【やさしさに包まれたなら/松任谷由実】歌詞の意味を考察、解釈する。

「物語」ではなく「質感」の音楽

ユーミンこと松任谷由実の作り出す音楽はどこにも属さない。

彼女が天才少女・荒井由実としてデビューした時、ある大人がこう言ったそうだ。

「君の音楽には哀愁の哀がない。だから売れない」

きっと、「哀愁の哀」を担うのは「歌が持つ物語」なのだろう。

彼女はそれをあえて排除した。
物語を否定し、楽曲の持つ質感、温度、匂い、そういったものを芯に据えた。
勿論、聴き手が独自に物語を作り出す場合もあるが、ユーミンがその物語の語り部となることはない。
時代は演歌、フォーク、ニューミュージック、J-POPからさらなる細分化へと変遷したがユーミンは常に「ど真ん中から少しはずれたところ」にいたように感じる。
言わずもがな、「SURF&SNOW」を始めとする作品は時の女子大生やOLのバイブルとなり、ユーミンの描き出す世界観、特にバブル期の狂騒と共存する質感は「王道」と呼ぶにふさわしいものであった。
しかし、伴侶とした松任谷正隆が所属するキャラメル・ママには細野晴臣、鈴木茂、林立夫といった日本のミュージックシーンを裏から支える名プレイヤーが揃っており、「ひこうき雲」や「やさしさに包まれたなら」といった彼女の作り上げる世界をさらに押し広げ、「フォークでもロックでもない、『ユーミン』としか呼べない音楽」を数多く作り上げた。
彼女の余りある才能が「異端」を「王道」へと導いたのではないかと思う。
同じように独自の世界を表現し続けるユーミンの永遠のライバル、中島みゆきの楽曲には物語とそれにまつわる情念があり、両者の対比は単に頂点を争う関係性だけではなく、作風にも現れていると言えるだろう。
奇しくも両者とも作曲家として数多くの作品を他者に提供しており、アーティストとしてだけでなく作曲家としてもライバル関係にあったのではないだろうか。

今回はそんなユーミンがまだ結婚していない、「荒井由実」名義の頃に発表し、彼女の代名詞とも呼べる楽曲「やさしさに包まれたなら」を考察してみたい。

イノセンスを失い、大人になる直前の風景

小さい頃は神さまがいて

不思議に夢をかなえてくれた

やさしい気持で目覚めた朝は

おとなになっても 奇蹟はおこるよ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる全てのことは メッセージ

小さい頃は神さまがいて

毎日愛を届けてくれた

心の奥にしまい忘れた

大切な箱 ひらくときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる全てのことは メッセージ

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の

やさしさに包まれたなら きっと

目にうつる全てのことは メッセージ

ユーミンの作風は作品によってコロコロと変わる。

荒井由実名義の初期の作品は彼女自身の原点でもあるプロコル・ハルムの「青い影」に端を発するブリティッシュ・ロックを中心とした洋楽サウンドが多いが、松任谷由実名義となってからは雑多な音楽性を次々と取り入れ、ラテンやスパニッシュ、中近東といったワールドミュージックや「春よ来い」のような和を感じさせる作品、ジャズやファンクといったブラック・ミュージックも消化し、ユーミンが目指すところの「質感、温度、匂い」をより強く表現できる作風を取り入れている。
私がユーミンに驚嘆するのは、その全てが計算ずくである、というところである。
緻密に計算された無数の仕掛けで無限の世界観を構築する。
そして、彼女が最も重要視していると思われるのが「共感」である。
天才ならではの孤高の世界ではなく、あくまで大衆性を伴った共感できる世界を感情ではなく計算で構築できる、それがユーミン最大の恐るべき才能ではないだろうか。

「やさしさに包まれたなら」はどうだろう。
カントリーを感じさせるアコースティックギターは日本語ロックの元祖とも呼べるバンド「はっぴいえんど」などでも活躍した鈴木茂によるもので、林立夫のタイトなドラムと細野晴臣が奏でる、飛び跳ねるようなベースもカントリーを思わせるサウンドとなっている。

カントリーはアメリカ発祥の音楽で、その名の通り故郷・郷愁をテーマとする作品が多く作られている。
現在では幅広い音楽性を持ち合わせていて、フォークやブルース、ロックといったジャンルとの親和性も高く、日本におけるJ-POP、アメリカにおけるカントリー、といった位置付けで問題ないのではないだろうか。

ともかく、カントリーの主要テーマは「郷愁」である。
生まれ育った場所を想う感情と、その場所を離れる、または離れた場所からふるさとを想う感情を表現するにはもってこいのジャンルである。

Aメロでは無邪気な幼少期の気持ちが歌われている。
サンタクロースを信じていたような幼い頃の記憶と、成長した今の気持ち。
カーテンを開ければ窓から優しく差し込む光に包まれる。
庭にはくちなしの花が咲き誇っていて、雨上がりの花からは強い香りがする。
何もかも、幼かったあの頃と同じだ。

成長するということは、痛みを知ることでもある。
「雨上がりの庭」という歌詞があるが、「雨」はおそらく試練、挫折、別れなど成長に伴う痛みを指し、その後に香るくちなしの花は試練を乗り越えた喜びを指しているのではないだろうか。
きっと、この主人公は既に故郷を離れていて一時的に帰郷しているか、間もなく離れる予定なのだろう。
そして幼少の頃を思い出し、新たな気持ちで人生の新たなページをめくろうとしている。

映画「魔女の宅急便」と共通する世界観

この「やさしさに包まれたなら」は1974年に発表された作品だが、その後1989年に映画「魔女の宅急便」の主題歌として再リリースされている。
「魔女の宅急便」はある一人の魔女の女の子が故郷を後にし、痛みを知り、新たな人々と出会い成長する物語で、映画の監督である宮崎駿は当初書き下ろしの作品をユーミンに発注しようとした。
しかしどうも物語の根幹を掴みきれないユーミンは「書けない」と断ったところ、「それでは、『やさしさに包まれたなら』を使ってもいいですか?」となり、主題歌となった経緯がある。
結果、この歌は映画にこれ以上なくフィットした作品となり、同じくユーミンの楽曲で劇中歌として使用された「ルージュの伝言」と共に映画の世界観を表現した作品として今日まで親しまれ続けている。

宮崎駿はその後も「風立ちぬ」という映画において荒井由実の「ひこうき雲」を主題歌として起用しており、その際には「若い頃に繰り返し繰り返し、テープが伸びるまで聴いた作品」と「ひこうき雲」への想いを寄せている。
宮崎駿が主宰するスタジオ・ジブリの作品にはその他にも例えば「耳をすませば」に起用された「Take me home, Country road」や「紅の豚」で起用された「さくらんぼの実る頃」、また「おもひでぽろぽろ」ではベット・ミドラーの「The Rose」を日本語訳した「愛は花、君はその種子」など単なるタイアップにとどまらない、「作品の一部」としての主題歌を起用しており、「やさしさに包まれたなら」と同様に映画と主題歌が互いに相関する作品を数多く作っている。

改めてこの「やさしさに包まれたなら」に耳を澄ませて「魔女の宅急便」を鑑賞してみてはどうだろうか。

今まで気づかなかった新しい歌の側面、映画の側面が発見できるはずだ。