大切な人と出会ったとき、私たちは別れのことを考えません。
これから何をしよう。
どこへ行こう。
どのような生活を一緒に作ろう。
関係の始まりには、未来へ向かう言葉が並びます。
しかし、どれほど深く愛し合っても、いつか二人の時間には終わりが訪れます。
心変わりによる別れかもしれません。
生活環境の変化によって離れることもあるでしょう。
そして、最後まで一緒にいられた二人にも、死による別れが待っています。
Official髭男dismの「アポトーシス」が描くのは、その避けられない結末です。
主人公は、大切な人との別れを乗り越えていません。
別れには意味がある。
命には限りがあるから美しい。
思い出の中で相手は生き続ける。
そのような言葉を理解していても、心から納得することができません。
いつか終わると知っている。
それでも、終わってほしくない。
いつか手を離さなければならない。
それでも、今日だけは握っていたい。
「アポトーシス」は、死を美しく受け入れる歌ではありません。
死を受け入れられない人間の恐怖を、正面から描いた歌です。
では、なぜタイトルには生物学用語である「アポトーシス」が選ばれたのでしょうか。
主人公が恐れている別れは、恋人との死別なのでしょうか。
そして、藤原聡が約一年かけても見つけられなかった「救いの言葉」とは何だったのでしょうか。
本記事では、Official髭男dism「アポトーシス」の歌詞に込められた意味を、制作背景や楽曲の象徴表現から詳しく考察します。
- Official髭男dism「アポトーシス」とは
- 【結論】「アポトーシス」は別れを克服せず、今日の愛を選び直す歌
- アポトーシスとは何か
- なぜ恋愛の歌に細胞死の名前を付けたのか
- 藤原聡が29歳の誕生日に考えたこと
- 約一年かけても救いの言葉は見つからなかった
- “君”は恋人なのか
- 主人公は“君”より先に死にたいのか
- 長く一緒にいるほど別れはつらくなる
- 愛は別れを遠ざけるものではない
- 鐘の音が象徴するもの
- 祭りの後のような静けさ
- 夜明けは希望なのか
- 空が白む場面に込められた愛
- 車で遠くへ向かう意味
- 主人公は未来を考えすぎているのか
- 老いは愛の終わりではない
- 変わっていく相手を愛せるのか
- 「いつまでも」は本当に存在するのか
- 別れを想像することは縁起が悪いのか
- 後悔のない別れは可能なのか
- 「しょうがない」で終わらせない優しさ
- 救いは言葉ではなく、現在の時間にある
- ミュージックビデオが3世代を描く理由
- 幸福な映像がかえって切ない理由
- 「アポトーシス」は死別の歌なのか
- 「アポトーシス」は結婚式に合う曲なのか
- 「アポトーシス」に関するよくある疑問
- まとめ|「アポトーシス」は別れを受け入れる歌ではなく、別れまで愛する歌
Official髭男dism「アポトーシス」とは
「アポトーシス」は、Official髭男dismが2021年8月10日に先行配信した楽曲です。同年8月18日に発売されたメジャー2ndアルバム『Editorial』のリードトラックとして収録されました。
ミュージックビデオもアルバム発売日の8月18日に公開されています。新保拓人が監督を務め、異なる世代の人々が経験する人生の幸福な時間を、バンドの演奏場面とともに描いた作品です。
発売後も長く聴かれ続け、2026年5月時点では、Official髭男dismがオリコン週間ストリーミングランキングで累積再生数1億回を突破した作品の一つに数えられています。
【結論】「アポトーシス」は別れを克服せず、今日の愛を選び直す歌
「アポトーシス」の意味をひと言で表すなら、いつか訪れる大切な人との別れを受け入れられない主人公が、答えのない恐怖を抱えながら、今そばにいる相手を愛そうとする歌です。
主人公は、命に終わりがあることを知っています。
どれほど強く願っても、老いや死を止めることはできません。
自分と相手が同じ日に人生を終えられる保証もない。
どちらか一方が、残された時間を一人で生きる可能性があります。
しかし、主人公は「仕方がない」と割り切れません。
人はいつか死ぬ。
出会いがあれば別れもある。
その事実を頭では理解していても、大切な人がいなくなる現実を心は拒みます。
だから主人公は、別れへの恐怖を消そうとはしません。
怖いまま相手の手を握ります。
終わりをなくせないなら、終わりが来るまでの時間を愛そうとするのです。
アポトーシスとは何か
生物学におけるアポトーシスとは、あらかじめ制御された細胞死の仕組みです。
外傷などによって突然細胞が壊れる壊死とは異なり、不要になった細胞や異常を起こした細胞を計画的に取り除くことで、組織や生命全体の状態を保つ役割があります。
