【ロックンロール/くるり】歌詞の意味を考察、解釈する。

2004年にリリースされたくるりのシングル「ロックンロール」は、その名前通りにバンドの音楽的ルーツに回帰した曲です。
この楽曲はシンプルなパワーロックのサウンドで、切ない感情を率直に表現しています。
今回はこの曲の歌詞に焦点を当てて詳しく掘り下げてみましょう。

詩の才能が込められた歌詞

2004年2月11日にリリースされた、くるりの通算13作目のシングル「ロックンロール」をご紹介しましょう。
この楽曲は、シンプルなパワーロックのサウンドで私たちに響いてきました。
くるりは時代ごとに音楽のサウンドを大胆に変化させるバンドとして知られており、その柔軟性は多くのリスナーから歓迎されています。
この曲が広く受け入れられた理由は、誰もが楽しめるようなロックの要素を含んでいたからです。

くるりはその後も音楽性を進化させてきましたが、歌ものロックが彼らの根幹であり続けました。
特に「ロックンロール」では、岸田繁が感情を率直に歌に込めています。
そのため、シンプルなロックのサウンドであっても、聴き手には深い響きがあります。

この曲は、エレクトロニカに傾倒した一連の作品に続く、初心に帰るようなものでした。
岸田繁がさまざまな音楽に挑戦しすぎて疲れたという率直な気持ちが反映されています。
それでも、ファンにとって、岸田繁の歌があれば、どんな音楽の方向にもついていこうという気持ちが強いでしょう。

ドラムはクリストファー・マグワイアが担当し、重厚なビートを奏でています。
岸田繁が原点に戻り、この曲を歌った背後には一体何があったのでしょうか。
彼のナイーブな詩の才能が込められた歌詞を詳しく探ってみましょう。
それでは、実際の歌詞をご覧ください。

私自身のリズム

進めビートはゆっくり刻む
足早にならず確かめながら
涙を流すことだけ不安になるよ
この気持ちが止まらないように

この曲の冒頭の歌詞は、語り手の視点で展開され、登場人物は語り手自身と愛する相手、または「あなた」です。
楽曲はアップテンポとミディアムテンポの中間のビートを持ち、進行する過程で慎重に進むことが強調されています。
実際のテンポも絶妙なリズムで展開され、急がずに進む様子が表現されています。

この歌詞は、忙しさから離れて心を静め、ゆっくりと進むことを歌っています。
これは歩く速度だけでなく、人生を確実に掌握したいという強い意志も含まれています。
最初の行では順調な様子が描かれていますが、語り手の表情からは少し心配が滲んでいることがうかがえます。


私たちは日々、楽しさに満ちた時間を過ごせることを願いつつ生活しています。
しかしながら、現実には仕事や家庭、そして恋愛や人間関係においてつまづくこともあるでしょう。
私は非常にナイーブな性格で、困難な時に備えて泣き暮らす準備を日々の生活の中でしてしまう傾向があります。
不調な日々が訪れることを心配して生きていますが、それでもリズムを意識して毎日を過ごすことを心がけています。

音楽の世界にはリズムを保つという重要な概念が存在します。
楽曲を一定のリズムに合わせて進行させることが音楽の基本です。
学校の音楽の授業で、教師が手拍子でリズムを教える場面を思い出す人もいるでしょう。
私はこのリズムを生活や人生にも適用したいと考えています。
自分のペースを崩されず、他人のスケジュールに巻き込まれないようにしたいのです。
ゆっくりと進むけれども、止まることなく進むテンポが私の好みです。
これが私自身のリズムであり、他人に譲渡することのできない大切な内面の要素なのです。
それは私にとって心の奥深い問題に関わるものです。

岸田繁は多くを語らない

それでも君は笑い続ける
何事も無かった様な顔して
僕はただそれを受け止めて いつか
止めた時間を元に戻すよ

愛するあなたは、優雅でのんびりとした性格で、いつも笑顔を見せてくれます。
しかし、気になるのは次の部分です。
あなたは、何もかもが平穏なかのように振る舞ったと歌詞に描かれています。
これは、実際には何か重要な出来事があったことを示唆しています。
それがふたりの関係に何らかの影響を与えたのか、一体何が起きたのか、非常に気になります。
しかし、曲が終わるまで具体的な詳細は描かれません。

岸田繁は、このような要素を巧みに歌詞に織り交ぜつつ、明示しないままに残します。
そのため、リスナーはその空白の部分に自分なりのストーリーや解釈を投影することができます。
このようにして、歌詞には読者の想像力が余地を持つスペースが生まれ、共感や感情移入が生まれやすくなります。
一緒にこの謎めいた部分を考えてみましょう。


