【NIPPON/椎名林檎】歌詞の意味を考察、解釈する。

椎名林檎さんの「NIPPON(ニッポン)」は、2014年度のNHKのサッカー放送のテーマ曲でした。
この年はブラジルワールドカップが開催され、多くの人が「NIPPON」という曲に触れました。
椎名林檎さんは、歌詞の制作においてサッカーワールドカップに焦点を当てたと考えられます。
楽曲は2014年6月4日にリリースされ、ブラジルワールドカップは同月12日から7月13日まで行われました。

しかし、この曲には「純血主義」「民族主義」「右翼的」「戦争を思わせる」といった批判がありました。
NHKが国営放送であることも含め、物議を醸しました。
今回は、椎名林檎さんの「NIPPON」の歌詞が本当に伝えたかったメッセージとは何かを解釈・考察してみましょう。

まず、歌詞を確認してみましょう。

椎名林檎 NIPPON 歌詞全文

万歳(Hurray)!万歳(Hurray)!日本晴れ 列島草いきれ 天晴
乾杯(Cheers)!乾杯(Cheers)!いざ出陣 我ら 時代の風雲児

さいはて目指して持ってきたものは唯一つ
この地球上で いちばん
混じり気の無い気高い青
何よりも熱く静かな炎さ

鬨(とき)の声が聴こえている
気忙(きぜわ)しく祝福している
今日までのハレとケの往来に
蓄えた財産をさあ使うとき

爽快な気分誰も奪えないよ
広大な宇宙繋がって行くんだ
勝敗は多分そこで待っている
そう 生命が裸になる場所で

ほんのつい先(さっき)考えて居たことがもう古くて
少しも抑えて居らんないの
身体任せ 時を追い越せ
何よりも速く確かな今を蹴って

噫(ああ)また不意に接近している淡い死の匂いで
この瞬間がなお一層 鮮明に映えている
刻み込んでいる あの世へ持っていくさ
至上の人生 至上の絶景

追い風が吹いている もっと煽って唯(たった)今は
この地球上で いちばん
混じり気のない我らの炎
何よりもただ青く燃え盛るのさ

(万歳!万歳!我らが祖国に風が吹いている)
Hurray! Hurray! The wind is up and blowing free on our native home.
(乾杯!乾杯!我らが祖国に日が射している)
Cheers! Cheers! The sun is up and shining bright on our native home.

大舞台に立つ人々全般の姿

夏の強い陽射しによって、草むらから立ち上がる草の葉たち。
その中には、むっとした熱気が漂います。
晴れわたった空は、心の奥から湧き上がるあらゆる感情を象徴しています。

さいはては、2014年に開催されたワールドカップの舞台となったブラジルについて述べています。
ブラジルは、日本から見て地球の反対側、最も遠い場所に位置しています。

ブラジルに取り入れられた気高い青は、サッカー日本代表のユニフォームが青いことに由来します。
また、赤い炎よりも青い炎のほうが温度が高いとされ、青は冷静に見えつつも、熱い情熱を秘めているという意味もあります。

「混じり気の無い」が純血主義を指し、すなわち血が混ざることで汚れるという考え方に対して一部から批判が寄せられています。
しかし、この文脈ではその後が青であり、血の色ではないため、そこまで深刻な問題とは言えないでしょう。
純粋で気高い闘争心をもたらしたと解釈するのが妥当だと考えられます。

ハレとケが何を指すのか、というのは柳田國男さんが提唱した日本人の世界観に関連する概念です。
彼によれば、「ハレ(晴れ)」は祭りや行事などの特別なイベントを指し、「非日常」を象徴します。「ケ(褻)」は通常の生活や「日常」を表し、これらの言葉は日本の文化や価値観を表現する際に用いられています。

サッカー日本代表において、「ハレ」は良い状態や最適な状況を指し、これまでの試合の成功や舞台などを表現する際に使用されると考えられます。

「ケ」は、通常の練習や日常生活において、人目に触れない中で地道に努力してきたことを指しています。
日常と非日常を行き来しながら、蓄積された力を発揮する瞬間を表しています。

「爽快な気分〜今を蹴って」までの部分では、試合中の選手の感情や試合の進行を表現しています。
一方で、「不意に接近している淡い死の匂い」は、「NIPPON」という歌の中で疑問視される要素であり、なぜ死の匂いが漂うのか疑問視されています。
この表現は、ワールドカップなどの大舞台で選手が追い詰められ、自らを追い込む状況を指していると解釈できます。

この試合中の光景は、選手たちが一生忘れられないものとなり、死の瞬間まで持ち続けるでしょう。
ただし、サッカーの試合に臨む選手たちは純粋な心で挑み、その熱い情熱が歌によって表現されています。
この歌は、サッカー日本代表がワールドカップに挑む姿とリンクさせながらも、大舞台に立つ人々全般の姿と気持ちにも共感できるものとなっています。