今回は「King Gnu(キングヌー)」のヒット曲、「壇上(だんじょう)」について曲の考察を行ってみたいと思います。
「壇上」概要・曲紹介
『壇上』はKing Gnuの2枚目のアルバムである「CEREMONY」に収録されています。
他の楽曲とは雰囲気も異なり、非常に哀愁が漂うバラード曲となっています。
歌詞もKing Gnuのメンバーである常田さんが、現状のKing Gnuの音楽活動に対する疑問や迷いを表現、そしてこれからの目標や決意・想いを綴ったものになっています。
その背景には、常田さんがKing Gnuを解散したいと思うほど、精神的に悩んでいた時期に書いたということがあったため、ファンの間では解散説も噂された程です。
今回はそんな『壇上』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。
「壇上」の意味・背景
ではまず「壇上」の意味について考えます。
壇上とは演壇や教壇などの上のことを指す意味になります。
このタイトルだけですと、どうしてこの言葉が曲名なのか分かりにくいです。
しかし、King Gnuが近年、売れるための曲ばかりを作っていく音楽活動に対して、嫌気がさしていたという背景から察するに、「壇上に立たされていた」という意味が込められているような気がします。
そして、「壇上」は自らの意見や主張を発信する場所でもあります。
歌詞にはこれからの音楽活動に対する思いや決意が綴られていますので、「決意表明」という意味も含まれているのではないでしょうか。
では次にそうした背景も踏まえて、実際に歌詞の考察をしていきます。
歌詞解釈
1番
叶いやしない
願いばかりが積もっていく
大人になったんだな
ピアノの音でさえ胸に染みるぜ
出だし部分から悲壮感が漂ってきます。
「叶いやしない」「大人になったんだな」というフレーズから考えると、忙しさに追われ今までに「やりたかったこと」や、「叶えたかったこと」がまったく実現できずにいる様子が伝わります。
ピアノの音という単純な音でさえ、忙しい彼らにはある意味新鮮に聞こえるくらい、落ち着いて「音楽」について考える余裕がなかったのではないでしょうか。
君はすっかり
変わってしまったけど
俺はまだここにずっといるんだ
汚れた部屋だけを残して
ここで言う「君」とはおそらく、昔の音楽が好きだった頃の「自分」を指していると考えられます。
そして「俺」というのは、忙しい毎日に追われ、本当にやりたかった音楽をできずに悩む、今現在の自分なのではないでしょうか。
汚れた部屋は昔の自分がやりたかった音楽のことを指していると思われます。
ちっぽけな夢に囚われたままで
売り払う魂も残っちゃいないけど
君のすべては俺のすべてさ
なんて言葉は過去のもの
今ならこの身さえ差し出すよ
ちっぽけな夢はメジャーデビューして売れるということではないでしょうか。
そして、魂を売り払うという言葉は、倫理的に良くない行動をする際に使用される言葉です。
このことから、売れるために今までやってきた音楽活動に、少なからず悪いイメージや後悔を感じていたということが分かりますね。
何も知らなかった自分を
羨ましく思うかい?
君を失望させてまで
欲しがったのは何故
何もかもを手に入れた
つもりでいたけど
もう十分でしょう
もう終わりにしよう
何も知らなかった自分=好きな音楽だけをやりたかった「過去の自分」、ということではないでしょうか。
売れるための音楽活動も必要であることを知らない、純粋無垢な過去の自分を羨むのか?と、今の自分に自問自答していると思われます。
純粋に音楽が好きだった過去の自分が、今の売れるために必死に音楽をやっている自分を見たら失望するであろう、というようなニュアンスも感じます。
お金も人気も手に入れた彼らですが、最後にはそんな初心を忘れた、売れるためだけの活動や行動とは決別し、終わりにしようと決意しているようです。
2番
目に見えるものなんて
世界のほんの一部でしかないんだ
今ならそう思えるよ
目に見えるものは、過去の売れていなかった頃の自分たちが抱いていた、トップアーティストに対する強い憧れなのではないでしょうか。
そんな煌びやかな人気アーティストの様子は、外から見た一部でしかないと言っています。
本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある
そしてここからトップアーティストならではの抱える悩みや苦悩、葛藤があったという事実が見えてきます。
おそらく常田さん自身、相当に自分たちがやっている音楽活動に対して、迷いや疑念を抱いていたのでしょう。
非常に切ない歌詞ですね。
履きなれた靴で出かけよう
靴音を高らかに響かせながら
決して足跡を消さないで
いつでも辿れば
君の元に帰れるように
履きなれた靴で出かけようというのは、おそらく過去の自分たちの気持ち、即ちやりたかった音楽をやっていこう、という想いなのではないでしょうか。
そして、足跡を消さずにいることで、いつでもそんな初心を思い出せるようにしていこうという決意が感じられます。
そばにいて欲しいんだ、どんな未来でも
譲れぬものだけを胸に歩いていくんだ
自分の身の丈を知り、それでも
背けずに見つめられるかい?
骨までずぶ濡れの明日さえも
信じられるかい?
「譲れぬものだけを胸に歩いていく」とあることから、ここでも好きな音楽をやりたかった自分の初心を忘れずに、どんなことがあっても譲らずに行こうという決意が分かります。
しかしながら、自問自答で自身のちっぽけな身の丈を知っても、過酷でずぶ濡れになるような未来が待ち受けていたとしても、その初心を貫けるのか?と投げかけています。
最終列車はもう行ってしまったけれど
この真夜中を一緒に歩いてくれるかい?
何時間かかってもいいんだ
ゆっくりでいい
この足跡を辿って
確かな足取りで帰ろうよ
最終列車とは売れるための音楽活動を指しているのではと思います。
そんなメジャー路線から外れてしまったとしても、暗がりの中でも手探りでもがき、そして過去の本当にやりたかった音楽があった頃の自分に戻ろうよと綴っています。
まとめ
以上、King Gnuの『壇上』の考察でした。
これまでの音楽活動とは決別し、原点回帰で新たな方向性を見出そうとしている、そんな想いが溢れる歌詞でした。
常田さん以外のメンバーもこれまでの音楽に対して、違和感や迷いがあったようですので、これからこの楽曲や「CEREMONY」のアルバムを機に、彼らがどう変わっていくか非常に楽しみですね!
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