【楓/スピッツ】歌詞の意味を考察、解釈する。

1998年7月7日に発売された19枚目のシングルである「楓」。

アルバム「フェイクファー」に未収録となった「スピカ」と両A面でリリースされた。

他のアーティストにカバーされることの多いスピッツの楽曲だが、「楓」もそのうちの1曲だ。

2017年にはスピッツの大ファンと公言している上白石萌歌がカバー。
CMソングとして使用され、「楓」は再注目された。

20年以上前にリリースされ、いまもなお歌い継がれている「楓」。

たくさんのアーティストまでも虜にするこの楽曲の歌詞にはどんな魅力があるのだろうか。
考察してみたいと思う。

「楓」は大切な「誰か」との離別を歌っている

忘れはしないよ 時が流れても

いたずらなやりとりや

心のトゲさえも 君が笑えばもう

小さく丸くなっていたこと

歌い出しの部分から、別れを示唆している歌詞である。

忘れはしないよという冒頭部分から聴く側は忘れたくない「誰か」を思い浮かべる。

それは恋人・家族・友人・ペットなど自分が大切にしている「誰か」だ。

誰しもがいつかは経験することになる大切な「誰か」との別れ。

スピッツの歌詞のテーマは「性と死」と草野は語っていることから、「楓」の歌詞は「死」のテーマに分類できる。

かわるがわるのぞいた穴から

何を見てたかなぁ?

一人きりじゃ叶えられない

夢もあったけれど

穴をのぞいているのは自分と大切な「誰か」。

人生を歩んでいく自分の姿をそれぞれが思い浮かべていたことの比喩と捉える。

草野マサムネはインタビューで

「自分みたいな人間が生きる意味って何だろう」

ということを考えていると答えている。

一人きりじゃ叶えられない夢=大切な「誰か」と共に叶える夢。

穴からのぞいたのは「人間が直面する死」に至るまでの道のり。つまり人生である。

僕は「一人きりじゃ叶えられない夢もあったけど」と思っていたが、大切な「誰か」は僕と歩む人生をどう捉えていたか問いかけている部分でもある。

草野マサムネの「別れ」について

なぜ草野は歌詞の永遠のテーマに「性」と「死」を掲げたのか。

それは彼にとって両方とも恐怖の対象だったからだ。

草野は小学校の低学年の時に、祖父を亡くしている。

「死体を初めて間近に見て、死ぬのがすごく怖いって思った」

と語っている。

この前まで喜怒哀楽を表現していた身近な人物が石のようになってしまうことに驚いた。

彼はそれ以来、テレビで流れる死のニュースに敏感になってしまったのだ。

人は、必ず死を迎える。

そのことを思い知らされた草野は生きる意味について考え続けた。

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

草野は「魂は永遠に存在する」と信じていたが、身近な人の死によって自らの死についても不安を覚えた。

この部分は大切な「誰か」との別れを通じて、君のことを忘れずに生きていたいと心に決めた場面だ。

しかしこの決意をした僕のまま変わらずに生きていけるだろうかという不安も込められているのではないだろうか。

草野マサムネにとって生きる意味は“人とのつながり”

草野は世界中で起きる重大な事件について心を痛めてきた。

子供の頃に経験した「死」への恐怖は、思春期に鬱状態になるほど彼を苦しめる。

そして大人になってからも死の恐怖の影は、時事問題から日常のささいな出来事でもたびたび顔をのぞかせた。

草野は「この先、どんなふうに生きていけばいいのか」と生きる意味を考え続けた結果、人はひとりでは何もできないという思考にたどりついたという。

「人と人のつながりがないと人はたぶん死ぬんだろう」

探していたのさ 君と会う日まで

今じゃ懐かしい言葉

大切な「誰か」と出会った時の僕。
人とのつながりが生きる意味ならば君と出会うことで生きる意味を見つけたということだろう。

しかし君を失った今じゃ懐かしい思い出となってしまった。

ガラスの向こうには 水玉の雲が

散らかっていた あの日まで

人とのつながりを大事にしたい草野が大切な「誰か」を失ったときの情景の記憶だと捉えてみる。

出会ったときの僕の気持ちと君を失った日の情景を表現しているのではないだろうか。

風が吹いて飛ばされそうな

軽いタマシイで

他人と同じような幸せを

信じていたのに

君を失うまでは「生きる意味」について深く考えてはいなかった。

誰しもが思い描く幸せを人並みに信じていたのに、大切な「誰か」の死に直面して、それは簡単には叶わないということを思い知った部分だ。

「楓」は人とのつながりを大切にしたい想いが詰まった曲

これから 傷ついたり 誰か 傷つけても

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

君がいなくなった世界で僕は人生を歩む。
しかしそのつながりの中で僕が傷ついたり誰かを傷つけたりするかもしれないという不安を表している。

瞬きするほど長い季節が来て

呼び合う名前がこだまし始める

聞こえる?

七夕の日にリリースされた「楓」のMVには、プラネタリウムで星を眺めているシーンがある。

この部分は一年に一度だけ会える織姫と彦星をイメージしているのではないだろうか。

大切な「誰か」である君の名前を呼ぶ、そして君も僕の名前を呼んでいて欲しいという願いも込められているのかもしれない。
一年に一回でもいいから、いつまでもつながりを断ちたくないという想いに溢れている。

さよなら 君の声を 抱いて歩いて行く

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

(中略)

ああ 君の声を・・・

サビの歌詞をリピートしながらフェードアウトするラスト部分。
草野マサムネが抱く想いの余韻が漂っている。

人間はみんな死に向かって生きているが、歌い続けることでその道のりに価値を与えられると草野は語る。

つながっていた人を忘れずに僕のままで生きていきたい。

そんな想いが「楓」の歌詞には詰まっている。

人間が抱える、「生きる意味とは何か」という普遍的なテーマを歌っているからこそ、たくさんのアーティストにカバーされ、長い年月、聴く人の心を揺さぶる楽曲なのだ。

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