くるり史上、最も爽やかな一曲
バンド結成以来、ギターロックやフォーク、カントリーを元にヒップホップやテクノ、クラシックなどを貪欲に取り入れ続け、幅広い音楽性を持つくるりだが、はじめから雑多なサウンドを持っていたわけではない。
自主制作である「くるりの一回転」や「チアノーゼ/ベースボールゲーム」に収録されているのはシンプルなロックンロールや初期のくるりを代表する音楽性であるところの激情ギターロックが主な作風となっており、メジャーデビューアルバム「さよならストレンジャー」においては実験的な要素を取り入れつつも「ギターロック」という範疇から大きくはみ出すサウンドではなかった。
セカンドアルバム「図鑑」においては奇才ジム・オルークをプロデュースに迎え、それまでに比べぐっと内省的な仕上がりとなった「ピアノガール」や「屏風浦」といった楽曲が新機軸として加わり、打ち込みやエレクトロを大々的に取り入れたサードアルバム「TEAM ROCK」へ繋がる音楽性の発展を見せたくるりだが、「図鑑」と「TEAM ROCK」の隙間からこぼれ落ちた名曲が一つ存在する。
くるり史上最もポップな作品の一つで、タイトルの文字通り春風のような爽やかさを持つ「春風」である。
この楽曲はオリジナルアルバムには収録されていない。
製作時期としては発売時期から推測するに「図鑑」と「TEAM ROCK」の間くらいかと思われるが「春風」は「図鑑」にも「TEAM ROCK」にもそぐわない色を持つ。
くるりだけでなく多くの日本語ロックバンドに影響を与えたであろう、はっぴいえんどに見られる「です・ます調」の歌詞がなんとも初々しい印象を受けるこの楽曲からはくるりのテーマの一つでもある「郷愁」を感じることができる。
言うなれば都会の乾いた寂しさを歌った「東京」と対になる楽曲なのかもしれない。
今回はこの「春風」の歌詞を考察してみたい。
「木綿のハンカチーフ」のようなイノセントな世界観
揺るがない幸せが、ただ欲しいのです
僕はあなたにそっと言います
言葉をひとつひとつ探して
花の名前をひとつ覚えてあなたに教えるんです
気づいたら雨が降ってどこかへ行って消えてゆき
手を握り確かめあったら
眠ってる間くちづけして
少しだけ灯を灯すんです
この「春風」を聴いて、こういう牧歌的かつイノセントな世界観を詠った歌が過去にあったような気がする、と感じたのは私だけだろうか。
太田裕美が1975年に発表した「木綿のハンカチーフ」。
都会へと行ってしまった恋人と、故郷に残された少女の掛け合いが徐々にすれ違い、終には別れを迎えてしまう切ない歌だが、この「木綿のハンカチーフ」の詞を手掛けたのは、はっぴいえんどのドラマーであり作詞家として数多のヒット曲を生み出した松本隆その人である。
「です・ます調」の歌をロックに乗せたのははっぴいえんどが最初と言われているが、まず間違いなくこの「春風」もはっぴいえんどの影響下にあることは間違いないだろう。
「春風」の曲調としては、はっぴいえんどの「風をあつめて」を感じさせる。
そして、「風をあつめて」と同じく松本隆が出掛けた「木綿のハンカチーフ」の世界観をくるり流にアレンジして仕上げたのがこの「春風」ではないだろうか。
恋人よ ぼくは旅立つ
東へと向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は
欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
太田裕美「木綿のハンカチーフ」
ここでいう「あなた」は都会へと旅立ち、少しづつ変わってしまったが、この「あなた」が都会に染まらず、牧歌的なままでいたのならば、はなやいだ街で高価な贈りものを探すのではなく、花の名前をひとつひとつ探して恋人に教えるような無邪気な価値観を保っていたのかもしれない。
最初のヴァース・コーラスではこの語り部と恋人の関係性がどこまでもイノセントである事を伺うことができる。
シロツメ草=クローバーの花言葉とは
シロツメ草で編んだネックレスを
解けないように 解けないように
溶けてなくなった氷のように花の名前をひとつ忘れて
あなたを抱くのです
遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです
ほらまた雨が降りそうです
帰り道バスはなぜか動かなくなってしまいました
傘を探してあなたを探して
遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
シロツメ草はクローバーの事である。
クローバーの全体的な花言葉としては「私を思って」「幸運」「約束」「復讐」といったものがあるが、その花言葉は葉の枚数によって変化する。
多くの花言葉がクローバーにはあるが、「解けないように」という歌詞から連想するに「約束」という意味合いを最も強く感じる。
「木綿のハンカチーフ」では守られなかった約束が、この「春風」では解けないように紡がれている。
そして、「汽車」という単語。
岸田繁は電車オタクとしても知られており、「赤い電車」など電車にまつわる楽曲も幾つか作られているが、ここで出てくるのは「汽車」である。
「汽車」と聴くと思い浮かぶ歌が一つある。
1974年に伊勢正三、イルカによって発表された「なごり雪」である。
汽車を待つ君の横で
ぼくは時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降る時を知り
ふざけすぎた 季節のあとで
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった
かぐや姫「なごり雪」
「春風」の歌詞には明確な「別れ」は描かれていない。
しかし、「ここで涙が出ないのも幸せの一つなんです」「あなたを探して」という一節から、「なごり雪」と同様に遠くへ旅立つ恋人との別れを描いた作品なのではないかと推察する。
遠くへ旅立つ恋人との別れを電車あるいは汽車をモチーフにした作品は他にも多くあり、旅立った恋人を想う姿が描かれる作品としてはBUMP OF CHICKENの「車輪の唄」がある。
こちらも別れの寂しさと切なさを描いた楽曲で、「春風」の様な爽やかさが存分に表現された名曲である。
線路沿いの下り坂を 風よりも早く飛ばしていく 君に追いつけと
錆び付いた車輪 悲鳴を上げ 精一杯電車と並ぶけれど
ゆっくり離されてく
~中略~
町は賑わいだしたけれど
世界中に一人だけみたいだなぁと 小さくこぼした
錆び付いた車輪 悲鳴を上げ
残された僕を運んでいく
微かな温もり
BUMP OF CHICKEN「車輪の唄」
くるりにおける「普遍」と「実験」
この「春風」はくるりにおいて最も「普遍的」な作品である。
耳を劈くような轟音ギターも、奇想天外な展開も、ハイテクを駆使したギミックも存在しない。
この楽曲に実験的要素は存在しない。
穏やかなサウンドと優しいメロディが岸田繁の素直な歌唱を彩る、くるりの作品の「普遍」を担う曲として真っ先に上がる曲ではないだろうか。
くるりの作品としてだけではなく、歌詞を引用して挙げた数々の名曲と並ぶ、日本のポピュラーミュージック史に刻まれる名曲である。