マカロニえんぴつ「恋人ごっこ」歌詞の意味を考察|二人の関係と“隠してきた罪”の正体

恋人のように抱き合う。

同じ部屋で夜を過ごし、朝を迎える。

互いの身体も、寂しさも知っている。

それなのに、二人は恋人ではない――。

マカロニえんぴつの「恋人ごっこ」は、名前を付けられない関係にしがみつく主人公を描いたラブソングです。

二人の間に愛情がなかったわけではありません。

むしろ、確かな恋心があったからこそ、主人公は関係を終わらせることができません。

恋人になれないのなら、恋人のふりだけでもよい。

明日には離れてしまうとしても、今だけは笑っていてほしい。

そんな願いから、二人は終わりを先延ばしにしてきました。

しかし、繰り返される「もう一度」は、関係を修復するための言葉ではありません。

別れを決断できない二人が、今日だけを延長するための言い訳です。

では、歌詞に登場する二人は、どのような関係なのでしょうか。

なぜ主人公は、相手に愛を伝えられなかったのでしょうか。

そして、二人が隠してきた「罪」とは何を意味しているのでしょうか。

本記事では、マカロニえんぴつ「恋人ごっこ」の歌詞に込められた意味を、二人の関係性やミュージックビデオの表現から考察します。

  1. マカロニえんぴつ「恋人ごっこ」とは
  2. 【結論】「恋人ごっこ」は本物の恋を偽物の関係で続ける歌
  3. タイトル「恋人ごっこ」の意味
  4. 二人は本当に恋人ではなかったのか
    1. 恋人になる前の曖昧な関係
    2. 別れた後も会い続ける元恋人
    3. 誰かに隠さなければならない関係
  5. どの関係が正解なのか
  6. 「もう一度」が何度も繰り返される理由
  7. 「運命」は二人を結ぶものではなく、言い訳になっている
  8. なぜ主人公は愛を伝えられなかったのか
  9. 愛を伝えなかったことは、優しさだったのか
  10. 朝の缶コーヒーが象徴するもの
  11. 乱れた寝具が示す「身体と心の距離」
  12. 「言う通りにする」という姿勢が示す力関係
  13. なぜ相手の笑顔だけを求めるのか
  14. 坂道と荷物が意味する恋愛の疲労
  15. 忘れたいのに、忘れてほしくないという矛盾
  16. 二人が隠してきた「罪」とは何か
    1. 本心を隠した罪
    2. 自分自身を裏切った罪
    3. 終わるべき関係を続けた罪
  17. なぜ二人は無駄な会話を続けるのか
  18. 「確かに」と「確かな」の違い
  19. 「恋人ごっこ」であっても恋は本物だった
  20. なぜ主人公は一度関係を終わらせようとするのか
  21. それでも「また同じような恋」を望む理由
  22. 身体の細部ばかりが記憶に残る理由
  23. 言葉を手放そうとする主人公の矛盾
  24. 最後の「帰還」と「別れ」が同時に存在する意味
  25. 「ただいま」と言える相手が恋人とは限らない
  26. 二人は別れた後、再会するのか
  27. MVが描く「過去を美しく撮り直すこと」
  28. はっとりの楽曲コメントが示す循環
  29. 優しいサウンドと重い関係が共存する理由
  30. 「恋人ごっこ」が多くの人に響く理由
  31. 愛を伝えることと、関係を続けることは別である
  32. 「恋人ごっこ」に関するよくある疑問
    1. 二人は正式な恋人ですか?
    2. 「恋人ごっこ」は浮気や不倫の歌ですか?
    3. なぜ恋人でなくてもよいと言うのですか?
    4. 二人の「罪」とは何ですか?
    5. 主人公は最後に相手を諦めたのですか?
    6. 「確かに」と「確かな」には違いがありますか?
    7. MVに出演しているのは誰ですか?
  33. まとめ|「恋人ごっこ」は名前のない愛に別れを告げる歌

マカロニえんぴつ「恋人ごっこ」とは

「恋人ごっこ」は、マカロニえんぴつが2020年2月7日に配信リリースした楽曲です。

作詞・作曲はボーカル兼ギターのはっとりが担当。Hondaとのコラボレーション企画「バイクに乗っちゃう?MUSIC FES.」のタイアップソングとして発表され、同年4月1日発売の2ndフルアルバム『hope』にも収録されました。

