【若者のすべて/フジファブリック】歌詞の意味を考察、解釈する。

フジファブリックというバンドを、そして志村正彦という人を象徴する名曲

2000年に結成され、叙情的なサウンドと類稀な才能を持ったメインソングライター・志村正彦の作り出すメロディと独特かつ朴訥な声が高く評価されているフジファブリック。

「茜色の夕日」「虹」「陽炎」「銀河」といったシングル曲は勿論、「星降る夜になったら」「Anthem」などといったアルバム曲にも名曲が多くあるが、志村正彦亡き後も活動を続けるフジファブリックを象徴する楽曲と言えばやはり「若者のすべて」であろう。

しっとりとした湿り気を帯びたサウンド、誰しもが共感する郷愁や夏の終わりの匂いといった情景を思い起こさせる歌詞、そして仄かな熱を感じさせる志村正彦のエモーショナルな歌唱は多くのリスナーの心を打ち、また桜井和寿がボーカルを務めるBank Bandをはじめ、藤井フミヤ、槇原敬之、柴咲コウ、アイドルネッサンス、私立恵比寿中学など多くのミュージシャンによってカバーされたフジファブリックの代名詞とも言える楽曲である。

今回はこの「若者のすべて」の歌詞を考察してみたい。

志村正彦の地元・山梨をモデルに描かれる世界観と「茜色の夕日」との共通点

真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた

それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて

「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

志村正彦がソングライターとして大きく羽ばたくきっかけともなった曲が「茜色の夕日」である。

アマチュア時代に書かれたこの楽曲は「若者のすべて」と並ぶフジファブリックの代表曲と言える作品であり、音楽をやめて地元に帰ろうとしていた志村正彦に対し「だったら、この曲をくれ」と当時の志村のアルバイト先の先輩である綾小路翔(氣志團)が本気で頼んだという逸話や、志村の逝去後は一度も現在のフジファブリックで演奏されていない(生前の志村の声に合わせてバンドが演奏したことはある)という一際特殊な扱いを受けているこの曲には「若者のすべて」と共通する世界観が描かれている。
言うなれば「茜色の夕日」の続きが「若者のすべて」といっても差し支えはないだろう。
また、フジファブリックの他の楽曲にも同様の描写が見られる楽曲が散見される。
「あの人」に伝えることができなかった言葉と思い。
志村正彦はそれをずっと抱えて生きて、その思いを歌い続け、そして死んだ。
もしかしたら、志村正彦の時間はずっと「あの人と過ごした夏」で止まっていたのかもしれない。
決して歌がうまいボーカリストではなかった。
不器用だったし、優柔不断で情けない歌詞も、何が言いたいのかよくわからない歌詞も多くあった。
しかし、不器用ながらも一生懸命に伝えようとするその姿勢は私達リスナーにとても大切なことを教えてくれたのではないだろうか。

ほんの少し進んだ「僕の気持ち」

最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな

会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

「茜色の夕日」ではこう歌われていた。

僕じゃきっと出来ないな

本音を言うことも出来ないな

無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

茜色の夕日

本音を言うことは出来ないな、という「茜色の夕日」から、「若者のすべて」では会ったら言えるかな、とほんの少しだけ前に進んだ心情が表現されている。

そして、「茜色の夕日」と「若者のすべて」の間には「赤黄色の金木犀」で描かれていた決意もある。

もしも 過ぎ去りしあなたに 全て 伝えられるのならば

それは 叶えられないとしても 心の中 準備をしていた

赤黄色の金木犀

人は誰でも、ああしていればよかった、という思いを抱える。

思い出すたびに、どうすればよかったんだろう、と自問する。

もし次また会うことが出来たのならばこう言おう。

例えその「次」が来ないとわかっていても、その一歩は人を少しだけ強くする。

おそらくはフジファブリック結成前に過ごした一つの夏。

志村正彦はずっとそれを歌っていたのかもしれない。

あの時は伝えられなかった言葉と、ほんの少しの成長

世界の約束を知って それなりになって また戻って

街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ

途切れた夢の続きをとり戻したくなって”

最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな

会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

時が経ち、ほんの少し成長した「僕」はあの夏を思い出す。

今度はちゃんと伝えよう、何度も夢見たその思いを抱えて向かった地元の花火大会。

次々に打ち上げられる花火に思いを馳せる。

「いないだろうな、でもいるかもしれない」という思いを歌った歌に山崎まさよしの「One more time, One more chance」がある。

いつでも捜しているよ どっかに君の姿を

向いのホーム 路地裏の窓

こんなとこにいるはずもないのに

山崎まさよし「One more time, One more chance」

男は女々しい生き物である。

あの人と行った花火、あの人がいた駅のホーム、或いは、あの人が付けていたドルチェ&ガッバーナの香水。
あの人はもういないとわかっていても姿を探してしまう。
思い出し、悔やむ。
何年経っても、思い出してしまう生き物なのである。

思いがけない再会の驚きと、新たな夢の続き

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな

何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな なんてね 思ってた

まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら

僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

花火も終盤に差し掛かり、「あの人」の事を思い出していた「僕」は帰途につく。
そうだよな、いないよな、と諦めて歩き出した「僕」の目の前に「あの人」は思いがけず姿を現す。
参ったな、言おうと思っていた言葉も引っ込んでしまった。
二人はただ、無言で最後の花火を見上げる。
この花火が終わったら、今度こそきちんと伝えよう。
不器用でもいい、後悔のないように。

これは志村正彦が見た夢の続きである。
実際はどうだったか、真相は知る由もないし物語は物語のままで美しく置いておこう。

フジファブリックが、そして志村正彦が遺した美しくも儚い物語、それが「若者のすべて」である。

音楽
ヌキンデテル
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