【クロノスタシス/きのこ帝国】歌詞の意味を考察、解釈する。

女優出身ならではの世界観の構築

役者とミュージシャンを行き来するアーティストは多い。

古くは美空ひばりが歌を歌いつつも銀幕で華々しい演技を見せたのをはじめ、御三家と呼ばれた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦から近年では福山雅治や菅田将暉、柴咲コウや上白石萌音などが演技と音楽を両立させて活躍している。

今回取り上げるきのこ帝国の首謀者、佐藤千亜妃はどうだろうか。
幼少の頃に女優となり、幾つかの映像作品に出演した佐藤千亜妃は大学の同級生と共にオルタナティヴロックバンド・きのこ帝国を結成し、徐々に役者からミュージシャンへと変貌する。

バンド名からして唯一無二の個性を持つサイケデリックロックバンド・ゆらゆら帝国から拝借したという彼女達の音は「女優がちょっと音楽やってみました」というレベルから完全に逸脱していた。
全作詞・作曲を担当する佐藤千亜妃が作り出す楽曲は大衆性からは程遠く、ポストロックやシューゲイザーといった玄人向けのロックとスネオヘアーのような「すぐそばにある憂い」を帯びた世界観を持ち(そういえば、スネオヘアーも劇団に所属する役者だった事がある)、一部の音楽ファンから高い評価を受けていた。
そこにはきっと、「女優としての佐藤千亜妃」が持つ世界観も含まれていたのは想像に難くない。
彼女自身が出演するMVはこれ以上ないほどに楽曲の世界観を表現しており、佐藤千亜妃という一人の人間が作り出す世界を歌、演奏、演技、歌詞、そして映像という5つの要素で表現したものなのだと私は思う。
残念ながらきのこ帝国は2019年に活動を停止し、佐藤千亜妃はソロでの活動を始める。
ソロになった彼女の音はそれまでに比べて幾分ポップになったように思えた。
ドラマ「レンアイ漫画家」の主題歌として書き下ろされた「カタワレ」はティーンエイジ・ファンクラブを思わせるギターポップで、「レンアイ漫画家」というドラマの主題歌としてこれ以上なくドラマを彩っていた。
ソロの佐藤千亜妃は持ち前のギターロックを残しつつ、ヒップホップやレゲエ・ダブといった要素も取り入れており、その表現の幅を更に広げているように思う。

今回は佐藤千亜妃の原点であるきのこ帝国の代表曲とも言える「クロノスタシス」を考察してみたい。
佐藤千亜妃がまだ大学生だった頃に作られ、2014年に発表されたこの楽曲には何が込められているのか、そして発表から6年以上経ってから映画「花束みたいな恋をした」の劇中曲として起用されるなど息の長い評価を受けている「クロノスタシス」を紐解いてみたい。

なんでもないような一日の、なんでもないような夜の一風景

コンビニエンスストアで

350mlの缶ビール買って

きみと夜の散歩

時計の針は0時を差してる

クロノスタシスって知ってる?

知らないときみが言う

時計の針が止まって見える

現象のことだよ

佐藤千亜妃がこの「クロノスタシス」を書いたのは大学生の頃である。

大学生は子供と大人のちょうど中間のような位置だろうか。
アルバイトをすれば収入を得ることができるのは高校生も同じだが、大学生は親元を離れることも多い。
生まれ育った故郷を離れ、多くの人がせめぎあう東京。
部屋を借り、一人暮らしの孤独というそれまでにない時間を過ごし、異性と夜更かしをしてコンビニへ買い物に出る。
350mlのビールを片手に、未だざわめく午前零時の東京をぶらぶらと歩いて帰る。

―私にはそんな「わかりやすく輝いた青春の1ページ」のような経験はないが、きっと世の多くの若者はそんな夜を、「日々生まれ落ちる、何かが起こりそうで何も起こらない密度の濃い夜」を過ごしているのではないだろうか。
あるいは、佐藤千亜妃自身の経験なのかもしれない。

異性と他愛のない話をする。
「クロノスタシスって知ってる?」

クロノスタシスとは、例えば時計の秒針に目を移した時、秒針が最初に動くまでの時間が次の一秒よりも長く感じる目の錯覚である。
知らなくても特に生きて行くのには困らない、ほとんどの人にとっては役に立たない雑学の一つである。
しかし、大人になりかけの彼らにとっては、そういった「特に役に立たない雑学」こそが憧れとしての大人っぽい要素なのだろう。
そして、「クロノスタシス」はなにやら―ロマンティックである。
時間が意識によって長くなったり短くなったりする、それを「ちょっと気になる異性」と結びつければ物語の一つになりうるロマンを持ち合わせている。
なんでもないような日の、なんでもない夜が、しっとりとした湿り気を帯びた密度の濃い夜に変化する、この最初のサビではそんな二人の空気感を推し量ることができる。