ミュージックビデオの監督は、「ブルーベリー・ナイツ」でもマカロニえんぴつと組んだ井樫彩です。はっとり自身に加え、秋田汐梨と赤瀬一紀が出演しています。MVは2020年の「MTV VMAJ」で最優秀邦楽新人アーティストビデオ賞を受賞しました。

発表後は長期間にわたって聴かれ続け、Billboard JAPANでは2023年にストリーミング累計3億回を突破。2026年6月時点の集計では4億回突破作品として掲載されています。

華やかなドラマや明確な告白を描く曲ではありません。

むしろ、誰にも説明できない関係の中で、別れと再会を繰り返す二人の静かな苦しさが描かれています。

【結論】「恋人ごっこ」は本物の恋を偽物の関係で続ける歌

「恋人ごっこ」の意味をひと言で表すなら、本物の恋心を抱きながら、恋人という名前を持てない二人が、偽物の関係を繰り返す歌です。

二人は、互いにまったく興味がないわけではありません。

身体を重ね、同じ朝を迎え、相手を失うことに傷ついています。

そこには、確かに恋があったのでしょう。

しかし、二人は愛情を正面から言葉にできませんでした。

どちらかに別の相手がいたのかもしれない。

すでに一度別れた恋人同士なのかもしれない。

あるいは、恋人になる覚悟を持たないまま、親密な関係だけを続けていた可能性もあります。

理由は明確にされていません。

ただ、主人公は本当の恋人になれないことを理解しながら、恋人のように振る舞える時間だけを求めています。

ここに、この曲の悲しさがあります。

偽物なのは気持ちではありません。

気持ちは本物なのに、二人が選んだ関係の形だけが偽物なのです。

タイトル「恋人ごっこ」の意味

「ごっこ」とは、ある人物や状況になりきって遊ぶことです。

子どもが行う家族ごっこや店員ごっこでは、演じている本人たちも、それが現実ではないと分かっています。

「恋人ごっこ」も同じです。

二人は、恋人らしい行動をしています。

一緒に過ごす。

触れ合う。

相手の笑顔を求める。

別れを寂しく感じる。

しかし、その関係に正式な名前はありません。

将来の約束も、互いを独占する権利もないのでしょう。

大切なのは、「ごっこ」が必ずしも楽しい遊びではないことです。

最初は気軽な関係だったのかもしれません。

寂しい夜だけ会う。

互いに深入りしない。

本気にならないことを約束する。

ところが、演じ続けるうちに主人公は本気になってしまいました。

恋人のふりをしていたはずなのに、恋人として失う痛みを感じるようになったのです。

二人は本当に恋人ではなかったのか

歌詞では、二人の関係が明確には説明されていません。

そのため、大きく三つの解釈が考えられます。

恋人になる前の曖昧な関係

一つ目は、友人以上恋人未満の関係です。

互いに好意はあり、身体的にも親密ですが、告白や交際の確認をしていません。

主人公は相手へ愛情を伝える機会を逃し続けました。

相手も主人公の気持ちを完全には拒絶していないものの、恋人になる決断はしていないのでしょう。

この解釈では、「恋人ごっこ」は臆病な二人が作った仮の関係です。

告白して拒絶されれば、現在の親密さまで失うかもしれない。

だから本心を隠し、恋人のような時間だけを続けています。

別れた後も会い続ける元恋人

二つ目は、すでに別れた元恋人同士という解釈です。

二人は以前、本当の恋人だった。

しかし何らかの理由で別れ、それでも完全には離れられずにいます。

会えば、以前と同じように触れ合える。

けれど、朝になれば恋人ではない現実へ戻らなければなりません。

この場合の「ごっこ」は、失った関係を一時的に再現する行為です。

二人は新しい恋を始めているのではありません。

壊れてしまった過去を、何度も演じ直しているのです。

誰かに隠さなければならない関係

三つ目は、浮気や不倫など、誰かに知られてはいけない関係です。

歌詞には、主人公が重い罪悪感や秘密を抱えているように感じられる部分があります。

二人のどちらか、または両方に、本来の恋人がいるのかもしれません。

恋人として公に認められないため、二人きりの部屋でだけ恋人を演じる。

外へ出れば、他人のように振る舞う。

この解釈では、「ごっこ」という言葉に、甘さだけでなく後ろめたさが加わります。

既存の考察でも、歌詞に描かれた罪悪感から秘密の関係を読む説と、終わりかけた恋人同士を読む説の両方が示されています。

どの関係が正解なのか

歌詞だけから、二人の関係を一つに断定することはできません。

ミュージックビデオでは一組の男女の関係が描かれているため、別れに近づく恋人同士として受け取ることもできます。

ただし、MVも歌詞のすべてを説明しているわけではありません。

むしろ、関係を限定しないことに、この曲の魅力があります。

付き合っているのに心が離れている二人。

付き合っていないのに身体だけは近い二人。

別れた後も会い続けている二人。

人には言えない関係を持つ二人。

どの場合にも共通しているのは、二人が同じ未来へ進めないと分かりながら、現在だけを繰り返していることです。

「もう一度」が何度も繰り返される理由

主人公は、一度きりの時間を求めます。

しかし、その一度は何度も繰り返されます。

今夜で最後にする。

