【愛を伝えたいだとか/あいみょん】歌詞の意味を考察、解釈する。

あいみょんの2ndシングル「愛を伝えたいだとか」は、純真な青年の切ない恋心を歌った楽曲です。
歌の中で描かれる主人公は、愛の気持ちを伝えることができるのでしょうか?
今回は、「愛を伝えたいだとか」の歌詞について深く考察してみました。

つらい恋愛

「分かってくれよ」という楽曲でも示されたように、男性目線からの歌詞が見受けられるのはインディーズ時代から。

「愛を伝えたいだとか」でも、この男性の視点が重要なテーマとして採用されています。

日々の朝帰りが続く“君”を、主人公の“僕”はいつも一人で家で待ち続けています。

内面に向き合う主人公の感情が、どのように表現されているのかに焦点を当てて、歌詞を詳しく探っていきましょう。


健康的な朝だな
こんな時に君の“愛してる”が聞きたいや
揺れるカーテン
少し浮いた前髪も
すべて心地いいさ

物語の幕が開くと、主人公の普段の日常が描かれています。
初めの印象は、爽やかな朝の光景に思えることでしょう。

しかし、この朝の風景が主人公にとって心地よいものではないことがわかります。

考えていてもドアは開かないし
だんだんおセンチになるだけだ僕は

2回目のサビで、物語の核心が明らかにされます。
主人公は、帰ってこない彼女を待ち続けることで、この朝を迎えることになったのです。

彼にとっては、このような朝の光景が日常の一部となっています。
また、朝の概念自体は曖昧なものとして提示されています。
夜明け前の午前4時も朝であり、午前10時に近づく昼もやはり朝なのです。

主人公である「僕」は、一晩中眠らずに朝を迎えた可能性も考えられます。

興味深いことに、MVのAメロでは雷鳴が轟いていたことも挙げられます。


あいみょんは度々、男性目線の楽曲を制作しており、女性である彼女が異性の視点を取り入れる際には、特に男性歌手からの影響が感じられます。

「愛を伝えたいだとか」の主人公の言葉遣いを振り返ってみると、彼は自身を「僕」と表現しています。
また、独自の口調として「~さ」や「~や」が使用されています。
これは、あいみょんがリスペクトする小沢健二の世界観から影響を受けていることを示唆しています。

実在の風景と主人公の心の風景の齟齬が描かれる点も、シニカルな要素を受け継いでいることを示唆しています。

こんな時に君の“愛してる”が聞きたいや

楽曲の深層に触れることで、冒頭に重要なフレーズが隠されていることに気付かされます。

主人公の欲求は、朝の清々しい光景の中で彼女から聞くことを願っている愛の言葉です。

しかしながら、その願望が実現する可能性が低いことが暗に示唆されている部分も感じられます。


それに割れてしまった目玉焼き
ついてないなあ
バランスをとっても溢れちゃうや
少し辛くて 少し酸っぱくて
甘ったるかったりさ

Aメロの後半を追ってみましょう。

朝の食卓に並んだ目玉焼きを誤って割ってしまう主人公。

しかしその目玉焼きに少し黄身と白身が混ざったところ、味わいは大きく変わることはありません。

それどころか、辛味や酸味などの要素は存在しない、普通の目玉焼きです。

この描写から、その目玉焼きが「僕」と「君」の関係を象徴していることが分かります。

恋愛には、甘くて切ない思い出だけでなく、時にはつらい時期も存在します。

しかしながら、主人公にとっては、この恋愛においてつらさの方が強く感じられているかもしれません。

でも好き

とりあえず今日は

バラの花に願い込めてさ
馬鹿な夢で踊ろう
愛を伝えたいだとか

サビの部分で、主人公は遂に本当の気持ちを明かします。

しかしその想いは、主人公の内なる世界で循環し続けるばかりです。

「愛を伝えたいだとか」というタイトルの言葉は、どこか皮肉を含んだやや投げやりなフレーズです。

さらに、次の部分を見てみましょう。

臭いことばっか考えて待ってても
だんだんソファに沈んでいくだけ
僕が明日良い男になるわけでもないからさ
焦らずにいるよ

主人公は立ち上がることができず、ソファに座り込んでいます。

彼の身体だけでなく、心まで深く沈んでいく過程が描かれています。

もちろん、薔薇の花束を買いに行く元気も残っていない状態です。

今日という新しい日が始まったばかりなのに、主人公の内面は既に消沈しています。

サビの歌詞は、主人公の寂しい思いを率直に表現したものと考えられます。

今日は日が落ちる頃に会えるの?

