴する言葉です。

たとえば、学歴や就職、結婚など、“社会的に良いとされる人生”を歩んでも、それが自分にとっての幸せとは限らない。むしろ、それらが“醜さ”や“虚しさ”として映る場合もあるということを、楽曲は示唆しています。

「異端なスター」というタイトル自体が、この常識に抗う象徴であり、“異端”であることの尊さや勇気を肯定しているのです。


天真爛漫な“ディザスター”とは?──失敗と再挑戦の肯定

2番のサビには、「愛情求めさまよった天真爛漫なディザスター」という強烈な表現が登場します。「ディザスター(disaster)」は災害や破滅を意味しますが、ここでは“純粋な失敗者”として描かれた自己像と捉えられます。

「天真爛漫な」という形容が付いている点が重要で、これは決して“破滅”がネガティブなものではなく、無邪気で正直な感情の末の結果だったことを示しています。つまり、自分を偽らず、愛を求めて突き進んだ結果としての失敗は、美しく、肯定されるべきものだというメッセージが込められているのです。

このような“ディザスター”を経て、再び立ち上がる力、他者からの承認ではなく自己承認の価値を、楽曲は強く訴えかけています。


“叫んで歌って”──自身へのエールとリスナーへの共感

楽曲のクライマックスでは、「どうか歌って」「叫んで歌って」といった、繰り返しのフレーズが印象的です。これは、自己否定やプレッシャーの中にあっても、自分の声を発すること、自分の存在を肯定する行為としての“歌”の重要性を強調しています。

この部分は、単にアーティストとしての叫びではなく、リスナー自身にも投げかけられたメッセージです。「自分らしさを叫んでいいんだ」「異端であっても価値があるんだ」と鼓舞されるような一節であり、まさに“異端なスター”=他者とは違う自分を肯定するラストとしてふさわしい締めくくりとなっています。