次に会ったら終わりを伝える。

もう連絡は取らない。

そう決めながら、再び相手を求めてしまうのです。

ここでの「もう一度」は、回数を表す言葉ではありません。

別れを先延ばしにするための合言葉です。

本当に一度だけなら、二人はすでに離れているはずです。

しかし、一度を繰り返せば、関係は終わりません。

主人公は永遠を約束できない代わりに、一夜ずつ関係を延長しようとしています。

未来を求める勇気はない。

けれど、今を終わらせる勇気もない。

その中間にあるのが、「もう一度」という時間なのです。

「運命」は二人を結ぶものではなく、言い訳になっている

恋愛における運命は、一般的には二人を結びつける力として描かれます。

偶然の出会い。

何度離れても再会する関係。

ほかの誰でもなく、その人を選ぶ必然性。

しかし「恋人ごっこ」の主人公は、運命を信じているというより、自分たちの選択を運命にしようとしています。

また会ってしまったのは運命だから。

離れられないのは仕方がない。

何度終わらせようとしても戻ってしまうのは、二人が特別だから。

そう考えれば、自分で決断する責任から逃れられます。

二人を結びつけているのは運命ではなく、未練かもしれません。

孤独や欲望、罪悪感かもしれません。

それでも主人公は、格好の悪い関係を美しい物語へ変えるために、運命という言葉を必要としているのでしょう。

なぜ主人公は愛を伝えられなかったのか

主人公は相手を愛していました。

しかし、その気持ちを十分に伝えられなかったと後悔しています。

なぜ、近くにいたときには言えなかったのでしょうか。

愛を言葉にすれば、関係の意味を決めなければならなくなるからです。

主人公が愛情を告白すれば、相手は答えを求められます。

恋人になるのか。

関係を終わらせるのか。

現在の曖昧な状態を続けることは難しくなるでしょう。

主人公は相手を失いたくないために、愛を伝えませんでした。

しかし、言葉にしなかったことで、結局は相手を失います。

傷つかないための沈黙が、最も避けたかった結末を引き寄せてしまったのです。

愛を伝えなかったことは、優しさだったのか

二人に別の事情があるなら、気持ちを伝えないことは相手への配慮にも見えます。

本気だと伝えれば、相手を困らせてしまう。

相手の生活や別の恋愛を壊すかもしれない。

だから、今だけ楽しめる関係にとどめる。

しかし、主人公の沈黙は完全な自己犠牲ではありません。

愛を伝えなければ、拒絶されずに済みます。

関係の責任を引き受けず、親密な時間だけを得ることもできます。

相手のために黙った部分と、自分を守るために黙った部分。

その両方があったのでしょう。

「恋人ごっこ」は、言えなかった愛を美しく理想化しません。

伝えなかったことで守られたものと、失われたものの両方を描いています。

朝の缶コーヒーが象徴するもの

歌詞には、華やかなディナーや高価な贈り物ではなく、缶コーヒーが登場します。

缶コーヒーは、気軽に買える日常的な飲み物です。

グラスを合わせる正式な乾杯とは違い、二人の関係にも生活感と間に合わせの雰囲気があります。

夜を一緒に過ごした後、二人は缶コーヒーを手にしています。

恋人らしい朝食を囲むわけではありません。

将来について語ることもない。

その場にある飲み物で、短い時間を共有するだけです。

この簡素な乾杯は、二人の関係を象徴しています。

高価ではないから価値がないのではありません。

むしろ、ささやかな時間だからこそ愛しく感じられます。

しかし同時に、その時間が正式な生活へ発展しないことも示しています。

二人は恋人の日常を築いているのではなく、恋人らしい朝の一場面だけを借りているのです。

乱れた寝具が示す「身体と心の距離」

二人は身体的には近い関係です。

夜をともに過ごしたことを思わせる生活の痕跡も描かれています。

しかし、身体が近いからといって、心も同じ距離にあるとは限りません。

むしろ二人は、言葉で向き合うことを避けるために、身体的な親密さへ逃げているようにも見えます。

抱き合っている間は、関係に名前がなくても気にならない。

相手が自分を愛しているのか、問いたださずに済む。

しかし朝になれば、現実が戻ります。

自分たちは何なのか。

次はいつ会うのか。

この先も続けるのか。

二人は、その問いへ答えられません。

身体が最も近づいた後に、心の距離が最もはっきり見えてしまう。

その残酷さが、朝の場面には込められているのです。

「言う通りにする」という姿勢が示す力関係

主人公は、相手の望みに合わせようとします。

恋人になりたい。

本気の愛を伝えたい。

それでも相手が拒むなら、正式な恋人でなくてもよい。

自分の希望を引っ込め、相手が受け入れられる関係まで条件を下げているのです。

これは対等な恋愛とはいえません。

主人公は、相手を失わないことを最優先にしています。

そのため、自分が傷つく条件でも受け入れてしまいます。

会いたいときだけ会う。

愛情を確認しない。

未来を求めない。

相手が離れたいと言えば追わないふりをする。

こうした約束は、主人公の望みではありません。

相手のそばにいるために、自分へ課した制限です。

