【全力少年/スキマスイッチ】歌詞の意味を考察、解釈する。

本作では、現在の自己と過去の自己の存在が描かれています。

それぞれの関係性は、1番と2番の状態で微妙に変化しています。

1番では、

  • 過去の自己は何かを追い求めて苦労しています。
  • 現在の自己は成功を収めています。
  • 成功した自己は、過去の自己を励まし支えています。

2番では、

  • 過去の自己は周囲に輝くものがありました。
  • 現在の自己は仕事に追われて笑顔が少ない状態です。
  • 成功はしているが、楽しさを見失い、過去の大切な要素を思い出します。

この構造にサビが絡んできて、主人公の内面で「全力少年」の意味や定義が変化していきます。

最終的に、答えにたどり着くという展開です。

以上の要素を念頭に置きながら、物語をお楽しみください。


躓いて転んでたら置いてかれんだ

泥水の中を今日もよろめきながら進む

汚れちまった僕のセカイ 浮いた話などない

染み付いた孤独論理 拭えなくなっている

一読すると、目標に向かって努力していることが明確に伝わります。

タイトルに「全力少年」とあるため、主人公は少年のように思われますが、もちろん主人公が自分自身として捉えることも可能です。

物語は競争の中で主人公が自分を投じて、まだ結果を出せずに苦闘し、恋愛や青春を犠牲にして孤独に耐える様子を描き出しています。
彼はミュージシャン、漫画家、スポーツ選手など、ある道に真剣に進みたいと思っている少年(または少女)です。

しかし、より注意深く読んでみると、物語は主人公が成功した現在の自己が、かつてもがいていた少年時代の自己を回想している視点で進んでいることが分かります。

直接的な表現はないため、理解しにくいかもしれませんが、2番まで進むとこのことが明確になります。


試されてまでもここにいることを決めたのに

呪文のように「仕方ない」とつぶやいていた

常に競争の中に身を置き、自分自身を試される覚悟を持っていましたが、うまくいかずに少しずつ諦めの気持ちが芽生えていったようです。

しかし、過去の自己に対して未来の自己が応援の言葉を送ります。


積み上げたものぶっ壊して 身につけたもの取っ払って

止め処ない血と汗で乾いた脳を潤せ

あの頃の僕らはきっと全力で少年だった

セカイを開くのは誰だ?

一読すると、誰かが誰かに対して言葉をかけていることが分かります。

「誰に?」というのはおそらく、過去の自己たち(「あの頃の僕ら」)に対して言っているのだろうと想像できます。

では、「誰が?」というと、それは2番を読むことで明らかになります。

言葉を送っているのは成功した現在の自己です。

ここから考えると、成功した自己が過去を振り返って「今は大変な時期かもしれないけど、もがき続けて前進すれば新たな道を切り開けるから大丈夫だよ」と励ましていることがわかります。

「あの頃の僕」ではなく「あの頃の僕ら」と複数形が使われているのは気になります。

主人公が過去の自己を回想しているのに、なぜ複数形なのでしょうか?

おそらく、当時の自己と仲間(多くは諦めて去っていった人々)も含めて言っているのでしょう。

成功した自己だけでなく、挫折したり諦めた仲間たちも含めて「よく頑張ったね」と、現在の自己が慰めているのだと思います。

また、音楽なら音楽を諦めたとしても、他の道で「新たな道を切り開ける」ことができるというエールも送っているかもしれません。

さらに、注意すべき点として「あの頃の僕らはきっと」という表現があります。

「きっと」という言葉には確証がないという意味が含まれています。

成功した主人公は、昔を振り返って「たぶん、あの頃の自己たちは『全力少年』だったのだろう」と予想しています。

なぜそんなことをするのかというと、現在の自己が「全力少年」とは異なる自己であることに気付いたからです。

この前提で、2番に進んでいきましょう。


遊ぶこと忘れてたら老いて枯れんだ

ここんとこは仕事オンリー 笑えなくなっている

1番の「置いてかれんだ」が2番では「老いて枯れんだ」となっています。

この言葉遊びには、単なる遊び以上に意味が込められています。

両方の表現は焦燥感を表していますが、それぞれ主人公の年齢に応じて適切に表現されています。

1番の主人公は少年です。

「置いてかれる」という表現には、少年らしい焦りや劣等感、競争の中での不安が感じられます。

2番の主人公は成人になっています。

成功はしていますが、この時には中年らしい体力の衰えや創造力の減退から生じる新たな不安や劣等感が現れます。

それを「老いて枯れる」という表現で示しています。

このように、主人公の年齢や歌詞の構造を正しく理解することで、言葉遊び以上の深みが浮かび上がってきます。

この二行を一読すると、時間が飛び越えて進んだことを強く感じます。

1番を含めて考えると、主人公は少年だった過去の自己に対して自虐的な態度を示しているようです。

さらに、主人公は「遊ぶことを忘れ」て「笑えなくなっている」ほど仕事に忙殺されているようです。

このことから、成功したと考えられます。

主人公は少年時代に夢に向かって一生懸命取り組み、成功したことで夢を実現したのだと思われます。

それ自体は素晴らしいことですが、どうやら毎日が楽しく充実しているわけではないようです。

夢を掴んだけれど、予想とは異なる現実に直面している、思い描いていた通りにはいかなかったという感じがあります。

また、主人公は仕事の忙しさから「このままでは老いて枯れてしまう」という焦燥感を抱いているようです。


ガラクタの中に輝いてた物がいっぱいあったろう?

