【罪と罰/椎名林檎】歌詞の意味を考察、解釈する。

『罪と罰』は、2001年1月26日にリリースされた椎名林檎の6番目のシングルです。
このタイトルは有名な文学作品を連想させるもので、非常に強烈な印象を与えます。
曲中では何が「罪」とされ、何が「罰」として描かれているのでしょうか?
歌詞に込められた意図や感情に迫ってみましょう。

一体どのような罪を歌っているのか

『罪と罰』は、アルバム『勝訴ストリップ』からの先行シングルとして登場し、多くの注目を浴びました。
椎名林檎の歌声が魂の叫びのように響き渡り、さらに浅井健一のギターが参加し、楽曲に深い響きを与えました。
『罪と罰』というタイトルは、まず連想されるのがドストエフスキーの小説『罪と罰』ではないでしょうか。
この小説では、主人公が自己中心的な動機から犯罪を犯し、その後自身の罪と向き合う姿が描かれています。
椎名林檎の楽曲『罪と罰』も、何か薄暗く意味深なものを感じさせます。
小説の中で主人公は初めは罪悪感を感じていなかったが、後にその罪悪感が芽生え、最終的には自己嫌悪に苦しむようになります。
物語のクライマックスでは、主人公は自らの罪を償うために自首する決断をします。
こうした展開から、犯罪を犯せば必ずしも物理的な刑罰だけでなく、心の中での苦しみや償いが生じるのかもしれません。
椎名林檎は『罪と罰』で、一体どのような罪を歌っているのでしょうか?
そしてその罪に対する償いや苦しみは、どのように表現されているのでしょうか?
歌詞を通して、このタイトルの象徴する意味を彼女の深い世界観から読み解いてみましょう。

今、この瞬間の幸福や実感を存分に味わいたい

『罪と罰』は、初めに朝日が差し込む暗室の中で展開される場面から始まります。
陽光が射す「山手通り」と孤独感が支配する「小部屋」という対比が、聴く者の心に鮮烈な印象を刻みます。

頬を刺す
朝の山手通り
煙草の空き箱を捨てる
今日もまた
足の踏み場は無い
小部屋が孤独を甘やかす

荒れ果てた部屋と、虚無感が際立つタバコの空箱。
独り取り残された寂寥感を抱えながら放り投げられたその箱は、かつての思い出へと誘い込まれるのを思わせます。

不穏な悲鳴を
愛さないで
未来等見ないで
確信出来る
現在だけ重ねて

不透明な明日よりも、今この瞬間にある現実に心を委ねていたい。
恋しい想い出であっても、幸福なひとときが永遠に続くとは限らないことを知っている。

あたしの名前を
ちゃんと呼んで
身体を触って 必要なのは
是だけ認めて

大切な人に自分の名前を呼ばれる瞬間は、まるで存在が許されたような気分になることでしょう。
明日や明後日、未知の未来がどのように展開するかはわからないけれど、今この瞬間が何よりも大切です。
今、この瞬間の幸福や実感を存分に味わいたいと心から願っている気持ちが、伝わってくるようです。

空のタバコ箱だけが残され、どこへ姿を消したのか

愛している独り泣き喚いて
夜道を弄れど虚しい
改札の安蛍光灯は
貴方の影すら落とさない

夜の街に灯る街灯や改札の冷たい光の中で、大切な人の姿を見つけようとしています。
幸福な瞬間の後に迫る孤独が、ますます虚無感を浮き彫りにします。
日々の中で、無意識にも愛する人の存在を求めてしまう瞬間があるのです。

歪んだ無常の遠き日も
セヴンスターの香り
味わう如く 季節を呼び起こす

冒頭に登場する空のタバコ箱。
そのブランドはセブンスターでしょう。
馴染み深い銘柄が、遠い過去の愛しい瞬間を呼び起こします。
タバコの香りが、去り行く日々や季節を心によみがえらせます。
この描写は、詩的な美しさが感じられますね。
目に見えるものではなく、記憶の一部に残る匂いが、もう存在しない人の存在を強く示しています。

あたしが望んだこと自体
矛盾を優に超えて
一番愛しいあなたの声迄
掠れさせて居たのだろう

自分の願いが、愛する人を追い詰め、その声を消耗させていた事実。
「矛盾を優に超え」る願いが具体的には何だったのか、考えてみると面白いですね。
愛がますます募るほど、大切な人を追い詰め、疲弊させていったとしたら。
これこそが矛盾そのものです。

静寂を破るドイツ車と
パトカー
サイレン 爆音 現実界

現実に引き戻される手段として「パトカーのサイレンと爆音」が登場し、その描写はなんとも不安を掻き立てます。
空のタバコ箱だけが残され、どこへ姿を消したのか、その謎に思いを巡らせてしまいます。
物語の余韻に思いを馳せると、深い感慨が湧き上がってくるでしょう。

対照的な過去と現在

不穏な悲鳴を
愛さないで
確信出来る
現在だけ重ねて
あたしの名前を
ちゃんと呼んで
身体を触って 必要なのは
是だけ認めて

未来の不確かさよりも、今この瞬間をしっかりと見つめ、触れ、確かめられる「私」を愛してほしい。
触れることや名前を呼ぶこと。
両方とも、愛を確かめる方法であり、愛への渇望が明瞭に描かれます。
その愛を求めて何をしても、今や空のタバコ箱に変わってしまった愛は、どこかしら手の届かない場所にあるようです。
散らかり放題の部屋は、もしかすると「孤独を甘やかす」手段であり、モノに囲まれることで、少なくとも心の寂しさを埋めようとしているのかもしれません。
愛しい温もりを忘れることができず、ずっと足の踏み場もない部屋に閉じこもっていた「私」。

頬を刺す朝の山手通り
煙草の空き箱を捨てる
今日もまた
足の踏み場は無い
小部屋が孤独を甘やかす

朝日は新たな一日の幕開けです。
新しい日がスタートする瞬間に、一人きりの小さな部屋で「私」は過去の思い出と遊びます。
まるで完全に反対の現実を見事に対比させた歌詞が、非常に巧妙です。
愛に溺れた過去が「罪」なのか。
孤独に苦しむ今が「罰」なのか。
対照的な過去と現在に意識を向けながら、『罪と罰』というタイトルに秘められた意味に思いを馳せてみることをお勧めします。

MVも必見

『罪と罰』のミュージックビデオは、鮮やかな黒と赤のコントラストが特徴的な映像作品です。
椎名林檎が身にまとった衣装は、その赤と黒が印象的で、過去を連想させるモノクロのシーンと、現在を反映するカラフルなシーンでの彼女の表情の違いが際立っています。
そして、真っ二つに割れた車の姿。
過去と現在を容赦なく剥き出しにするかのような、車体が惨めに裂ける光景と、意気消沈したような椎名林檎の表情。
そこには過去の出来事が現在にどのような影響を及ぼしたのか、その謎めいた関係性が映し出されています。
メイクで目の周りを黒く塗った演出によって、車が一刀両断されるシーンは、視覚的にも強烈な印象を残しています。
このミュージックビデオでは、椎名林檎が所有する年代物のベンツが使用されており、彼女自身の私物を活用した大胆な演出も見どころのひとつです。
SPACE SHOWER Music Video Awards(2000年)で最優秀女性アーティストビデオ賞を獲得するなど、映像としても高い評価を受けています。
独特のハスキーボイスと、印象的なメイクも必見です。