事件が発生したにも関わらず、あなたは笑顔を保ってくれました。
その優しさについて、私はしっかりと自己内で考えることにしました。
最初の歌詞では、私が不安に怯えている描写がありました。
事件があったことで涙が流れそうな気持ちに襲われていることが示唆されています。
この事件があったため、私は一度、時間を止めることを決意しました。
出来事の全体像を把握し、納得がいくまで時計の針を進めないことを誓いました。
これだけでも、私の人生において重要な出来事があったことが理解できるでしょう。

しかし、私やリスナーの不安とは裏腹に、曲「ロックンロール」は陽気に進行します。
あなただけが素晴らしい笑顔を見せている理由は何なのでしょうか。
岸田繁は多くを語らない代わりに、非常に興味深い言葉を残しています。
さらなる歌詞を見て、謎を解き明かしてみましょう。

個人的な出来事を音楽を通じて普遍的な表現へと昇華させたのかもしれない

裸足のままでゆく 何も見えなくなる
振り返ることなく 天国のドア叩く

気になる部分が多いラインがあります。
特に、ボブ・ディランの「天国への扉」の歌詞を引用している部分は重要です。
まず、ボブ・ディランの「天国への扉」について、Wikipediaによると、

西部劇映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年、MGM、監督: サム・ペキンパー)への楽曲提供であることから、歌詞は米国西部開拓時代のガンマンが「視界がだんだん暗くなり、今まさに天国への扉をノックしている。バッジや銃はもう使えない」と、死に行く際の心境を歌っている。

となっています。

Wikipediaの解説では映画「ビリー・ザ・キッド」のストーリーに関する解釈が示されていますが、実際には様々な解釈が存在し、その中で有力なのがベトナム戦争の帰還兵の心情を歌ったものだとされています。
帰還兵は戦争のトラウマから逃れようと自殺を選択し、これは深刻な社会問題についての歌として受け取られています。
岸田繁はこの文脈を考慮して歌詞を書いたはずであり、自殺を通じて天国への扉をノックするという描写は深刻で恐ろしいものです。

しかし、この歌詞において、主語は不明瞭で、誰が人生に終止符を打つかについては曖昧にされています。
それが笑顔を見せていた相手であるか、自分自身の内面の葛藤なのか、あるいは大切な誰かのことなのか、正確な解釈が難しい部分です。
ただし、事件を共有した前提から、大切な人を自殺で失った可能性が高いでしょう。
特に、フジファブリックの志村正彦が亡くなった後に岸田繁が「ロックンロール」を友人のために弾き語ったエピソードがあることは、この曲が親しい人の死を受けて制作されたことを示唆しています。

私たちは親しい人を亡くすことで抑うつに陥り、それから立ち直ろうと努力します。
自分自身のリズムを見つけようとする試みは、抑うつからの回復の一環かもしれません。
この曲のタイトルである「ロックンロール」の意味は明確ではありませんが、生活にリズムを取り戻し、事件からの衝撃から立ち上がろうという意志が反映されている可能性があります。
岸田繁は個人的な出来事を音楽を通じて普遍的な表現へと昇華させ、亡き友人を追悼したのかもしれません。

人生の中で余計なものを削ぎ落とす

たった一かけらの勇気があれば
ほんとうのやさしさがあれば
あなたを思う本当の心があれば
僕はすべてを失えるんだ

このラインを過ぎると、これらの言葉がますます魅力的に感じられます。
「ロックンロール」という楽曲がくるりにとって非常に評価されているのは、その理由があります。
私たちは人生の中で誰かを天国へと送る瞬間を経験します。
死という現実は、テレビやインターネットのニュースで日々目にしますが、そうしたメディアを通じて伝えられる訃報と、自分にとって身近な人の死に直面することは異なるものです。
生命の尊さは共通していますが、そのとらえ方や心に与える影響は確実に異なります。
喪に服してしばらくは悲しみに包まれるでしょう。
しかし、いつか悲しみを乗り越える時が来て、私たちは亡き人の思いを胸に未来を切り拓こうとするのです。
この過程は個人的な解決策であり、心の整理をする必要があります。
抑うつ状態に陥り続けることは、いずれは私たち自身が苦しむことにつながるかもしれません。
そのため、私たちは自身の回復に向けてどうすべきかを考えます。
そして、自分にとって重要なもの、何が見えてくるのか、そしてそれは何で誰なのかを見極めようと努力します。


