ミュージシャンに限らず処女作というものは、以降活動が何年続こうともそのアイデンティティや活動指針を特に強く表すもの。
つまり、「そのバンドを通して何がやりたいのか?」といった意思は、活動初期であるほどに、その意思に根ざした作品が発表される傾向にあると言って差し支えないかと思います。
2005年11月に活動休止を発表していたザ・ハイロウズの甲本ヒロトと真島昌利が、翌2006年春には結成していたのがザ・クロマニヨンズでした。
今回取り上げる「タリホー」に触れる前に、ザ・クロマニヨンズで取り組み、そして挑みたかった活動指針や意思について、まずは考えてみたいと思います。
結成した最初期となる2006年の活動は、夏フェスなど複数のライブイベント出演から始まります。
しかし、ヒロトとマーシーによるバンドという事は伏せた状態で、ザ・クロマニヨンズの名前はアナウンスされています。
とはいえ、熱心なファンの多い二人のバンドですから、このサプライズは出演前に多くのファンから予想を立てられてしまう事になりますが、この事からは以下のような予測が立てられます。
「先入観なくフラットに自分達を観てもらいたかった。」
無論、バンドとしてステージに立ってしまえば、メンバー名を伏せたところでその時点で分かってしまう事ではありますが、ザ・ブルーハーツやザ・ハイロウズの活動でパブリックイメージや求められる物も固まっている事に対して、表現者であれば抗いたいと感じるのはごく自然な事のように思えます。
この匿名性への試みは、2010年に川崎クラブチッタで行われた「モッズメーデー」出演時にも取り組まれました。
「ザ・ネアンデルタールズ」というバンド名で出演発表を行い、往年のロック・クラシックのカバーバンドとして、ザ・クロマニヨンズはステージで演奏を披露しています。
メンバー本人の口から語られているのを聞いた訳ではないので、あくまでも推測になりますが、少なからず結成初期の段階では匿名性を持たせる事で、「自分達がまだ無名であった頃のようにバンド活動を楽しみたい。」という意図があったように感じられます。
そして、2006年9月にデビューシングルとして自身のレーベルとなるHAPPY SONG RECORDSからリリースされたのが「タリホー」です。
ここでも自主レーベルからのリリースという点に、上述の意図が感じられます。
おそらく多くのファンが感じた事かと思われますが、作曲は非常にザ・ブルーハーツ的です。
ザ・ブルーハーツの初期の名曲「世界のまん中」を想起したという声も散見しました。
一方で作詞に目をやると、「タリホー」という言葉選びや歌詞全体の抽象度の高さなどからは、どちらかと言えばザ・ハイロウズ的な物を感じます。
ここまでの考察を一旦まとめると、これまでのキャリアを出来るだけフラットに戻してバンド活動を純粋に楽しもうという意思のもと結成され、その楽曲はザ・ブルーハーツとザ・ハイロウズの中間に位置するようなバンドという所でしょうか。(個人的には、ややザ・ブルーハーツ寄りと捉えていますが)
もっとシンプルに言えば、(名前が売れきってしまった今、それは不可能だとしても)無邪気にロックバンドとして楽しみたいというコンセプトのように思えます。
それでは「タリホー」の歌詞を見ていきましょう。
わいタリホー さめタリホー 氷もほっときゃ 流れるぜ
こう歌い出されますが、やはりまず曲名でもある「タリホー」が気になります。
Wikiによると、”軍事用語で目標捕捉の意味”とあり、解釈としてもこの通りで間違い無いように思いますが、掛け声や呪文のようにも響くこの言葉を使うあたりはヒロト一流の物を感じさせられます。
また、サビ始まりの曲となる為、この一節はサビに相当し、曲中3度繰り返されます。
なので、ここで先に何を歌った曲なのかに触れますが、「”水”を人生(自らのバンドキャリア)のメタファーとして歌った決意表明ソング」、おおよそこう解釈して間違い無いかと思います。
その上で冒頭の一節を改めて読み直すと、「”わいタ”リホー」、「”さめタ”リホー」は”湧いた”、”冷めた”が隠されており、次の「氷も」「流れるぜ」は言葉通りに読む事で、水・氷・水蒸気という水の三態に例えた歌詞であると解釈が可能です。
あれはカモメか 翼の上か そのまま長い堤防か 形は変わる 自分のままで あのとき僕は ああだった
続いてこう歌われます。
これも水をメタファーにしていると考えると、「カモメ」や「堤防」と海辺、つまり水にちなんだ描写で表現が成されている事が分かります。
カモメの翼は自由な様の、堤防は困難や行き詰まりのメタファーとして、人生に見立てた例えであると読むことができます。
闇に溶けてゆく 海へ 海へ まぶしい陽に昇る 空へ 空へ
これも水の三態に置き換えると、氷から溶けて水になり、太陽によって水蒸気に形を変える描写となり、やはり人生に置き換える事が可能です。
ほんとうのとき 教える時計 おもいをはかる 温度計 涙の記憶 消えたりしない 漂っている 赤道か
「”水”を人生(自らのバンドキャリア)のメタファーとして歌った決意表明ソング」と先に書きましたが、特にこの一節により、我々リスナーに向けたメッセージソングとしての機能を持たせつつも、自身のキャリアを振り返り、新たなバンドをスタートする決意表明めいた意図を感じます。
「ほんとうのとき 教える時計」はこれまで経てきたキャリアを、「おもいをはかる 温度計」はバンドや音楽への思いの強さを、「涙の記憶 消えたりしない」はこれまでの音楽キャリアや人生における苦く辛い時期・瞬間の記憶について振り返っていると推察できます。
そして「漂っている 赤道か」は今なお変わらず持っているバンドや音楽への情熱とも取れますし、タリホーを目標捕捉と考えると、実現したい夢を捕捉しかけている様や、その近くに漂い続けられている今を示しているとも受け取れます。
ヒロトは「バンドをやるのが夢だったので、バンドを始めてからはずっと夢が叶っている状態。」とも語っていた事があるので、後者の方がしっくりとくるかもしれませんね。
「タリホー」は、バンドマンとして既に輝かしいキャリアを持つ者が新たに始めるバンドのデビュー曲としては、バンドや音楽に対してあまりに純粋な姿勢を示した、眩くファンを惹きつける魅力に溢れた一曲だと思えてなりません。
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