スピッツの代表曲のひとつ「春の歌」。その柔らかで爽やかなメロディーは、聞く人に心地よい風を届けるようですが、歌詞に目を向けると、そこには一筋縄ではいかない奥深い感情や人生の機微が描かれています。本記事では、この名曲が私たちに何を語りかけているのかを丁寧に考察していきます。
1. 苦難からの旅路――冒頭の描写に見る「ぬかるむ道」「トゲのある藪」
「春の歌」の冒頭に登場するのは、「ぬかるむ道」や「トゲのある藪」といったイメージです。一般的に「春」という言葉からは明るさや希望を想起しがちですが、スピッツはあえてその対極にあるような困難な風景を冒頭に配置しています。
この表現は、人生の中にある苦しみや停滞の時期を象徴していると考えられます。冬の寒さが終わったからといってすぐに花が咲くわけではなく、地面はぬかるみ、進むには痛みを伴うこともある。春の訪れは、希望の始まりであると同時に、そこに至るまでの痛みや試練も内包しているのです。
2. 長いトンネルを抜けて――“見慣れない色に包まれ”という転機の意味
「見慣れない色に包まれ」という一節は、過去の閉塞感からの脱却と、それによってもたらされる新たな世界観を象徴していると解釈できます。この「見慣れない色」は、これまで見落としていた世界の美しさであり、自分の内面の変化によって捉え直された現実とも言えるでしょう。
このような転機は、誰にでも訪れる可能性があります。何かを乗り越えた後に訪れる「自分が変わったからこそ見える風景」。春はその象徴として、人生における再生や新しい始まりのメタファーとして描かれているのです。
3. 「春」という言葉の多義性――季節/始まり/人生の比喩としての春
タイトルにも使われている「春」という言葉には、季節の移り変わりだけではなく、多くの意味が込められています。
たとえば「春」は、進学や就職といった人生の節目、あるいは恋の始まりを連想させる言葉でもあります。そうした背景から、「春の歌」は聞き手それぞれの「春」を思い起こさせ、共感を生み出します。
また、春には「別れ」と「出会い」が同時に訪れることも多いもの。歌詞にある「さようならを君に」という表現には、明るい希望だけでなく、過去との別れ、あるいは大切な人との別離という要素も含まれています。この多義性が、スピッツの歌詞世界に深みを加えているのです。
4. “君”と“自分”の関係性――遠い空に映る君/忘れかけた君の名をなぞる
「春の歌」の中で繰り返される「君」という存在。これは具体的な恋人や友人、あるいはかつての自分自身の象徴とも取れる多義的な存在です。
「忘れかけた君の名をなぞる」というフレーズは、過去の大切な記憶を掘り起こし、それに触れ直そうとする繊細な感情を表しています。この行為は、懐かしさだけでなく、今の自分を確認するための作業とも言えるでしょう。
一方で、「遠い空に映る君」は、もう手の届かない存在であることも示唆しています。過去との対話、失われたものへの想い、そうした感情が歌詞全体に静かに流れており、それが聴き手の心を揺さぶる要因になっています。
5. 愛や希望より前に響く歌――「春の歌」が伝えるメッセージの本質
「春の歌」は単なるポジティブソングではありません。スピッツの草野マサムネが紡ぐ歌詞には、常に「光と影」「希望と痛み」が共存しています。
歌詞の中にある「誰にも見せない涙があったから今がある」というようなニュアンスからは、苦しみを知る者にしかわからない優しさ、そして本当の意味での希望が感じられます。
つまり、この曲が伝えたいメッセージとは、「ただ前向きになろう」というものではなく、「痛みを抱えながら、それでも歩んでいく」ことの大切さなのです。だからこそ、「春の歌」は多くの人の心に響き、季節を問わず聴き継がれているのでしょう。
締めくくりに
スピッツの「春の歌」は、明るく心地よいメロディーとは裏腹に、深い人間の感情や人生の機微が込められた楽曲です。歌詞を丁寧に読み解くことで、「春」という言葉が持つ多層的な意味や、そこに託されたメッセージが見えてきます。
この曲を通じて、自分自身の「春」を思い出したり、今まさに新たな季節を迎えようとしている誰かの背中をそっと押せる記事であったなら幸いです。


