【歌詞考察】マカロニえんぴつ『星が泳ぐ』に込められた喪失と再生の物語とは?

タイトル「星が泳ぐ」に込められた詩的な意味と儚さ

マカロニえんぴつの「星が泳ぐ」というタイトルには、実は花火職人の間で使われる専門用語が隠されています。「星」とは、花火の球の内部に詰められた火薬の小さな粒のことで、点火すると光の尾を引いて空を舞う存在です。しかし、「星が泳ぐ」とは、本来弾道がまっすぐ飛ばずにふらついてしまう“失敗”を意味する言葉だとされています。

そのような失敗作であるにも関わらず、夜空を美しく彩り、見る者の心を打つ。そんな矛盾や儚さこそが、タイトルに込められた詩的な感情なのではないでしょうか。まっすぐ生きられない私たちや、不完全でも美しい一瞬を象徴するような、このタイトルが持つ二重性は、歌詞全体の深いテーマへとつながっていきます。


アニメ『サマータイムレンダ』とのリンク:タイムリープと喪失の物語性

この楽曲は、TVアニメ『サマータイムレンダ』のエンディングテーマとして書き下ろされました。そのため、歌詞にはアニメのストーリーと呼応するようなモチーフが随所に散りばめられています。

アニメでは、主人公が何度も“タイムリープ”を繰り返して、死を回避し、大切な人を救おうと奮闘します。歌詞中の「抗いながら あやかりながら」「何巡目かの死期を彩る溜め息」といった表現は、まさにそのループ構造の中で繰り返される葛藤と喪失、そして再生の願いを描いているように感じられます。

「君が居ないと 意味がないな」という一節は、ヒロイン・潮を失った主人公の心情とも重なり、喪失の深さを印象づけます。作品を知る人にとっては、歌詞がまるでもうひとつのエピローグのように響くことでしょう。


“夏”という季節に宿る焦燥感と切なさの表現

「夏」は、日本のポップスにおいてしばしば特別な感情の舞台として描かれます。マカロニえんぴつも、この楽曲の中で“夏”という季節に込められた切なさや焦燥感を巧みに描いています。

歌詞の冒頭には、「あの夏だけが残っていく」とあります。この一節は、時間が経過しても忘れられない、鮮烈な感情や出来事が“夏”に起きたことを示唆しています。夏は青春や恋、別れといった感情のピークを象徴する季節です。

また、「ひと夏の痛みは すでにおとぎ話の中」という歌詞では、過ぎ去った時間の中に取り残された痛みや記憶の断片が、まるで幻想のように漂う様子が描かれています。夏という時間軸に、記憶と喪失の物語を重ねることで、聴き手に一種の郷愁を呼び起こします。


リリックに映る「守りたい」「抗いたい」心の叫び

歌詞の中でも特に印象的なのが、「守らせてくれよ 一度くらい」「悲しみは叩き割るたび増えていく」といった、感情の叫びとも言えるフレーズ群です。

「守らせてくれよ」という言葉には、過去に何もできなかったことへの後悔と、せめて今回こそは何かを救いたいという強い願望が滲んでいます。それは、誰しもが経験する“もしあの時…”という後悔に通じる普遍的な感情です。

一方で、「悲しみは叩き割るたび増えていく」という表現は、心の傷を無理やり克服しようとするほど、それが逆に痛みとして増幅していくという、人間の複雑な感情構造を示しています。これは、喪失や別れを経験したことのある人にとって、非常にリアルに響く描写です。


タイムリープと“影”──繰り返される苦悩と歌詞のモチーフ

アニメ『サマータイムレンダ』のテーマでもある「影」という存在は、現実と虚構、生と死を揺さぶるメタファーとして機能しています。この影の概念は、楽曲の歌詞にも色濃く投影されています。

「影絵が滲む」「喉が千切れても歌うから」といった表現には、自分の存在すら不確かになるような世界の中で、それでも何かを伝えたいという切実さが込められています。まるで、何度繰り返しても失ってしまうものを、それでも諦めずに追いかける主人公の姿がそこに重なるようです。

特に「何巡目かの死期を彩る溜め息」という一節は、ループ構造に閉じ込められた者の苦悩と、その中で少しずつ変化していく感情の揺らぎを描写しており、単なる“切なさ”を超えた、物語性のあるリリックとして高く評価できます。


まとめ:不完全でも輝ける「星たち」への賛歌

マカロニえんぴつの「星が泳ぐ」は、単なるアニメの主題歌ではありません。そこには、「不完全でも美しい」「過去に抗いたい」「誰かを守りたい」という普遍的な想いが、巧みな比喩と情景描写で表現されています。

まっすぐ生きられない現代人、悔いや喪失を抱えるすべての人にとって、この曲はそっと寄り添い、時に涙を誘うような“感情のスイッチ”を押してくれるでしょう。