「うブ」とは何か?タイトルに込められた“ラブ”の“皮肉”な表現
Mrs. GREEN APPLEの楽曲「うブ」は、一見すると“うぶ=純粋・初心”という意味を連想させますが、楽曲全体を通してその印象は一変します。まず注目すべきは、“うブ”という表記。カタカナとひらがなのミックスは、可愛らしさや曖昧さ、あるいは何かを隠したような不安定なニュアンスを生み出しています。
この“うブ”は“ラブ”と音が似ており、“恋愛”を連想させるタイトルにもかかわらず、内容はむしろ恋愛における表面的・軽薄なやり取りや、誠実さの欠如を糾弾するもの。つまり、「うブ」という言葉は“純粋”であると同時に、“純粋ぶっている(=ぶっている)”ことへの皮肉でもあるのです。
歌詞全体に漂う「irony(皮肉)」──表面的な関係に対する警鐘
「満たされたいならirony」というフレーズが繰り返されるこの楽曲は、現代の対人関係、とりわけ恋愛や友情といった“つながり”の軽薄さを鋭く突いています。表面上は仲良く見える関係性も、実際には“空気を読んでるだけ”“本音は出さない”という偽りで成立しているのではないか──そんな不信感がにじみ出ています。
“irony”という単語は“皮肉”という意味ですが、それは同時に“表層の下に本音があること”を暗示する言葉。つまり、この楽曲は「本音を語らない関係は、決して満たされない」というメッセージを強く訴えているのです。
SNS世代へのメッセージ:鳥(つぶやき)と童(がき)が示すもの
「鳥(つぶやき)」「童(がき)」というワードが登場する部分は、SNS時代を生きる若者への鋭い風刺が込められています。鳥はTwitter(現X)の“つぶやき”を連想させ、童(がき)は精神的に未成熟な人々、あるいは他人を嘲笑して自己肯定するようなユーザー層を象徴していると考えられます。
匿名性の高いSNSでは、心ない言葉が容易に飛び交い、相手を傷つけても責任を取らずに済む構造があります。「ほんとは優しいと知ってても 皮肉じゃもう ダサい」と歌うこのパートは、“優しさ”を信じたくても、“皮肉”の文化に飲み込まれてしまう矛盾を描いています。
“初心(うぶ)”の揺れと本音の葛藤——恋愛と友情の境界線
“初心よ”という呼びかけと“うブ”というタイトルの掛け合わせには、大森元貴らしい言葉遊びが見られます。しかし、この遊びには「初心であること=正直であること」がすでに困難になった現代への諦観も含まれています。
恋愛や友情の“境界線”があいまいになり、本心を語ることがリスクになる社会の中で、人はどのようにして“うぶ”でいられるのか。楽曲はその問いに対し、明確な答えを示さず、むしろ“純粋さを求めるほど、自分が傷つく”という現実を突きつけます。
音楽性と声の演出が歌詞を際立たせる──シンセ・オートチューンの効果
「うブ」は、音楽的にも非常に挑戦的なアプローチをしています。まず特徴的なのは、無機質なシンセサウンドと、強めにかかったオートチューン処理です。これらは“人間味”をあえてそぎ落とし、楽曲の中に漂う「冷たさ」や「作られた関係性」を音響面でも表現しています。
また、メロディの構成にも不安定さが意図的に取り入れられており、安定的な音階に頼らない、浮遊感のあるリズムは、歌詞の持つ“もやもや”した感情と完全に同期しています。これは大森元貴が“音と歌詞”の両面から作品全体をデザインしている証左とも言えるでしょう。
🔑 まとめ
「うブ」は、“純粋”というキーワードの裏にある、現代人の孤独・葛藤・皮肉を丁寧に描き出した楽曲である。SNSに代表される現代的な人間関係を題材にしながら、音楽的にも大胆な表現を用い、聴き手に深い思索を促す。タイトルに込められた言葉遊びと音響演出が、Mrs. GREEN APPLEの持つ表現力の豊かさを物語っている。