BPM83に込められた秘密

Holiday’s midnight

少し汗ばんだ手のひらが

子供みたいな体温

誰も知らない場所に行きたい

誰も知らない秘密を知りたい

街灯の下で きみの髪が

ゆらゆら揺れて 夢のようで

ゆらゆら揺れて どうかしてる

Holiday’s midnight

今夜だけ忘れてよ 家まで帰る道

なんかさ ちょっとさ いい感じ

街灯の下で きみの影が

ゆらゆら揺れて 夢のようで

ゆらゆら揺れて どうかしてる

歩く速度が違うから

BPM 83に合わせて

きみと夜の散歩

それ以上もう何も言わないで

クロノスタシスって知ってる?

知らないときみが言う

時計の針が止まって見える

現象のことらしいよ

BPMとは音楽におけるテンポの速さの単位である。
一分間に何拍あるか、という単位で、数が多いほどテンポが速い。
人間の心音はおよそ70~80程度で、83はおおよそそれに近いゆったりとした速度である。

そして、この「クロノスタシス」のBPMも83である。
これはあえて合わせたのか、そのテンポになったから83という数字を使ったのかは不明だが、インタビューによれば以下の通りである。

この曲の1サビのBPMが83になってます。
厳密に言うともう少し細かい数字なのですが、楽しくて、帰るのが惜しい気持ちでゆっくりと歩いている、そんな感じの速さです。

ビールを片手に(BPM83のテンポで)ぶらぶらと歩く。
そばには気になる異性がいて、他愛もない話を、例えば「クロノスタシス」について話してみたりする。
街にはまだきらきらとした灯りが残っていて、人々のざわめきは心地よいBGMとなって二人を包む。
家まではまだしばらく歩くが、まだまだ家につかなくてもいいや、この時間が楽しい、という感情が見て取れる。
そうやって歩いた時間は何分くらいだろうか、10分、15分、しかし、その時間は「クロノスタシス」のように長く感じられる。
昼間とは違う夜の風景。
お酒も入って心地よく陶酔すれば、街灯に照らされる君の影も愛おしく思える。

そして、「クロノスタシス」という言葉に込められた意味は最後に明かされる。

ほんの短い時間が長く感じられる夜

ゆらゆら揺れて 夢のようで

ゆらゆら揺れて どうかしてる

コンビニエンスストアで

350mlの缶ビール買って

きみと夜の散歩

時計の針は0時を差してる

クロノスタシスって知ってる?

知らないときみが言う

時計の針が止まって見える

現象のことだよ

三度繰り返されたこの歌詞だが、よく聞くと少し違っている。

「時計の針が止まって見える現象のことだよ」

と、

「時計の針が止まって見える現象のことらしいよ」

である。

「ことらしいよ」は二回目のサビで現れる。
一回目と三回目は「ことだよ」と断定している。

それぞれニュアンスが違って聞こえるのは気のせいだろうか。

一回目は話の取っ掛かりとして、二回目は話のひとつの区切りとして、

そして三回目は結論として、ではないだろうか。

密度の高い夜を過ごした二人。
もうじき家につく。
歩いて帰った時間はそう長くはないはずだ。
しかし、帰り道は楽しく、そして長く感じられた。
まるで秒針が止まって見えるかのように、そう、「クロノスタシス」のように、時間が止まっているように感じられた帰り道だった。
「クロノスタシス」というタイトルは、それを表現しているのではないだろうか。
時間が止まっていると感じるほどに密度の濃い瞬間。
この帰り道はまさにそんな瞬間だったのではないだろうか。

いかにも現代風の若者が憧れるような洒落た夜を、ゆったりとしたサウンドで描いてみせた「クロノスタシス」。

ヒップホップを感じさせるグルーヴの曲だが、サウンドはやはりポストロック寄りの空気感を持ち合わせていて、数ある夜の、特に夏だろうか、夏の夜の湿り気を感じさせている。

6年以上経ってからの再評価も納得の、現代の都会の夜の一瞬を切り取った美しい物語である。