愛されるために、自分の願いを小さくし続ける。

その結果、主人公は相手と一緒にいても満たされなくなっていきます。

なぜ相手の笑顔だけを求めるのか

主人公は、自分が幸せになることより、相手が今だけ笑っていることを願います。

美しい自己犠牲にも見えるでしょう。

しかし、この願いには別の側面があります。

相手が笑っていれば、関係がまだ壊れていないと思えるからです。

本当は離れたい相手。

罪悪感を抱えている相手。

主人公を愛せない相手。

そのような本心を見せられれば、主人公は現実と向き合わなければなりません。

笑顔は、二人が恋人を演じ続けるための仮面です。

主人公は相手を幸せにしたいだけでなく、自分が安心するためにも笑顔を求めているのでしょう。

相手の笑顔を愛している。

同時に、その笑顔によって真実を隠したい。

優しさと自己防衛が、一つの願いの中に重なっています。

坂道と荷物が意味する恋愛の疲労

二人の関係は、平坦な道ではありません。

進むほど苦しくなる坂道のようなものとして描かれています。

最初は軽い気持ちで始めた関係だったのかもしれません。

一時的な寂しさを埋める。

深い意味は持たせない。

互いに自由でいる。

しかし、関係が長くなるほど荷物が増えていきます。

期待。

嫉妬。

罪悪感。

相手を独占したいという願い。

いつか恋人になれるかもしれないという希望。

歩き始めたときには気づかなかった感情が、疲れた頃になって重く感じられるのです。

主人公にとって最も重い荷物は、相手そのものではありません。

愛しているのに、その愛を認められない状態です。

関係を続けることも苦しい。

手放すことも苦しい。

その両方を抱えて、主人公は坂道を歩いています。

忘れたいのに、忘れてほしくないという矛盾

主人公は、この関係から自由になりたいと思っています。

相手を忘れられれば、苦しみは終わるでしょう。

しかし、自分だけが相手を忘れることには耐えられても、相手から忘れられることには耐えられません。

自分は苦しんでいるのに、相手は簡単に日常へ戻ってしまう。

自分との時間が、相手にとっては小さな出来事にすぎなかったと知る。

その可能性が怖いのです。

だから主人公は、忘れたいと願いながら、自分を忘れないでほしいとも願います。

これは矛盾ではありますが、失恋では珍しい感情ではありません。

別れたい。

けれど、引き止めてほしい。

離れたい。

けれど、追いかけてほしい。

主人公が求めているのは自由だけではありません。

自分が相手にとって確かに大切だったという証拠なのです。

二人が隠してきた「罪」とは何か

歌詞に登場する罪は、二人の関係を読み解く大きな鍵です。

第一に考えられるのは、浮気や不倫など、第三者を傷つける秘密です。

誰かに知られてはいけない関係だから、二人は恋人と名乗れない。

会う場所や時間も限られ、愛情を公にできない。

この解釈では、主人公の苦しみは失恋だけでなく、罪悪感からも生まれています。

ただし、罪は法的・道徳的な裏切りだけを意味するとは限りません。

本心を隠した罪

主人公は愛しているのに、愛を伝えませんでした。

相手の前で平気なふりをし、軽い関係で満足しているように振る舞いました。

本心を隠したことで、相手にも本当の選択をさせなかった。

これも一つの罪と考えられます。

自分自身を裏切った罪

主人公は、本当は恋人として大切にされたかったはずです。

それなのに、自分の願いを否定し、不十分な関係を受け入れました。

相手に捨てられたくないために、自分自身の心を後回しにしています。

この場合の罪とは、相手に対する裏切りではありません。

自分を大切にしなかったことへの後悔です。

終わるべき関係を続けた罪

二人は、この関係が互いを幸せにしないことに気づいています。

それでも、今日だけ、もう一度だけと続けてきました。

相手を傷つけ、自分も傷つくと分かっている関係を終えなかった。

その共犯性も、罪という言葉に含まれているのでしょう。

なぜ二人は無駄な会話を続けるのか

重大な秘密や別れの予感を抱えているとき、人はかえって何でもない話を続けることがあります。

天気。

テレビ番組。

仕事。

最近食べたもの。

本当に話さなければならないことから目をそらすためです。

沈黙すれば、関係の問題が見えてしまう。

愛しているのか。

別れるのか。

次も会うのか。

二人は、その問いを避けるために、意味のない会話で時間を埋めているのでしょう。

しかし、無駄な話そのものが無意味なわけではありません。

もうすぐ別れる相手との何気ない会話は、主人公にとってかけがえのない時間でもあります。

重要な結論を出さず、二人で話し続ける。

それによって、関係をもう少しだけ現在に置いておけます。

何でもない会話は、真実から逃げるための壁であると同時に、最後に残された親密さでもあるのです。

「確かに」と「確かな」の違い

歌詞では、恋を振り返る表現がわずかに変化します。

最初は「間違いなく恋をしていた」という事実確認に近い響きです。

その後は、「確かな恋だった」と、恋そのものの価値を認める響きへ変わっていきます。既存の歌詞考察でも、この助詞の変化が二人の関係を読むポイントとして指摘されています。

