「正しくなれない」歌詞の意味を徹底考察|ずっと真夜中でいいのに。が描く“正しさ”とは?

1. 『正しくなれない』の歌詞に込められた「正しさ」とは何か?

『正しくなれない』というタイトルが象徴するのは、「正しさ」への葛藤とその不可能性です。現代社会では、「正しい」とされる価値観や行動が多数派により形成されがちですが、それは時に個人の感情や自由を押し殺す枠組みにもなります。

この楽曲における「正しくなれない」は、そうした社会通念への反抗心だけでなく、自分自身が「正しさ」と信じていたものが揺らいだ経験を表しているように感じられます。登場する歌詞の随所に、「もういいや」「誰かの正義を壊したい」などのフレーズがあり、これはただの反抗ではなく、「自分なりの正しさ」を求めてもがく姿とも受け取れます。

ずっと真夜中でいいのに。の楽曲にはしばしば、現代的な疎外感や孤独が描かれますが、『正しくなれない』ではその延長線上に「社会に馴染めない私」ではなく、「社会の正しさに馴染まない私」を肯定する姿が浮かび上がります。


2. 『約束のネバーランド』との関連性と歌詞の意味

『正しくなれない』は、映画『約束のネバーランド』の主題歌として制作されました。この作品は、孤児院で育つ子どもたちが過酷な運命に抗い、真実を求めて戦うというストーリーです。表面的には幸福そうに見える世界の裏にある真実を知り、「正しさ」を求めて行動する姿は、まさにこの楽曲のテーマと共鳴します。

歌詞には、「夢を見ていた」「知りすぎたのは罪だったかな」など、主人公たちの心情に重なるような言葉が並びます。自分が信じていた世界が崩れ去ったとき、それでも前に進もうとする意志が、静かに、しかし力強く描かれているのです。

楽曲の持つ繊細なメロディーと裏腹に、歌詞には強い決意が込められており、それが『約束のネバーランド』という作品と重なることで、より一層の深みを生んでいます。


3. MVに描かれるストーリーとその象徴性

『正しくなれない』のミュージックビデオ(MV)は、アニメーションを中心とした幻想的な映像が特徴です。登場するキャラクターたちは、それぞれが「正しさ」に縛られ、そこから解放されようとする存在として描かれているように見えます。

特に印象的なのは、機械仕掛けの世界や、目を覆いたくなるような現実の断片が断続的に現れるシーンです。これらは、理不尽な現実や見たくない真実のメタファーとして機能しており、「見なかったことにする」ことで保たれる平穏への疑問を投げかけているように感じます。

また、主人公の少女が一人で走り続ける姿や、周囲のノイズに惑わされる描写も、孤独と希望を同時に映し出しており、視聴者の感情を揺さぶる構成になっています。歌詞と映像が密接に連動することで、「正しくなれない」という言葉に多層的な意味が加わっている点が、このMVの魅力です。


4. 「霧が毒をみた」など印象的なフレーズの解釈

『正しくなれない』の歌詞の中でも、「霧が毒をみた」や「正しくなくてごめんね」など、直感的には意味がつかみにくいフレーズが登場します。これらは抽象的であるがゆえに、多様な解釈を許容する重要な要素となっています。

たとえば「霧が毒をみた」という一節は、「曖昧だったものがはっきりと見えてしまった瞬間」のように読むことができます。霧という存在が「見る」という行為をすること自体が詩的な表現であり、曖昧さの中に潜んでいた不安や現実が突如として露呈する恐怖がそこに込められているようです。

「正しくなくてごめんね」は、自分の在り方を否定しつつも、それを貫く強さと葛藤を示しています。この言葉には、誰かを傷つけてしまったかもしれないという良心と、それでも変われない自分への諦念が重なっています。

これらのフレーズは、曖昧であるがゆえに聴き手の状況に応じて自由に意味を変えることができる、「ずとまよ」らしい言葉選びの妙です。


5. 「正しくなれない」ことへの共感とメッセージ性

『正しくなれない』というフレーズに、多くのリスナーが共感を寄せているのは、「誰もが正しさに自信を持てない時代」に生きているからかもしれません。SNSや情報過多の現代では、何が正しくて何が間違っているのかが日々揺れ動き、誰かの正義が他人を傷つけることすらあるのが現実です。

この曲は、そうした不安定な時代において、「正しさを目指す」ことではなく、「正しくなれない自分を受け入れる」ことを肯定しています。決して声高に叫ぶわけではなく、静かに、しかし確固たる意志でそのメッセージを伝える点に、ずっと真夜中でいいのに。の音楽的魅力が凝縮されているように思います。

リスナーはこの楽曲を通して、「正しくなれないことは悪ではない」「自分らしくあればいい」という勇気をもらえるのではないでしょうか。