【奏/スキマスイッチ】歌詞の意味を考察、解釈する。

今回は、スキマスイッチの曲「奏」の歌詞の意味について考えてみましょう。

歌詞はシンプルですが、いくつかの印象的な言葉が使われています。

「改札」「手」「声」「ベル」「朝」「歌」

この歌詞は、初恋を通じて成長していく若い二人の物語を描いています。
彼らは人生の節目を迎え、不安を抱えながらも、その恋愛にどのように関わっていくかを模索していきます。

最初に聴いた時は、恋愛の詩のように感じられましたが、徐々に、愛する者や大切な命への思いやりや、郷愁のような感情が湧いてきます。

この詩には、二人の多彩な感情を包み込むような、もっと大きな意図が込められていると思います。

「改札」とは、成長の節目を比喩したものと感じます。
入学や卒業、進学や旅立ち、そして別れや出会いなどの節目が連想されます。

歌詞全文

改札の前つなぐ手と手
いつものざわめき
新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた

君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた

君の手を引くその役目が
僕の使命だなんてそう思ってた
だけど今わかったんだ
僕らならもう
重ねた日々がほら
導いてくれる

君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時もつながっていける

突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて抱き締めたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ

君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も、歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける

歌詞の意味を紐解いていく

改札の前 つなぐ手と手
  いつものざわめき 新しい風

大切な人が迎える、人生の節目の瞬間。

日常の騒がしさの中でも、新たな息吹を感じる瞬間。

そんな状況の中で、

明るく 見送るはず だったのに
  うまく 笑えずに 君を 見ていた

住む世界が広がりながらも、共有する世界は相対的に狭く感じる不安。

「僕」の知らない「君」の世界が広がる不安は、誰もが共感できる気持ちです。

初恋を育んできた二人にとって、初恋が形を変えてしまう可能性に期待と不安が交錯しますが、それよりも、大切な人が自分の手から離れていく寂しさ、と解釈する方が、作詞の流れに合っているように思います。

君の手を引く その役目 

愛する者(大切な存在)の道しるべになる役割。

「君」が成長し、その必要性が薄れていく手応えは、喜ばしくもありながら悲しくもあります。
複雑な喜びと悲しみが込められています。

そして、この歌詞の流れには「転調」が感じられます。

④までは、道しるべとなる「僕」と愛しい対象の「君」が存在します。
複雑な心境にある「僕」ですが、確実に成長する「君」を導いています。

⑤以降は・・・

 突然ふいに鳴り響くベルの音 

からの部分ですが、

「僕」と「君」が交換されているかのような感覚が湧きます。

それは、④までは「時間」の流れで組み立てられているのに、⑤以降は「空間」の流れに・・・。

特に、⑤の風景には、ありふれた日常とは異なる雰囲気が漂っているように感じます。

「僕(④までの『君』)」を導いてくれた「君(④までの『僕』)」が遠い世界へと去っていくという感覚です。

君が 僕の前に 現れた日から
  何もかもが 違くみえたんだ

「僕」を導いてくれた「君」を思いやること(理解する)ができるほど「僕」は成長し・・・。

 どこに 行ったって
   僕の声で 守るよ

「声」は「生きる命」そのものだから・・・。

「僕の声で守る」ことは、ふたりでこれまで奏でてきた大切な思い出(共鳴する夢や希望)かもしれません。

朝も 光も 涙も 歌う声も
  君が 輝きを くれたんだ 

「朝」は「改札(節目)」を通って新たにスタートすることを意味し、「光」は「希望」や「夢」を象徴し、「涙」は成長するために経験した「哀しみ」と「歓び」を積み上げた過程を表しています。

そして、「歌う声」はその命を謳歌することを示しています。

成長した「僕」の朝にも光にも涙にも歌う声にも、輝きをもたらしてくれた「君」に、導いてくれた「君」に対して抑えきれない感謝の気持ちを届けたいと願っています。

大切な気持ちを示唆するための言葉「奏」は、過去から未来へとつながっていくことを示唆しています。

ふたりが過ごしてきた時間や空間を超えて、思い出とともに希望や夢を共有し続けること。
これまででもこれからでも、ずっと命がどこにあってもです。

 ふたりは いつも どんな時も
  つながっていける 

ぼくらは 何処にいたとしても
  つながっていける

その理由である、「こんな歌」こそが、ふたりが共有する「奏(かなで)」という言葉なのでしょう。

ふたりが歩いてきた記憶(思い出)や共有する希望や夢など、これからもふたりで築いていくすべてを象徴する重要な言葉として選ばれたのです。

PVが示唆していること

スキマスイッチが「奏」を世に送り出したのは、2004年3月10日です。
この時、大橋さんも常田さんもまだ25歳で、未婚でお子さんを授かる前の時期でした。

ただ、この歌の意味を考えると、どうしても大切な命を慈しむ(愛しむ)気持ちを感じてしまいます。

今回、歌詞を考えるために初めてスキマスイッチ「奏」のPVを視聴しました。
そのPVには印象的な映像が流れています。
公園には2本の樹木が立ち、外灯からは2羽の飛び立つ鳥が描かれています。
洗面や鏡も2つあります。
これらも「奏でる」ことを示唆しているのでしょうか。

洗面で洗う「手」が異様に汚れていることに対して、二つ折り携帯を開く「手」や楽譜の書かれた黒板を掴もうとする「手」はとても白い(無垢)です。
これは、無垢な命を汚したくないという意味を持っています。
大切な愛しい命を無垢なまま成長させたいという気持ちを表現しています。

連綿と受け継がれる「大切な命」を育むことは、親から子へと受け継がれる愛情です。
スキマスイッチのふたりが両親への感謝と、これから授かるであろう自身の子供への慈しみを引き継いでいきたいという気持ちの表明として、「奏(かなで)」という言葉が選ばれたのかもしれません。