この小さな変化は、主人公の心の動きを表しているのでしょう。

最初の主人公は、自分たちが本当に恋をしていたのか確信できません。

恋人ではなかった。

愛を言葉にできなかった。

未来も作れなかった。

それでも、好きだったという事実だけは否定できない。

物語が進むにつれて主人公は、関係の名前ではなく、自分が感じた思いを信じようとします。

二人が恋人だったかどうかは重要ではありません。

関係が不完全でも、そこで生まれた恋まで偽物になるわけではないのです。

「恋人ごっこ」であっても恋は本物だった

恋愛は、交際を宣言した瞬間にだけ生まれるものではありません。

恋人という名前がなくても、相手を思う気持ちは存在します。

反対に、正式な恋人であっても、互いの心が離れている場合もあります。

「恋人ごっこ」という関係は偽物です。

しかし、主人公が抱いた恋心まで偽物とは限りません。

むしろ、本物の感情を偽物として扱わなければならなかったからこそ、主人公は苦しんでいます。

愛しているのに、愛していないふりをする。

恋人になりたいのに、恋人でなくてもよいと言う。

失いたくないのに、いつでも離れられるように振る舞う。

主人公は相手に嘘をついているだけではありません。

自分自身にも嘘をつき続けているのです。

なぜ主人公は一度関係を終わらせようとするのか

物語の後半で、主人公は同じ関係を繰り返すことをやめようとします。

これは相手を嫌いになったからではありません。

むしろ、愛情が深くなりすぎたからです。

軽い関係でいられるうちは、恋人ごっこを続けられます。

しかし、相手を本気で愛してしまえば、偽物の立場では耐えられません。

相手の一番になりたい。

日中も堂々と会いたい。

未来を約束したい。

自分以外の誰かへ戻ってほしくない。

そうした願いが大きくなるほど、現在の関係は苦しくなります。

主人公は恋を諦めたいのではありません。

自分を壊す愛し方を終わらせようとしているのです。

それでも「また同じような恋」を望む理由

関係を終わらせようとしながら、主人公は、この恋そのものを完全には否定しません。

つらかった。

報われなかった。

罪悪感もあった。

それでも、もう二度と恋などしたくないとは考えていないのです。

これは、相手との関係へ戻りたいという意味にも読めます。

同時に、人を深く愛した経験を後悔したくないという意味にも考えられます。

恋が叶わなかったからといって、恋をした時間まで失敗になるわけではありません。

名前のない関係でも、主人公は本気で誰かを求めました。

その経験によって、自分が本当は何を望んでいたのかを知ったのでしょう。

次に恋をするときには、曖昧な関係へ逃げず、愛を言葉にしたい。

主人公の願いには、そのような未来への反省も込められているのではないでしょうか。

身体の細部ばかりが記憶に残る理由

別れが近づくと、主人公の記憶には、相手の身体や触れ合った感覚が強く残ります。

これは、二人の関係が身体的な親密さによって支えられていたことを示しています。

同時に、人を失った後の記憶の特徴でもあります。

将来について話した内容より、肩の形を覚えている。

愛情を語った言葉より、濡れた髪の感触を思い出す。

人間の記憶は、重要な出来事だけを保存するわけではありません。

匂い、温度、肌触りといった感覚が、何年も残ることがあります。

主人公が忘れられないのは、抽象的な恋愛関係だけではありません。

自分のすぐそばに、確かに相手がいたという身体的な記憶です。