私は、あなたのことを大切にし続けることを誓います。
そして、人生において本当に価値のある要素を再評価する決意をしました。
勇気や優しさ、そしてあなたへの愛がその要素に当たります。
これらは非常にシンプルなものですが、ただそれだけのために生きることは非常に難しいことです。
この「ロックンロール」がリリースされた当時、断捨離という言葉は今ほど一般的ではありませんでした。
しかし、私は人生の中で余計なものを削ぎ落とし、不要なものは捨てることができると信じています。
大切な人を失うと、物質的な価値は虚しく感じられるでしょう。
お金を持っていても、豪華なアクセサリーを身に着けていても、失った命は戻ってこないのです。
ですから、心により重要な価値を見出し、これからの人生を大切にしようと考えています。
それこそ、亡くなった人の分まで充実した人生を送るために大切なことなのです。
岸田繁は、心を支える価値以外のものは無駄だと歌い、それらを簡単に手放すべきだと伝えています。

同じように悩んでいる私を「ロックンロール」の中に発見する

晴れわたる空の色 忘れない日々のこと
溶けてく景色はいつもこんなに迷ってるのに
8の字描くように無限のビート グライダー飛ぶよ
さよなら また明日 言わなきゃいけないな

ここからがクライマックスの歌詞です。
描かれる情景の美しさに、胸が締め付けられるような感情が押し寄せます。
晴れた日の真っ青な空の下で、何を考えるでしょうか。
大切な人と共有した思い出がありますが、その思い出を共有できる相手がもういなくなりました。
今ではその記憶や光景を私だけがしっかりと覚えているという事実が、その人が生きていた痕跡を守る唯一の手段です。
どうしても忘れられない彼や彼女の記憶。
その光景は朧であり、徐々に曖昧にさえなっていきます。
しかし、この透明度の高い青空の清々しさは、私たちの心の中も同じようにクリアになることを望むのです。
それが、大切な人の死から解放される証拠でしょう。
しかし、私はその程度までクリアにしたくない、という葛藤が表れています。
戸惑いの中で、彼や彼女の死を受け入れる覚悟が透けて見えるのです。
晴れた日の天気が良いことは、言うまでもなく素晴らしいことですが、もっと深く考え続けて、思い悩みたいという願いがここにあります。


「ロックンロール」という曲のタイトルからは、嬌声で日々を歓びに満たすような歌ではないことがわかります。
私は、地に足をつけて地道に人生を歩むことを望んでおり、その考えは一般的なロックのパブリック・イメージとは異なります。
さらに、歌詞の中には「ロックンロール」という単語は登場しません。
一方で、私はビートに特別なこだわりを持っています。
そして、それはエイトビートであると確信しています。
このビートは、永遠に私のバックグラウンド・ビートとして鳴り響きます。
私はクリアな空にグライダーを見つけました。
その飛行機に向かって、私はつぶやくのです。

さよなら また明日 言わなきゃいけないな

私は亡くなった人へとりあえずのロング・グッド・バイの挨拶をします。
とりあえずはお別れだねと認めるのです。
しかし、明日からも思い続けるからと誓います。
お別れを言わないと相手の魂は天国へ向かえませんから、お別れの言葉は必要なのです。
それでも、明日も彼・彼女を思うことも同時に伝え、忘れられることに怯える死者を安心させます。
私たちは親しい人が亡くなって衝撃を受けた喪の日々を過ぎると、日常生活に戻るでしょう。
何年か経過すると、彼・彼女のことを思い返さなかった日々が何日も何週間も続くこともあります。
しかし、親しい人を喪ったショックから立ち上がろうという途中の私を、岸田繁は描きました。
この私はまだまだ明日も彼・彼女と会話をするように生きようと決意します。
くるりの「ロックンロール」は多くの人を惹き付けるパワー・ロックです。
一方で親しい人を亡くした経験を持つ人によって深く理解されることを願ってもいます。
深夜に友人から電話があり、誰々が今夜に亡くなったと知らされたときの衝撃。
生前の記憶の中ではずっと笑顔だったような人でも簡単に天国の扉をノックしてしまいます。
その死の影に何があったのだろうかと遺された私たちはずっと考え続けるのです。
そして同じように悩んでいる私をくるりの「ロックンロール」の中に発見します。
多くの人を惹き付けてやまない魅力をこの曲が持ち続けている意味をもっと深く考えたいものです。
それはこのような記事の中ではなく、リスナーの記憶の中で微笑む人との会話の中が相応しいでしょう。
気付いたら今日も明日も彼・彼女と会話していた。
それでもいいと思わせてくれるのがこの曲の最大の魅力でしょう。
色々な人を思い出して忘れずにいる意味を、私たちはくるりの「ロックンロール」で知ることができます。