「大切なもの」全て埋もれてしまう前に

そして、主人公は再び過去を振り返ります。

あの頃、泥水の中でよろめきながら進んでいた時、当時の自己には「ガラクタ」としか見えず、軽んじていたものが、大人になって成功した今振り返ると輝きを放っていることに気付きます。

主人公は大人になり、かつて無駄だと思っていたものやくだらないと思っていたものの重要性を再評価しました。

まだ間に合うかもしれないのではないか?

そうした「大切なもの」が「全て埋もれてしまう前」に動き出せば、まだ「老いて枯れる」ことを防げるのではないかと考えます。


さえぎるものはぶっ飛ばして まとわりつくものかわして

止め処ない血と涙で 乾いた心臓潤せ

あの頃の僕らはきっと全力で少年だった

怯えてたら何も生まれない

2番のサビは、現在の自己へのエールと捉えることができます。

大人になり成功したことで生じた制約や新たな障害を克服して進んでいこうと、自分自身に言い聞かせているようです。

また、1番と同様のフレーズ「あの頃の僕らはきっと全力で少年だった」と現れますが、これは大人になった主人公が過去の自己や仲間たちに再び憧れを抱いていると考えられます。

この展開によって、主人公の内部で「全力で少年だった」という意味が再構築されます。

1番では成功者の立場から、「あの頃は全力で頑張っていたなあ…だから今の自分がいるんだろう」といった余裕が感じられますが、2番では「あの頃はあんなにキラキラして、大切なものが周りにいっぱいあったのに、今の自分は…」といった悔恨の念が漂います。

そして、一度成功した主人公は過去の「全力で少年だった」自己を振り返り、新たな一歩を踏み出す決意をします。


淀んだ景色に答えを見つけ出すのはもう止めだ!

濁った水も新しい希望ですぐに澄み渡っていく

「淀んだ景色」とは、成功した主人公が見ている景色を指しています。

大人になり、様々な経験を積んだ結果、「まあ、世の中はそんなものだ」「この仕組みの中で生きていくしかないんだ」と悟ったような考えを言うのはもうやめにしようと、主人公は心に誓います。

「新しい希望」とは、かつての「全力で少年だった」自己から再び見つけ出した「大切なもの」を指します。

それが、「濁った水」=主人公自身と周囲の社会を「澄み渡らせてくれる」と主人公は信じるようになりました。


積み上げたものぶっ壊して 身につけたもの取っ払って

幾重に重なり合う 描いた夢への放物線

紛れもなく僕らずっと 全力で少年なんだ

セカイを開くのは僕だ

視界はもう澄み切ってる 

主人公は既に成功を収めていますが、新たな夢に向かって進んでいます。

そして、主人公は自分自身を「全力で少年」だと再確認します。

これまでは過去形で「全力で少年だった」と表現されていましたが、最後に「全力で少年なんだ」と現在の自分も含めて確認しています。

また、個人的にここでの「僕ら」は聴衆も含めた全ての人を指していると思います。

ここでは初めて「あなたたちも『全力少年』なんだよ」と聴衆にメッセージを送っているように感じられます。

そして、主人公は再び「全力少年」となりました。

これが物語の結末です。

この部分からは、多くのメッセージを受け取ることができます。

誰もがいつまでも少年の心を忘れてはいけないという意味を感じる人もいれば、成功に甘えてしまうと人はすぐにダメになってしまうと捉える人もいるでしょう。

それぞれの解釈は自由です。

個人的に興味深いのは、この歌詞から陰陽思想が透けて見えることです。

過去の自分が陽であり、成功した自分が陰と仮定してみましょう。

陽の主人公は陰を目指しますが、陰となった主人公は陽を憧れます。

ロマンティシズムを追求すると、主人公は成功を捨てて青春に戻る物語となります。
一方、リアリズムを追求すると、主人公は過去の青春を捨てて寂しさを隠しながら成功を享受します。

しかし、本作はその両方を回避し、陰と陽を結び付けて別の答えにたどり着きます。

一般的に、陰と陽の結合は抽象的な答えになりがちであり、難解な歌詞になるはずですが、スキマスイッチは「全力少年」という明快なキャッチフレーズで、見事にポップな形に仕上げています。

その点が特に優れていると感じます。


最後に、歌詞を分析してみると、「全力少年」は力強いポップスであることが分かります。

主人公の苦悩や困難な状況が描かれ、成功した主人公さえも挫折させます。

しかし、その中から希望を見つけて再び立ち上がらせます。

この作品はどこか「あしたのジョー」のような昭和のスポーツ魂を感じさせる要素もあります。

その力強さと、一瞬の光り輝く瞬間が一般の人々の実生活と繋がる部分があり、それがヒットに繋がったのではないかと思います。

キラキラしているけど一歩も踏み出さないポップスと、スキマスイッチの力強さと泥臭さは全く異なると感じます。

どちらが好きかは個人の自由ですが、私はスキマスイッチの魅力に惹かれます。