【ハレンチ/ちゃんみな】歌詞の意味を考察、解釈する。

「ハレンチ」における「あなた」とは何を指しているのか

ルッキズムを扱った衝撃作「美人」のリリースから半年後の2021年10月に発表されたちゃんみなの3rdアルバム「ハレンチ」。

「美人」を制作後、次のステップへ進めずスランプに陥っていた彼女を救ったのが表題曲の「ハレンチ」と、その双子とも呼べる「太陽」である。

インタビューで触れられている通り、「ハレンチ」と「太陽」で歌われているのは一見異性に対してのメッセージに見えて、インタビューで語られている通り、その実「音楽」が対象である。
これは先ごろ考察したKREVAの「音色」と同じ手法でもある。
勿論、どう取るかは受け手の解釈次第でもあるので、「つれない想い人へのメッセージ」とリスナーが解釈しても何ら問題はないと思う。

スランプに陥り、新たな作品を生み出せなくなっていたちゃんみなにとって音楽とはどういう存在なのか。

原点に立ち返り、デビュー作「未成年」の頃以来となる「1人での制作活動」で生まれたこの「ハレンチ」という歌が現時点の彼女の回答となる。

「ハレンチ」は日本語である。
漢字で書くと「破廉恥」となる。

英語のようで日本語、その意味は「恥を恥とも思わないこと、恥知らず、鉄面皮、厚顔無恥」となるが、これをしっかりと認識している人はそう多くはないだろう。

出自が曖昧、存在の意味を掴ませない、これは日韓両国の血を引き、常に変化を続けるちゃんみな自身とも共通する要素である。

今回はこの「ハレンチ」の世界を歌詞から考察してみたい。

スランプに陥ったちゃんみなの音楽に対する気持ち

音沙汰ないから帰ったの

君しかいないとか言ってよ

ふらつきたいから愛したの

タリラリラッタッタララ

この「ハレンチ」では音楽を取り戻そうとするもがく姿勢、そして「太陽」では取り戻した喜びが歌われている。

スランプの原因としては新型コロナウィルスの影響で「インプット」がままならず、作曲のアイデアや施策が思うように進まなかったのも一つの要因だが、シンプルに1人のアーティストとして、ちゃんみながぶつかった壁であるとも言えるだろう。

「音沙汰ない」はその通り、「楽曲制作のアイデアが浮かばない」という事を意味している。

愛に憶えがあるから

花を描いたの

大人びてしまった私は

気の色で遊んでいたの

あっちもこっちも身体を任せてみても

なんでもなんでもなんでもなんでもないの

騒がしい騒がしい騒がしいこの浮き心に

誰が気付くと言うの

幼少の頃より歌、ラップと表現することを始めていたちゃんみな。

歌うことは彼女にとって「花を描く」ようなものだったのだろう。
そして「大人びてしまった私は気の色で遊んでいたの」という部分は、自分の中から湧いてきた初期衝動ではなく、様々なテクニックや技法で表現する事を指しているのではないだろうか。

成長するにつれ、ラップだけでなく色々な要素をインプットした彼女は気移りするように様々なことに挑戦していく。
その様子が「あっちもこっちも身体を任せてみても」という部分に表れている。
そして、「何をしても私は私」という自己の確立がなされているからこそ「なんでもない」という箇所に繋がってゆく。

どうでもいいから泣いたの

乱れ心も抱いてよ

代わりになんかよこしてよ

タリラリラッタッタララ

Yeah yeah yeah yeah 忘れた

なんの感覚もないやいやい

Yeah yeah yeah yeah 忘れた

あなたを失ったから

このサビでは音楽を生み出せない苦しみを「なんの感覚もない」と表現している。
音楽を失い、どうでもいいと泣き、乱れた心の代わりに何かよこしてよ、という箇所だが、これは今まで彼女が発表してきた作品がまさに「彼女の実体験」に基づいたものであるということではないだろうか。
文字通り、彼女は心身をすり減らして音楽を生み出してきたのではないかと推察する。
そして、身も心もすり減らしたのに生まれてこない音楽に対する絶望がこの「ハレンチ」最大のテーマではないだろうか。

