あいみょんの「愛を伝えたいだとか」は、恋人への思いを素直に伝えられない男性の姿を描いたラブソングです。
しかし、歌詞を丁寧に読み解いていくと、これは幸福な恋愛の歌でも、告白を決意する前向きな歌でもありません。
描かれているのは、いつ帰ってくるか分からない女性を部屋で待ちながら、自分が愛されているのか確信を持てずにいる男性です。
彼が求めているのは、単に「愛を伝えること」ではありません。むしろ彼は、相手から愛されているという証拠を欲しがっています。
本記事では、「愛を伝えたいだとか」の歌詞に描かれた二人の関係、朝の風景や割れた目玉焼きの意味、そしてタイトルに添えられた「だとか」という曖昧な言葉の正体を考察します。
「愛を伝えたいだとか」はどんな曲?
「愛を伝えたいだとか」は、2017年5月3日に発売された、あいみょんのメジャー2枚目のシングルです。作詞・作曲はあいみょん、編曲には近藤隆史、立崎優介、田中ユウスケが参加しています。
ファンクを基調とした軽快なサウンドとは対照的に、歌われているのは不安定で、どこか情けない恋愛感情です。
あいみょんは発売当時のインタビューで、この曲について「一緒に暮らしている女性が、いつも朝帰りする」という設定で書いたことを明かしています。また、部屋で彼女を待つ男性を、だらしない人物というよりも「けなげな男性」としてイメージしていたと語っています。
つまり、歌詞の主人公と「君」は、ただの片思い相手同士ではありません。
少なくとも同じ部屋で生活するほど近い関係でありながら、心の距離だけが遠ざかっている二人なのです。
歌詞の意味を先に結論づけると
「愛を伝えたいだとか」は、愛を告白する歌ではなく、相手の愛情を確認できない男性が、自分の不安を独り言で埋めようとする歌だと考えられます。
主人公は彼女を愛しています。
ところが、彼女が同じ熱量で自分を愛しているのかは分かりません。帰宅時間も不規則で、翌日を一緒に過ごせる保証もない。彼女の生活の中心に自分がいるという実感を持てないのです。
そこで主人公は、料理をしたり、特別な演出を想像したり、服装について考えたりします。
しかし、実際に彼女と向き合って話す場面はほとんどありません。
彼が話しかけている相手は、目の前の彼女ではなく、頭の中にいる彼女です。
この曲の切なさは、二人の物理的な距離ではなく、同じ部屋に暮らしているのに会話が成立していないことから生まれています。
健康的な朝と、不健康な恋愛
曲の冒頭では、明るい朝の部屋が描かれています。
カーテンが揺れ、光が差し込み、穏やかな時間が流れている。風景だけを切り取れば、恋人と過ごす幸福な朝のようにも見えます。
ところが、彼女はそこにいません。
主人公は気持ちのよい朝を迎えながら、彼女から愛情を示す言葉を聞きたいと願っています。
ここには大きなねじれがあります。
外の世界は明るく、爽やかな朝を迎えているのに、主人公の心は夜のままです。朝帰りする彼女を待っていた彼にとって、朝日は一日の始まりではなく、「彼女が帰ってこなかった時間」を可視化するものでもあります。
冒頭の健康的な風景は、主人公の恋愛が健康ではないことを、かえって強調しているのです。
割れた目玉焼きが象徴する二人の関係
朝食として登場する目玉焼きも、重要なモチーフです。
主人公は彼女のためなのか、自分のためなのか、朝の食事を用意しています。しかし、その目玉焼きはきれいな形になりません。
目玉焼きは、日常的でささやかな家庭生活を象徴する料理です。
豪華なディナーではなく、二人で迎える朝に似合う食べ物。それが崩れてしまうという描写には、主人公が思い描く「恋人らしい日常」が、思いどおりの形にならない現実が重なります。
彼は大きな不幸に見舞われているわけではありません。
恋人が明確に別れを告げたわけでも、決定的な裏切りが示されたわけでもない。ただ、小さな違和感や失敗が積み重なっています。
だからこそ苦しいのです。
終わった恋なら諦めることもできます。しかし、この二人の関係は終わったのか続いているのかさえ曖昧です。崩れた目玉焼きは、完全には壊れていないものの、理想の形を失った二人の関係そのものだと解釈できます。
