マカロニえんぴつの「忘レナ唄」は、胸が熱くなる“青春の衝動”と、うまくいかない現実の“悔しさ”が同時に鳴っている曲です。
TVアニメ『忘却バッテリー』のエンディングテーマとして書き下ろされ、2024年4月10日に配信スタート。EP『ぼくらの涙なら空に埋めよう』(5月29日リリース)にも収録されています。
タイトルの「忘レナ」は、一見すると「忘れるな(忘れないで)」にも、「忘れな(もう忘れなよ)」にも読める。だからこそ歌詞の一言一言が、聴く人の状況で表情を変えます。ここからは、曲の核をH2ごとにほどいていきます。
- 『忘レナ唄(わすれな歌)』はどんな曲?発売日・タイアップなど基本情報
- タイトル「忘レナ唄」の意味──“忘れないで”と“忘れてしまえ”の二重性
- 歌詞全体のテーマは「青春の葛藤」と「追いかけがいのある夢」
- 冒頭フレーズ解釈:「望んだ砂」「かなめは行き方」が示す“過程”のメッセージ
- サビの核心解釈:「白い星より夢」=手に入れる価値より追う価値
- 終盤の言葉が刺さる理由:「涙」「泥の花」「夢のあとで」にある再出発
- 『忘却バッテリー』との関係を考察:歌詞の仕掛け/物語とのシンクロ
- 制作背景から読む『忘レナ唄』:はっとりの言葉に見る“余白”と熱量
- よくある疑問Q&A:「忘れな」は命令?投げやり?どう解釈するのが自然?
- まとめ:『忘レナ唄』が最終的に伝えること──“今”を追いかける肯定
『忘レナ唄(わすれな歌)』はどんな曲?発売日・タイアップなど基本情報
まず事実関係を整理すると、以下の通りです。
- 曲名:忘レナ唄(わすれなうた)
- アニメ:TVアニメ『忘却バッテリー』エンディングテーマ
- 配信開始:2024年4月10日
- 作詞・作曲:はっとり
なお『忘却バッテリー』は、主題歌としてOPがMrs. GREEN APPLE「ライラック」、EDがマカロニえんぴつ「忘レナ唄」という布陣。作品側の“青春”の光と影を、OP/EDで別角度から挟み込む設計が見えます。
タイトル「忘レナ唄」の意味──“忘れないで”と“忘れてしまえ”の二重性
「忘レナ」という表記が巧いのは、命令が一つに定まらないところです。
- 「忘れるな」=忘れないでくれ、持ち続けてくれ
- 「忘れな」=そんなのもう忘れなよ、手放してしまえ
どちらも“前を向くための言葉”ですが、方向が逆。
この曲は、その逆向きの言葉を同じタイトルに押し込むことで、「忘れたい」と「忘れたくない」が同居する青春の矛盾を、最初から提示しているように思えます。
さらに歌詞の中には「ごめんな」と結びつく「忘レナ唄」も出てきます。
“忘れるな”という願いなのか、“忘れな”という赦しなのか。どちらに転んでも成立してしまうのが、この曲の残酷な優しさです。
歌詞全体のテーマは「青春の葛藤」と「追いかけがいのある夢」
「忘レナ唄」の中心にあるのは、成功談ではなく途中の感情です。
- 狙って外す
- 走って走って、端を知る
- 食らった数は覚えている
こういう“負けや失敗の実感”が、歌詞の手触りとして残ります。
でも、そこで終わらない。サビで何度も出てくるのは「追いかけがい」という言葉。
つまりこの曲は、結果がどうであれ、追っている最中の今を肯定しようとしている。
そして、その肯定はキラキラした励ましではなく、汗と泥の匂いがする種類の肯定です(後半の「泥の花」が象徴的)。
冒頭フレーズ解釈:「望んだ砂」「かなめは行き方」が示す“過程”のメッセージ
冒頭の「望んだ砂は掴めたかい?」は、まず比喩として強い。
砂は掴んだ瞬間から零れていく。つまり“理想”は、持ったと思った途端に形を変えてしまう。青春の目標って、だいたいそんなものです。
続く「遥かな距離より、かなめは行き方」。
ここは制作背景を知ると二重に効きます。インタビューでは、はっとりが「終わり方よりも過程が大事」という感覚を語っています。
“どこまで行けたか”より、“どう行ったか”。
