【月光 feat. はるまきごはん/キタニタツヤ】歌詞の意味を考察、解釈する。

今回は、はるまきごはんさんとキタニタツヤさんが共同で制作した「月光」について書いていきたいと思います。

この楽曲の歌詞には、「ユースタシー」という言葉が登場します。
この言葉の意味について調べ、個人的な考察を行いたいと思います。


ウィキペディアによると、

ユースタシーはユースタティズム(eustatism)、ユースタティック運動と表記されることもあり、海岸地形でよく示される。

との事。

なるほど、「ユースタシー」とは別名で「ユースタティック運動」とも呼ばれるようです。

念のため、コトバンクでも調べてみました。
以下はコトバンクの「海面変化」の項目からの引用です。

海水準変動,ユースタティック運動ともいう。

「ユースタティック運動」については、wikipediaやコトバンクの説明だけではなかなか理解しづらいと感じました。
しかし、Yahoo知恵袋で興味深い説明を見つけました。

以下は、「ユースタティック運動とはなんですか?」という質問に対する回答の一部です。

海面が、全地球的に上下する運動のことです。

海水そのものの量が増えたり減ったりすることにより、全地球的に海面の高さが変動する運動のことです。

要するに、「ユースタティック運動」は特定の海の海面変化ではなく、地球全体の規模で海水の増減によって海面の高さが変動する現象を指すようです。

つまり、海水の増減によって海面が上昇したり下降したりするという現象が、地球全体で起こるということです。

まとめると、ユースタシーは海水の増減を指し、簡潔に言えば海水の変動ということです。


ユースタシーが起きる理由は、巨大な氷の塊である氷河の融解や増加による影響だと言われています。

実際に、1万数千年前以前の地球は氷で覆われた状態であり、この時代は「更新世」と呼ばれています。
日本史を学んだ方ならおなじみの時代かもしれません。

そして、約1万2千~3千年前に氷が融解し始めた結果、海面が上昇し、現在私たちが住む日本列島が形成されました(以前は、現在の日本列島と中国やロシアにあたる大陸が陸続きだったと言われています)。

このような海面変動は、「氷河性ユースタシー」と呼ばれています。
英語では、「glacial eustasy(グレイシャルユースタシー)」と表現されます。


それでは、ユースタシーが歌詞の中でどのような意味を持っているのか、考察してみたいと思います。

まず、ユースタシーが登場する部分の歌詞を引用してみましょう。

廃物と化したアイロニー
クリシェを抜け出したいのに
「また誰かの焼き直し?」
数多の星の屑たち
沈み消えゆくユースタシー
無慈悲な月の光
「アイデンティティさえまやかし?」

「盗んででも愛が欲しい?」

因みに、クリシェとは、

乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念を指す。

です。

要するに、使い古されて新鮮味がなくなったという意味です。

クリシェを抜け出したいのに
「また誰かの焼き直し?」

この部分は、クリエーターの内面の葛藤が表現されており、何となく理解できるような感じがします。

しかし、問題はその次の部分です。

数多の星の屑たち
沈み消えゆくユースタシー

という部分をどう解釈するのか。

先ほどの、

クリシェを抜け出したいのに
「また誰かの焼き直し?」

がクリエーターの内面の葛藤が表現されているとするなら、

数多の星の屑たち
沈み消えゆくユースタシー

この部分もクリエーター(創作に関わる人)に関連する要素を表していると考えても自然でしょう。
結論として、筆者はこの部分が作品を継続的に創り出し、それを世に送り出し続けることの難しさを示唆しているのではないかと思いました。

星屑について調べると、夜空に輝く無数の小さな星々であることがわかります。


そして、星にも寿命があると言われています。

つまり、現在夜空で輝いている星々は、人間よりもずっと長い寿命を持っていますが、いずれは消えてしまいます。

星が死ぬ際には、超新星爆発と呼ばれる巨大な爆発が起こります。

そして、この爆発によって新たな星が生まれると言われています。

一つの星の死が、新しい星の誕生に繋がるのです。

つまり、夜空の星々は、減ったり増えたりを繰り返しているのです。

ユースタシーも同様です。

地球全体で海水の量が増減します。

両者は「減ったり増えたりする」という点で共通しています。

そして、世界中に存在する数多くのクリエーターたちも同じです。

作曲家、漫画家、小説家、作家などが含まれます。

「筆を折る」という言葉がありますが、これは作家が執筆活動を終了することを意味します。

同様に、漫画家が漫画制作をやめる場合にも使われます。

クリエーターの数も、夜空の星々やユースタシーと同様に、増減を繰り返しているんだ、という事をこの曲は伝えているのではないでしょうか。