つまり、アポトーシスにおける死は、単なる破壊ではありません。
生命が正常に成長し、維持されるために必要な死です。
この考え方を人間の人生へ置き換えると、「終わりもまた生命の仕組みの一部である」という意味が浮かびます。
人は生まれ、成長し、老い、やがて死を迎える。
それは失敗でも、例外でもありません。
命に最初から組み込まれた変化です。
しかし、この科学的な説明が正しいからといって、大切な人の死を簡単に受け入れられるわけではありません。
「アポトーシス」の主人公が苦しむのは、自然の仕組みとして正しいことと、人間の感情が受け入れられることが一致しないからです。
なぜ恋愛の歌に細胞死の名前を付けたのか
一般的なラブソングでは、愛は二人を永遠につなぐものとして描かれます。
変わらない気持ち。
終わらない関係。
永遠の約束。
しかし、人間の身体そのものが変化し続けています。
細胞は生まれ、役割を終え、別の細胞へ置き換わります。
昨日と今日の身体は、完全に同じものではありません。
それでも人は、同じ自分として生きています。
恋愛も同じなのでしょう。
出会った頃と何年も過ごした後では、二人は変わっています。
容姿も、価値観も、生活も変化する。
最初のときめきが失われることもあります。
しかし、何かが終わるたび、すべての愛が消えるわけではありません。
古い形が終わり、新しい関係へ変化していく。
タイトルの「アポトーシス」には、死だけでなく、終わりを含みながら続いていく生命と愛が表れているのです。
藤原聡が29歳の誕生日に考えたこと
藤原聡は、「アポトーシス」の現在の形につながるメロディーがまとまったのは、自身の29歳の誕生日だったと語っています。
20代が残り一年になったことで、人生のさまざまなものが少しずつ終わっていく感覚を抱き、その先には大切な存在との別れもあると考えたことが制作の出発点になりました。
年齢を重ねることは、新しい経験を得ることです。
同時に、自分に残された時間が少しずつ減っていくことでもあります。
子どもの頃は、一年が終わっても未来が無限に続くように感じられます。
しかし、大人になると、戻れない時間が増えていきます。
親の年齢。
自分の身体の変化。
長く暮らした場所との別れ。
以前は遠い出来事だった老いや死が、少しずつ現実的なものになります。
「アポトーシス」は、高齢者が人生の最後を見つめる歌ではありません。
まだ若い人物が、初めて自分や大切な人の有限性を実感した歌なのです。
約一年かけても救いの言葉は見つからなかった
藤原聡は、大切な存在との別れを乗り越えられる言葉を探すことから制作を始めたものの、約一年かけて歌詞を書いた末にも、そのような言葉は見つからなかったと振り返っています。
時間がある、大丈夫だといった表面的な慰めでは扱えない問題だと感じたといいます。
ここに「アポトーシス」の誠実さがあります。
多くの作品は、最後に聴き手を安心させる結論を用意します。
愛した人は心の中で生き続ける。
いつか悲しみは思い出へ変わる。
出会えたことに感謝しよう。
それらは間違った言葉ではありません。
実際に、その考えによって救われる人もいるでしょう。
しかし、大切な人を失う直前や直後には、どの言葉も空虚に聞こえることがあります。
心の中にいるとしても、触れられない。
思い出が残っても、新しい会話はできない。
感謝していても、別れたくはない。
藤原聡は、その矛盾をきれいに解決しませんでした。
救いの言葉がないという事実を、そのまま歌にしたのです。
“君”は恋人なのか
歌詞の“君”は、人生を長く共にする恋人や配偶者として解釈できます。
二人は短期間の恋を楽しんでいるのではありません。
年齢を重ね、外見が変化し、どちらかが先にいなくなる未来まで想像しています。
ただし、“君”を恋人だけに限定する必要はありません。
親。
家族。
友人。
ともに音楽を作る仲間。
自分にとって、いなくなることを想像できないほど大切な人であれば、誰でも重ねられます。
Official髭男dismのメンバー同士の関係へ重ねることもできるでしょう。
バンドは、年齢や環境の変化を受けながら活動を続けています。
いつか現在の形が終わる可能性もあります。
一人の恋人だけでなく、人生を支えているすべての関係に向けられた歌として読めるのです。
主人公は“君”より先に死にたいのか
大切な人との死別を考えたとき、自分が残されることを恐れる人は少なくありません。
相手を失った後の生活を想像できない。
一人で思い出を抱えて生きる自信がない。
だから、自分のほうが先にいなくなりたいと考えることがあります。