もちろん、この言葉を“君”に伝えることはできない現実があります。

なぜなら、“君”はどんなに待っても戻ってこないからです…。


“完璧な男になんて惹かれない”と
君が笑ってたから悔しいや
腐るほどに話したいこと沢山あるのにな
寂しいさ

1番の歌詞だけを見ると、主人公は少し頼りない印象を受けるかもしれません。

しかし、前述のフレーズを通じて、彼女が主人公に投げかけた言葉を考えてみると、恋愛関係においては明らかに女性が主導権を握っていることが示唆されます。

主人公は、頼りにされる男性に成長しようと、一生懸命努力してきた可能性があります。

実際に主人公を単体で見れば、かなり魅力的な男性であると想像されます。

恋愛対象があまりに完璧すぎると、違和感を覚えたり興味を持てないこともあります。
この心情は個人によって異なります。

彼女の場合、その違和感を感じてしまい、興味を持てないということが推測されます。


結局のところ君はさ
どうしたいの?
まじで僕に愛される気あんの?
雫が落ちてる
窓際目の際お気に入りの花

捨てられた子犬のように、主人公は彼女を待ち続けています。

心の奥には、不安や焦りがたまる容器のようなものが存在していると仮定しましょう。

主人公の容器は、他の人よりも大きな容量を持っているように思われます。

しかし、一定の限界を超えてしまうと、その容器からは不安という液体が溢れ出てしまうでしょう。

2番目のAメロのこのフレーズを聴くと、初めは怒りの感情のようにも思えます。

しかし、続くフレーズで主人公の目から涙の雫が流れ出ていることが分かります。

その怒りよりも、実は悲しみの感情がより強いようです。

どれほど過酷な状況に立ち向かっても、主人公は“君”を愛しているからです。

この主人公の純粋な愛情には、性別を問わず多くの人が共感することでしょう。

そして、「そんな女性はやめた方がいいんじゃないか?」と彼に忠告したくなる気持ちもわかります。

開き直りにも思える感情

とりあえず今日は

部屋の明かり早めに消してさ
どうでもいい夢を見よう

2回目の感情豊かなサビが訪れました。

しかし、主人公は今日も“君”を待ち続けています。

このセクションは、主人公のスキンシップへの強い願望を描写しています。

あいみょんは、エロティックな要素を爽やかに表現する天才でもあります。

しかしながら、彼はその想いを伝える機会すら持つことができません。

その理由は、“君”が今夜も帰ってくる兆しを示さないからなのです。

明日は2人で過ごしたいなんて
考えていてもドアは開かないし
だんだんおセンチになるだけだ僕は
愛が何だとか言うわけでもないけど
ただ切ないと言えばキリがないくらいなんだ
もう嫌だ

“君”という女性像に関しては、様々な解釈が存在します。

彼女は、複数のパートナーの間を渡り歩く女性かもしれません。

夢を追求する生き方が楽しく、恋愛はあくまで二の次なのかもしれません。

少なくとも、彼女はパートナーに執着せず、強い意志を持った女性であることは間違いありません。

一方で、“僕”は彼女の存在を何よりも大切にしています。

2人はまるで水と油のように対照的ですが、その正反対の性格ゆえに、お互いに引かれ合ったのかもしれません。


ろうそく炊いて
バカでかいケーキがあっても
君が食いつくわけでもないだろう
情けないずるい事ばかりを
考えてしまう今日は

特別なイベントや記念日を大切にすることは、多くの場合、女性の傾向と言えるかもしれません。

一方で、男性はややズボラな傾向があることが一般的です。

しかし、主人公である“僕”は彼女のためにさまざまなイベントを企画したのかもしれません。

しかし、歌詞の通りになってしまった結果、物や出来事を通じて彼女の心を惹こうとした自分に対して、自己嫌悪の感情が湧き上がります。


バラの花もないよ
汚れてるシャツに履き慣れたジーパンで
愛を伝えたいだとか
臭いことばっか考えて待ってても
だんだんソファに沈んでいくだけ
僕が明日良い男になるわけでもないからさ
焦らずにいるよ
今日は日が落ちる頃に会えるの?

最後に、主人公は彼女の注意を引くための努力を諦めます。

日常の部屋と身に着ける洋服。
そのままの姿になった“僕”の心情はいかに変わったでしょうか?

“僕”は未だに帰らない“君”を待ち続けています。

彼女への深い愛情は揺るぎません。

変わったのは、彼の内面です。

恋愛を通じて大人への一歩を踏み出す過程が描かれています。

いわゆる「通過儀礼」を経験したのです。

「愛を伝えたいだとか」の曲中で主人公はその思いを“君”に伝えることは叶いませんでした。

しかしある日、彼女が戻ってきた時、“僕”は自信を持って想いを伝えることができるでしょう。

映画を一本観たかのよう

このたびは、あいみょんの「愛を伝えたいだとか」の歌詞を解釈させていただきました。

帰らない“君”に対して、忍耐強く待ち続ける“僕”の情景が描かれています。

あいみょんの繊細で大胆な歌詞は、幅広い視点から解釈することができます。

結局、“僕”は最後まで自分の気持ちを伝えることができなかったのです。

皆さんはどのような解釈をされましたか?

聴いた後、友人たちとお互いの考えを分かち合いたくなるような、まるで映画のような楽曲です。