1. “嘘じゃない”に込められた”恋愛×すれ違い”のテーマ
『嘘じゃない』というフレーズからまず想起されるのは、恋愛における信頼と疑念の間で揺れる心情です。ずっと真夜中でいいのに。の多くの楽曲がそうであるように、この楽曲も決して直線的なラブソングではありません。むしろ、どこかで「伝わらないこと」を前提とした切なさが、歌詞の奥底に漂っています。
歌詞には「もう意味ないかな、会いたいとか」という言葉が登場します。これは、相手に対してまだ想いがあるにもかかわらず、それを口にすることで関係が壊れてしまう恐怖を表しているようです。言葉では伝わらない、あるいは伝えたくても素直になれない。そうした“すれ違い”の感情が、この曲の軸になっています。
恋愛というよりも、「関係性」における摩擦や距離感に焦点を当てたアプローチは、リスナーの心をより深いところで揺さぶります。
2. 不登校や“空想のずる休み”に見る主人公の孤独感
「空想のずる休み」という言葉には、多くのリスナーが共感の声を寄せています。現実から逃げたい、けれど逃げること自体に罪悪感がある──そんな曖昧な感情を表現した巧みなフレーズです。
さらに、「君と時間が合わない」「ちょっと考えすぎなだけだよ」という歌詞からは、日常生活の中で他者と足並みが揃わず、どこか孤立感を感じている主人公像が浮かび上がります。不登校、あるいは社会に馴染めない若者のメンタリティを想起させる要素が随所に散りばめられており、Z世代の“居場所のなさ”という共通感情を掬い取っているのです。
これは単なるラブソングではなく、「自分を肯定できない人間がどうやって生きていくか」を描いた歌でもあります。
3. “我儘な合言葉”の重層性:会いたいと別れの狭間
「我儘な合言葉」という言葉は、一見するとネガティブに受け取られがちですが、ここには大切な人との関係をどうにか繋ぎとめようとする“必死さ”が込められていると解釈できます。
特に注目すべきは、「我儘な合言葉 ‘ ’」という空白の使い方。リスナーにその中身を想像させる余地を与えつつ、そこに込められる“会いたいけど会えない”という矛盾した感情を浮かび上がらせています。
この空白こそが、この楽曲における最大のメッセージではないでしょうか。「嘘じゃない」と言いながらも、何かを隠している。伝えたくても伝えられない。それでも、関係を終わらせたくないという切なる思いが、この“合言葉”に凝縮されています。
4. “量産的=敵対”など言葉遊びから見える反抗と成長
ずっと真夜中でいいのに。の歌詞は、しばしば“言葉遊び”が含まれていますが、『嘘じゃない』においてもそれは顕著です。たとえば「量産的=敵対」というフレーズは、一見ナンセンスのようでいて、周囲に対する不信感や、既存の価値観への反抗を内包しています。
また、「正正堂堂 前言撤回」という対比的なフレーズも登場します。これは、何かを正しくしようとする強い意志と、それでも迷いや不安を抱えて言動がブレてしまう等身大の人間像を浮き彫りにしています。
こうしたフレーズは、ただの表現技法にとどまらず、主人公が現状に抗いながら成長しようとする“過程”を象徴しているのです。
5. MV世界・シュレディンガーの猫と“嘘じゃない”の多義性
『嘘じゃない』のミュージックビデオ(MV)では、猫の姿が印象的に描かれています。この猫が示唆しているのは、量子論で知られる「シュレディンガーの猫」です。生きているとも死んでいるとも言える“曖昧な状態”は、この楽曲のテーマと深く共鳴します。
つまり、「嘘じゃない」とは、相手にとっての“真実”ではないかもしれないが、自分にとっては“本当”であるという多義的な意味を持つのです。この視点は、現代のコミュニケーションにおける“主観と客観のズレ”という問題にも通じます。
MVの映像美とリンクしたこの哲学的な視点が、『嘘じゃない』をただの恋愛曲では終わらせず、思想的な深みを持たせています。
総括
『嘘じゃない』という楽曲は、ずっと真夜中でいいのに。の世界観を象徴するような作品です。恋愛のすれ違い、不登校や孤独感、曖昧な感情表現、そして哲学的な示唆。すべてが緻密に絡み合いながら、聴く人それぞれの“嘘じゃない”に向き合うことを促してくれます。
読者の皆さんも、歌詞だけでなくMVやリズム、言葉の余白に込められた“真夜中の真実”を、ぜひ自分なりに感じ取ってみてください。