だからこそ、関係に名前がなくても、恋が存在したと信じられるのでしょう。

言葉を手放そうとする主人公の矛盾

主人公は、次に相手といられるなら、もっと正直に気持ちを伝えたいと願います。

しかし同時に、最後には言葉そのものを諦めようとします。

伝えたい。

けれど、伝えても関係は変わらない。

愛していると言えば、相手を困らせるかもしれない。

黙っていれば、自分だけが後悔する。

主人公は、言葉を信じたい気持ちと、言葉ではどうにもならない現実の間で揺れています。

二人の問題は、単なる説明不足ではないのでしょう。

愛を伝えれば、すべて解決するわけではありません。

どれほど愛し合っていても、一緒にいられない事情があります。

主人公はその事実へ気づいたため、言葉によって関係を取り戻すことを少しずつ諦めていくのです。

最後の「帰還」と「別れ」が同時に存在する意味

曲の最後には、帰ってきたことを告げる言葉と、別れを告げる言葉が重ねられます。

通常、帰還は関係の再開を意味します。

待っている人のもとへ戻り、安心できる場所に入る言葉です。

一方、別れは、その場所から出ていく言葉です。

反対の意味を持つ二つが並ぶことで、二人の関係が表現されています。

会うたびに、主人公は相手のもとへ帰ってきたように感じる。

しかし、再会した瞬間から、次の別れも始まっている。

二人の間では、帰ることと離れることが一つの出来事になっているのです。

相手は主人公にとって、帰りたい場所です。

けれど、その場所に住み続けることはできません。

何度帰っても、そのたびに別れなければならない。

この循環こそが、「恋人ごっこ」の正体なのでしょう。

「ただいま」と言える相手が恋人とは限らない

人は、自分が安心できる相手を「帰る場所」のように感じることがあります。

正式な恋人でなくても、そばにいると落ち着く。

弱い自分を見せられる。

何度離れても、また会いたくなる。

主人公にとって、相手はそのような存在だったのでしょう。

しかし、居心地のよい場所が、自分にとって正しい場所とは限りません。

帰るたびに傷つく。

安心と引き換えに、自尊心を失う。

未来を期待するたびに裏切られる。

それでも慣れた苦しさを、未知の孤独より安全だと感じてしまいます。

主人公が本当に手放さなければならないのは、相手だけではないのかもしれません。

この人以外に帰る場所はない、という思い込みです。

二人は別れた後、再会するのか

楽曲は、二人の未来を明確には描きません。

最後の別れが本当に最後になった可能性もあります。

しかし、これまで何度も「一度だけ」を繰り返してきた二人です。

再び寂しい夜が来れば、連絡してしまうかもしれません。

主人公が本気で関係を終えるためには、相手への連絡を断つだけでは足りないでしょう。

自分は本当はどのような関係を望んでいたのか。

なぜ曖昧な愛を受け入れてしまったのか。

その問いと向き合う必要があります。

答えを見つけなければ、同じ相手ではなくても、別の人物と再び「恋人ごっこ」を始めてしまうかもしれません。

この曲は、一度の別れだけを描いた作品ではありません。

名前のない関係を繰り返してしまう主人公が、その恋愛の癖に気づく物語でもあるのです。

MVが描く「過去を美しく撮り直すこと」

「恋人ごっこ」のMVは、一組の男女を中心にしたシネマティックな作品です。

井樫彩監督が手がけ、はっとり自身も演者として出演しています。映像作品としても高く評価され、「MTV VMAJ 2020」で最優秀邦楽新人アーティストビデオ賞を受賞しました。