主人公が欲しいのは「愛」ではなく「愛されている証拠」
主人公は、彼女に自分の思いを届けたいと考えています。
ところが歌詞の中心にあるのは、自分から何を与えるかではなく、彼女から何を返してもらえるかという不安です。
彼女は何時に帰ってくるのか。
明日は二人で過ごせるのか。
自分を本当に愛するつもりがあるのか。
こうした問いから見えてくるのは、主人公が恋人の気持ちをほとんど信じられていないということです。
本来、愛情は言葉だけで証明されるものではありません。しかし、彼女の日常的な態度から愛を感じ取れない主人公は、分かりやすい言葉にすがろうとします。
彼が愛情表現を求めるのは、ロマンチックな性格だからではありません。
彼女を信用できないからです。
ただし、主人公は彼女を責めきることもできません。強く問い詰めれば、彼女が本当に離れてしまうかもしれない。その恐怖があるため、不満を冗談や軽い言い回しに変えています。
その結果、主人公の言葉は告白にも抗議にもならず、部屋の中を漂う独り言になっていくのです。
大きなケーキやろうそくは、愛情を買うための演出なのか
歌詞の途中では、大きなケーキやろうそくなど、日常には不釣り合いな派手なアイテムが想像されます。
ここで主人公は、愛されるための方法を探しています。
特別なものを用意すれば、彼女は喜んでくれるのではないか。
ロマンチックな雰囲気を作れば、二人の関係を取り戻せるのではないか。
そう考えているのでしょう。
しかし、ケーキやろうそくが具体的になるほど、主人公の孤独は深く見えてきます。
二人の問題は、部屋の飾り付けが足りないことではありません。相手の本心が見えず、会話も十分にできていないことです。
それでも主人公は、根本的な問題から目をそらし、演出によって彼女の心を動かそうとします。
愛されるために何かを用意しなければならないと感じている時点で、彼はありのままの自分に自信を失っています。
派手な演出の想像は、愛情の豊かさではなく、愛される方法が分からなくなった男性の焦りを表しているのではないでしょうか。
「完璧な男には惹かれない」という言葉にすがる主人公
主人公は、彼女が以前語った男性の好みにも触れています。
彼女は、欠点のない完璧な男性には魅力を感じないという趣旨の発言をしていたようです。
主人公にとって、その言葉は希望です。
自分は完璧ではない。料理も思いどおりに作れず、部屋でうじうじと悩み、恋人に振り回されている。それでも彼女が「完璧ではない男」を好むなら、自分にも愛される可能性が残っているかもしれない。
しかし、この解釈には主人公の都合のよさもあります。
「不完全でもいい」と「努力しなくてもいい」は、同じ意味ではありません。
彼は自分の不器用さを個性として受け入れてほしいと思う一方で、彼女と正面から話し合うことから逃げています。
彼女の過去の発言を、自分が変わらなくてもよい理由として利用しているようにも見えるのです。
この曲が主人公を単純な被害者として描いていない点は重要です。
朝帰りする彼女にも問題はあるでしょう。しかし、曖昧な関係を曖昧なまま受け入れている主人公もまた、二人の停滞に加担しています。
飾らない服装で会いに行くことの意味
終盤では、バラを持った理想的な男性像と、着慣れた服を身につけた現実の自分が対比されます。
主人公は最終的に、完璧に演出された男性を演じるのではなく、普段の自分の姿で彼女と向き合おうとしているように見えます。
これは一見すると、前向きな変化です。
高価な贈り物や華やかな演出ではなく、ありのままの自分で愛を伝えようとしている。そう考えれば、主人公は少しだけ成長したとも解釈できます。
ただし、本当に彼女に思いを伝えたかどうかは明確に描かれません。
服装を決め、会う場面を想像しても、彼女が帰ってくるとは限らない。主人公は最後まで、行動と空想の境界線に立っています。
だからこそ、この曲の結末には爽快な解決がありません。