東京という街に対する感情

Go ahead and take me out

イタイわ Tokyo sound

都会は大嫌い

怒りっぽくて冷たい

忙しくて愛らしい

血色のない私はhigh

誰彼いるのに誰もいないわ

3rdアルバム「ハレンチ」の裏テーマは「日本・東京」であるとインタビューで語られている。

そして、このラップヴァースでは人と物が溢れ、全てが存在する東京という大都市において孤独を感じ、愛憎入り交じった表現がなされている。

「人は大勢いるのに孤独を感じる」という表現は昔懐かしい歌で恐縮だが、馬渡松子の「微笑みの爆弾」という歌でも歌われている。

都会の人ごみ 肩がぶつかってひとりぼっち

果てない草原 風がビュビュンとひとりぼっち

どっちだろう 泣きたくなる場所は

2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ

馬渡松子「微笑みの爆弾」

戦後の復興、そして集団就職により地方からの労働者が数多く東京という街に夢を抱いてやってきた。
東京という街は繁栄を極め、多くの若者が現在でも東京に夢を抱いてやってくる。
そして、夢破れた人、故郷を思い出す人、自分を見失ってしまった人、あるいは成功を収めた人、様々な感情が東京という街には渦巻いている。
くるりの「東京」や長渕剛の「とんぼ」で歌われているように、東京という街は豊かで楽しいだけの場所ではない。
ちゃんみなは韓国生まれ、練馬育ちという出自から、上記に挙げたいずれとも異なる感情を東京という街に対して抱いているのかも知れない。
奇しくもこの楽曲で使用されているコード進行「丸サ進行」の元となった椎名林檎の「丸ノ内サディスティック」と同じく、東京に対する乾いた感情が表現されている。

音楽を生み出せなくなり、消えていく事への不安

どこにどこにどこにあるのかしら

感謝も愛も込められやしない

何度も何度も何度も気にしてるわ

悪意に泣いた日から

このCメロでは日々音楽を生み出そうと苦闘するちゃんみなの様子が描かれている。
試行錯誤を繰り返し、あらゆる手を尽くしたのに見つからないスランプの出口。
振り向いてくれない音楽に対し悪意さえ感じるようになり、感謝も愛も忘れてしまった心境が歌われている。

風が強い夜が明けて

君の匂いが消えて

一人になったらどうしよう

タリラリラッタッタララ

「風が強い夜」はデビュー以来若者の代弁者として、新時代の歌姫として持て囃されてきた彼女自身の状況を表しているのではないだろうか。

夜が明け、「音楽=君」も消え、人々から忘れ去られてゆく。

ちゃんみなというアーティストを少しでも知っている人ならわかると思うが、エキセントリックな楽曲とパフォーマンスによってタフな印象がありつつも、その実まだ23歳の繊細な女の子である。
このオチサビではそんな彼女の本音がチラリと垣間見える。

音沙汰ないから泣いたの

君しかいないから帰ったの

愛されたいから愛したの

タリラリラッタッタララ

Yeah yeah yeah yeah 忘れた

なんの感覚もないやいやい

Yeah yeah yeah yeah 忘れた

あなたを失ったから

インタビューで語られている通り、ちゃんみなは「太陽」で音楽を取り戻した喜びを歌い、次のステップへと足を進めた。

この「ハレンチ」はスランプ期の苦悩を歌うと同時に、苦悩を吐き出すことによって次のステップへ進むという、今までちゃんみなが行ってきたであろう「自分自身の発露とその表現を作品に反映する」という手法を取って作られた作品であると言える。

アルバム「ハレンチ」やジェニーハイとの共演である「華奢なリップ」に見られるように、彼女の出自であるヒップホップやアメリカのR&B、あるいはK-POPという表現からバンドサウンド、J-POP的手法という新たな武器を手に入れた彼女の次へのステップとなるこの「ハレンチ」、深く考察すればするほど面白い作品だ。

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