映像になることで、歌詞だけでは明確でなかった二人の時間に、具体的な表情や風景が与えられます。

ただし、MVに映る二人も、関係のすべてを説明してはくれません。

笑顔の場面があっても、本当に幸せだったのかは分からない。

親密な時間があっても、同じ未来を望んでいたとは限らない。

これは失恋後の記憶にも似ています。

過去を振り返るとき、私たちは出来事を映像のように編集します。

幸せだった瞬間だけをつなぎ、別れた理由を小さくする。

あるいは、傷ついた場面ばかりを集め、相手を悪者にする。

主人公が思い出している二人の恋も、客観的な事実そのものではなく、別れに耐えるために編集された物語なのかもしれません。

はっとりの楽曲コメントが示す循環

公式MVの説明欄には、帰ってくることと別れることを何度も繰り返す関係を思わせる、はっとりの短いコメントが掲載されています。

このコメントからも、「恋人ごっこ」が一度きりの失恋ではなく、再会と別れの循環を描いた曲だと読み取れます。

二人は会うたびに少し変わっています。

以前とまったく同じ関係へ戻れるわけではありません。

それでも、慣れたぬくもりや会話は残っている。

違っているのに、変わっていないように感じる。

この微妙な感覚が、元恋人や曖昧な相手との再会にある切なさです。

優しいサウンドと重い関係が共存する理由

「恋人ごっこ」は、激しい怒りや絶望を前面に出した曲ではありません。

柔らかなメロディーと親しみやすいバンドサウンドによって、穏やかに進んでいきます。

しかし、歌われている関係は決して穏やかではありません。

愛を伝えられない。

対等になれない。

秘密や罪悪感を抱えている。

別れるべきだと分かりながら、離れられない。

明るさを含んだ音と、重い歌詞の差によって、二人の関係がより現実的に感じられます。

苦しい恋愛の中にいても、すべての時間が暗いわけではありません。

一緒に笑う瞬間がある。

触れ合えば安心する。

何でもない会話が楽しい。

幸せな時間があるからこそ、関係を簡単には捨てられないのです。

「恋人ごっこ」が多くの人に響く理由

現代の恋愛には、名前を付けにくい関係が数多くあります。

頻繁に連絡を取る。

二人だけで会う。

身体的にも親密である。

けれど、交際しているのかと尋ねると答えられない。

関係を確認すれば壊れてしまう気がして、何も聞けない。

そのような曖昧さは、自由で気楽に見えます。

しかし、片方だけが本気になった瞬間、非常に残酷な関係へ変わります。

恋人ではないため、相手を責める権利がない。

嫉妬しても、自分には関係ないふりをしなければならない。

別れを告げられなくても、いつの間にか会えなくなる可能性がある。

「恋人ごっこ」は、その不安を言葉にしています。

付き合っていないのだから、失恋ではないと言われるかもしれない。

しかし、心は恋人を失ったときと同じように傷つきます。

関係の名前が偽物でも、喪失の痛みは本物なのです。

愛を伝えることと、関係を続けることは別である

主人公は、もっときちんと愛を伝えていれば、相手を失わなかったかもしれないと考えています。

確かに、言葉が足りなかった部分はあるでしょう。

しかし、愛を伝えれば必ず関係を続けられるとは限りません。

互いに愛していても、事情によって離れなければならない場合があります。

求める関係が違えば、一緒にはいられません。

片方が恋人になりたくても、もう片方が自由な関係を望むなら、愛情だけでは埋められない差が残ります。

主人公が学ぶべきなのは、愛を伝える技術だけではないのでしょう。

自分が求める愛の形を認め、その形を与えられない相手から離れる勇気です。

「恋人ごっこ」に関するよくある疑問

二人は正式な恋人ですか?

明確には説明されていません。

友人以上恋人未満、別れた後も会い続ける元恋人、誰かに隠さなければならない関係など、複数の解釈ができます。

MVでは一組のカップルを思わせる物語が描かれていますが、歌詞の唯一の正解とは限りません。

「恋人ごっこ」は浮気や不倫の歌ですか?