主人公が勇気を出して関係を変えたのか。それとも、いつものように頭の中で計画を立てただけなのか。聴き手は判断を委ねられます。
この余白が、「愛を伝えたいだとか」を単純な告白ソングでは終わらせていません。
タイトルの「だとか」に隠された逃げ道
この曲を読み解くうえで、最も重要なのがタイトルです。
曲名は「愛を伝えたい」ではなく、「愛を伝えたいだとか」となっています。
「だとか」は、発言をぼかしたり、いくつかある考えの一例として示したりするときに使われる表現です。
断定を避ける言葉ともいえるでしょう。
主人公は、本当は彼女に愛を伝えたい。
しかし、それを正面から認めるのは恥ずかしい。拒絶されたときに傷つくのも怖い。そのため、まるで大したことではないように語尾を曖昧にしています。
この「だとか」は、主人公の照れ隠しであると同時に、心を守るための逃げ道です。
本気の告白ではないふりをしておけば、受け入れられなくても「冗談だった」と自分に言い聞かせられます。
ただし、言葉を曖昧にすればするほど、彼女には本気が伝わりません。
主人公は傷つかないために曖昧な表現を選び、その曖昧さによってさらに孤独になっています。
曲名だけで、この男性の不器用さと弱さが表現されているのです。
ミュージックビデオの狭い部屋が表す閉塞感
ミュージックビデオは、狭い部屋とそこにある物だけを使い、ワンカメラ、ワンカット、無編集という形式で撮影されました。監督は林響太朗です。
この映像表現も、歌詞の世界と深く結びついています。
カメラが部屋から逃げ出さないように、主人公の意識も恋愛から抜け出せません。
彼の世界には、彼女を待つ部屋と、彼女について考える時間しかない。場面転換がないことによって、同じ思考を繰り返す主人公の閉塞感が視覚化されています。
一方で、映像には遊び心や軽快さもあります。
深刻な恋愛感情を、重苦しいバラードとしてではなく、リズミカルな音楽とユーモラスな動きで見せる。この明るさと切なさの同居こそ、楽曲の大きな魅力です。
聴き手は踊れるようなサウンドを楽しみながら、気づけば愛されない不安を抱えた男性の部屋に閉じ込められています。
なぜ「愛を伝えたいだとか」は長く聴かれているのか
同曲は2024年5月に、ストリーミング累計3億回再生を突破しました。発売から年月が経過した後も、多くのリスナーに聴かれ続けていることが分かります。
その理由の一つは、主人公の感情が格好よく整理されていないからでしょう。
恋をすると、人は必ずしも美しく振る舞えるわけではありません。
相手の返信を待ち続けたり、何気ない言葉の意味を考えすぎたり、愛されるために自分を演出しようとしたりする。素直に聞けば済むことを聞けず、一人で想像を膨らませてしまうこともあります。
「愛を伝えたいだとか」の主人公は、そうした恋愛の格好悪さを隠しません。
強がりながら不安になり、諦めようとしながら期待する。相手を責めながら、それでも帰りを待ってしまう。
その矛盾した姿に、多くの人が自分自身を重ねられるのです。
まとめ|これは愛の告白ではなく、孤独な愛情確認の歌
あいみょんの「愛を伝えたいだとか」は、朝帰りを繰り返す同居女性を待つ男性の恋愛を描いた楽曲です。
主人公は彼女に愛を伝えたいと思っていますが、それ以上に、彼女から愛されているという確信を求めています。
明るい朝の風景は、彼の心に残る夜を際立たせます。
崩れた朝食は、理想どおりにならない二人の日常を象徴し、ケーキやろうそくの想像は、愛される方法を見失った焦りを表しています。
そしてタイトルにある「だとか」は、本心を断言できない主人公の弱さそのものです。
彼があと一歩踏み出せないのは、愛が足りないからではありません。
愛が大きすぎるため、拒絶されたときにすべてを失うのが怖いのです。
だから彼は、真正面から「愛を伝えたい」と言えません。
冗談めかして、独り言のように、逃げ道を残したまま口にする。
「愛を伝えたいだとか」という曖昧な曲名には、好きな人を失いたくないあまり、本気を隠してしまう人間の切実さが凝縮されているのです。