結果の距離ではなく、走ってきたフォーム(生き方)に価値がある——冒頭で曲の結論を先に言ってしまう潔さがあります。
サビの核心解釈:「白い星より夢」=手に入れる価値より追う価値
サビの要点は、「かけがえのない白い星より 追いかけがいのある夢」という対比です。
ここで言う“白い星”は、完成品のように見えます。もうそこにある、眩しい到達点。
でも曲は、それよりも“夢”=未完成で、まだ届かないものを選ぶ。
つまり「忘レナ唄」は、
“かけがえのなさ”にしがみつくより、“追いかけがい”に賭けろ
と言っている。
しかもこれ、根性論じゃないんですよね。
追いかけた結果、傷つくことも、負けることも織り込み済みで、それでも「追ってる今」を尊いものにしようとしているから。
終盤の言葉が刺さる理由:「涙」「泥の花」「夢のあとで」にある再出発
後半に出てくる「ぼくらの涙なら空に埋めよう」「泥の花」「夢のあとで」。
この並びは、青春の“後始末”を描いているように見えます。
- 涙:悔しさ、喪失、うまくいかなかった証拠
- 空に埋める:消すのではなく、見えない場所に“弔う”
- 泥の花:綺麗な場所じゃなくても咲いた、泥だらけの成果
- 夢のあとで:燃え尽きた後に残る静けさ(だけど終わりじゃない)
ここで大事なのは、涙を「なかったこと」にしていない点です。
悲しみを捨てずに、次へ進める形に変える。だから“再出発”の歌として刺さる。
『忘却バッテリー』との関係を考察:歌詞の仕掛け/物語とのシンクロ
『忘却バッテリー』は“記憶”を大きなモチーフにした作品です。だから「忘レナ唄」というタイトル自体が、作品と響き合う。
さらに、歌詞に「かなめ」が入っている点も見逃せません。インタビューでもこの一節に触れられています。
作品の人物名(要)を匂わせつつ、同時に「要(かなめ)=肝心なのは」という一般語としても成立する。
“作品に寄り添いながら、聴き手の人生にも開く”っていう、タイアップ曲の理想形です。
そして、EDという位置づけも効いている。
OPが物語の推進力なら、EDは「今日の試合(今日の回)をどう受け止めるか」の場所。そこに“忘れる/忘れない”の二重性を置くのは、めちゃくちゃ相性がいい。
制作背景から読む『忘レナ唄』:はっとりの言葉に見る“余白”と熱量
はっとりはコメントで、『忘却バッテリー』が「かけがえのない一瞬を追う者に強く刺さる」と述べています。
この“一瞬を追う”が、曲の「追いかけがい」と直結している感じがします。
またインタビューでは、具体的な言葉を極端に入れすぎず、聴いた人が投影できる余白を作りたいという趣旨の発言もあります。
だから「忘レナ」は断定されないし、サビも“勝て”ではなく“追え”なんです。
要するに、熱量は高いのに、答えは押しつけない。
このバランスが「忘レナ唄」を“応援歌っぽいのに個人的な歌”にしていると思います。
よくある疑問Q&A:「忘れな」は命令?投げやり?どう解釈するのが自然?
Q1. 「忘レナ」は結局どっち?
A. どちらかに固定しないのが正解に近いです。未練がある時は「忘れるな」に、前へ進みたい時は「忘れな」に聴こえるように作られている(=余白)。
Q2. 「ごめんな」って誰に向けてる?
A. 恋愛にも友情にも、チームにも、自分にも向きます。だからこそタイアップ曲としても強い。
Q3. 「夢のあとで」って燃え尽き?それとも再出発?
A. 燃え尽きの静けさを認めたうえで、「追いかけがいのある今」をもう一度選び直す流れだと思います。
まとめ:『忘レナ唄』が最終的に伝えること──“今”を追いかける肯定
「忘レナ唄」は、思い出を美化する歌じゃなくて、走ってる最中の自分を肯定する歌です。
掴んだはずの砂が零れても、狙って外しても、涙が出ても、それでも「追いかけがいのある今」であれ、と歌う。
だからこの曲は、勝ってる人より、むしろうまくいってない人に刺さる。
忘れたいことも、忘れたくないことも抱えたまま——今日も走ってる人のための、「忘レナ唄」なんだと思います。