秘密や罪悪感を感じさせる表現があるため、浮気や不倫として読むことはできます。

一方で、本心を隠したことや、自分を大切にしない関係を続けたことを「罪」と捉えることもできます。

なぜ恋人でなくてもよいと言うのですか?

主人公が、正式な関係よりも、相手とのつながりを失わないことを優先しているからです。

本当は恋人になりたいものの、それを求めて拒絶されるくらいなら、不完全な関係でも受け入れようとしています。

二人の「罪」とは何ですか?

第三者を裏切る秘密の関係、本心を隠したこと、自分自身を大切にしなかったこと、終わるべき関係を続けたことなどが考えられます。

歌詞では一つに限定されていません。

主人公は最後に相手を諦めたのですか?

別れを受け入れようとはしていますが、完全に気持ちを整理できたとは考えにくいでしょう。

再会と別れを何度も繰り返してきたため、最後の決断も揺らぐ可能性があります。

ただし、自分たちの関係を続けてはいけないと認識したことは、大きな変化です。

「確かに」と「確かな」には違いがありますか?

前者は、恋をしていた事実を確認する響きがあります。

後者は、その恋自体に確かな価値があったと認める響きです。

主人公が、関係の名前ではなく、自分の感情を信じられるようになった変化だと考えられます。

MVに出演しているのは誰ですか?

はっとり、秋田汐梨、赤瀬一紀です。監督は井樫彩が務めました。

まとめ|「恋人ごっこ」は名前のない愛に別れを告げる歌

マカロニえんぴつの「恋人ごっこ」は、恋人ではない二人が、恋人のような時間を繰り返す歌です。

二人は身体的にも精神的にも、決して遠い関係ではありません。

同じ夜を過ごし、何でもない話をし、朝には缶コーヒーで短い時間を共有する。

それでも、二人は自分たちを恋人とは呼べません。

どちらかに別の相手がいたのかもしれない。

一度別れた関係なのかもしれない。

恋人になることを恐れ、曖昧な場所へ逃げた二人なのかもしれない。

関係の正体は明言されていません。

しかし、主人公の恋心は明確です。

本当は愛している。

本当は恋人になりたい。

本当は失いたくない。

それでも主人公は、自分の願いを隠し、恋人のふりだけで満足しようとします。

相手のそばにいるために、自分が望む関係を諦めたのです。

その結果、主人公は相手を失うだけでなく、自分自身の気持ちも見失っていきます。

タイトルの「ごっこ」が指すのは、恋が偽物だったということではありません。

二人の恋は本物でした。

しかし、本物の気持ちにふさわしい関係を選べなかった。

だから、恋人という役だけを演じ続けたのです。

何度も繰り返される一度きりの再会は、未来へ進むためのものではありません。

別れを先延ばしにするための時間です。

会えば安心する。

離れれば苦しい。

再び会えば、また別れなければならない。

二人は、帰ることと別れることを同時に繰り返しています。

主人公が最後に手放そうとするのは、一人の相手だけではありません。

いつかこの曖昧な関係が本物へ変わるかもしれないという期待です。

愛しているなら、どのような関係でも受け入れるべきだと思っていた。

しかし、自分を傷つけ続ける愛し方は、相手への愛だけではなく、自分への裏切りにもなります。

恋人でなくてもよいと口にしながら、心では恋人になりたいと願う。

その矛盾を認めたとき、主人公はようやく「ごっこ」を終わらせることができます。

恋が本物だったからこそ、偽物の関係では続けられない。

「恋人ごっこ」は、報われなかった恋を否定する歌ではありません。

名前のない愛にも確かな価値があったと認めたうえで、その愛へ別れを告げる歌なのではないでしょうか。

この記事を書いた人
yuya
yuya

運営者:yuya
担当:記事の企画・執筆・編集・事実確認
運営開始:2021年
主なテーマ:邦楽の歌詞考察・楽曲解説

当サイトを運営しているyuyaです。

音楽作品には、言葉だけを追ったときには見えなかった感情や物語が隠れていることがあります。

記事を執筆する際は、一部分の歌詞だけで結論を出すのではなく、楽曲のタイトル、歌詞全体の流れ、語り手の視点、曲調、ミュージックビデオ、アーティストの公式コメントなどを可能な範囲で確認しています。

作者の意図を一方的に決めつけるのではなく、「このように読むこともできる」という視点を提示することを大切にしています。

yuyaをフォローする
マカロニえんぴつ