しかし、自分が先に死ぬということは、愛する相手へその悲しみを引き受けさせることです。
自分は別れを経験せずに済む。
代わりに相手が、自分のいない日々を生きることになります。
「アポトーシス」は、どちらが先なら幸福なのかという問いに答えません。
どちらが先でも、残された側は悲しむ。
愛し合うほど、避けられない別れは残酷になります。
長く一緒にいるほど別れはつらくなる
一般的には、大切な人とは少しでも長く一緒にいたいと願います。
しかし、共に過ごす時間が増えるほど、相手は生活の一部になります。
朝の挨拶。
食事。
何気ない会話。
帰宅を知らせる音。
同じ部屋にいる気配。
一つ一つは小さな習慣です。
けれど、相手を失った後には、そのすべてが不在の証拠へ変わります。
長く愛せば愛すほど、別れた後に失うものも増える。
だからといって、別れの苦しみを減らすために愛を浅くすることはできません。
「アポトーシス」の主人公は、この矛盾を知りながら、相手との時間を重ねようとします。
愛は別れを遠ざけるものではない
愛することによって、寿命が延びるわけではありません。
病気や老いを完全に防ぐこともできない。
どれほど強く抱きしめても、時間の流れを止められません。
愛には、大切な人を永遠に存在させる力はないのです。
それでも人は愛します。
なぜなら愛は、別れをなくすものではなく、別れまでの時間を生きる意味へ変えるものだからでしょう。
終わりがあると知っても、一緒に食事をする。
次の休日の予定を立てる。
何でもないことで笑う。
主人公は永遠を手に入れられません。
代わりに、有限な一日を“君”と過ごすことを選びます。
鐘の音が象徴するもの
歌詞に登場する鐘は、時間の経過や何かの終わりを知らせるものとして解釈できます。
鐘は祝福の場面でも鳴ります。
結婚式。
祭り。
新しい始まり。
一方で、葬送や時刻の区切りを告げる音でもあります。
同じ鐘の音が、誕生と死、出会いと別れの両方へつながるのです。
主人公にとって鐘は、人生が止まらず進んでいることを知らせます。
幸福な時間の中にいても、終わりへ近づいている。
しかし、終わりの音だけではありません。
誰かと出会い、新しい生活が始まったことも、同じ音が知らせていたのかもしれません。
祭りの後のような静けさ
楽しい時間が終わった後には、独特の静けさがあります。
人が帰った会場。
消された照明。
片づけられていく飾り。
つい先ほどまでのにぎわいが大きいほど、静寂は深く感じられます。
人生の終わりも、そのようなものかもしれません。
大切な人が存在していた時間には、多くの声や出来事があります。
その人がいなくなった後、世界は変わらず動いていても、自分の周囲だけ音が失われたように感じる。
主人公は、まだ別れを経験していない段階から、その静寂を想像して恐れています。
夜明けは希望なのか
夜明けは一般的に、新しい始まりや希望の象徴です。
暗い時間が終わり、光が戻ってくる。
しかし「アポトーシス」における夜明けは、単純な救いではありません。
夜が明けるということは、また一日が過ぎたということです。
新しい朝を迎えるたび、二人は未来へ進みます。
同時に、別れの瞬間へも近づいていきます。
主人公は朝を喜びながら、その朝が永遠には続かないことも知っています。
希望と恐怖が、同じ光の中に存在しているのです。
空が白む場面に込められた愛
主人公は、夜明けの空と愛する人の表情を結びつけています。
世界全体が変わったのではありません。
“君”がそこにいることで、いつもの朝が特別に見える。
空が美しいから幸福なのではなく、“君”と一緒に見ているから美しいのです。
ここで重要なのは、主人公の関心が死から現在へ戻っていることです。
いつか別れる。
その事実を考え続ければ、今日の幸福さえ楽しめなくなります。
しかし、目の前の表情へ意識を向けた瞬間、主人公は今を生きられます。
未来への恐怖を消すのではなく、一時的に現在の愛を選び直しているのです。
車で遠くへ向かう意味
二人は、何かから離れるように移動します。
死や時間から逃げようとしているとも読めるでしょう。
しかし、どれほど遠くへ行っても、人生の終わりから逃れることはできません。
距離を移動しても、時間は進み続けます。
それでも二人は車を走らせます。
目的地へ到着することより、一緒に移動する時間に意味があるからです。
人生も、死を避けられる場所を探す旅ではありません。
避けられない終点へ向かいながら、誰とどのような景色を見るかを選ぶ旅なのかもしれません。
主人公は未来を考えすぎているのか
別れへの恐怖が強くなると、現在の幸福を十分に感じられなくなることがあります。
いつか失う。
いつか終わる。
そのことばかり考え、まだ起きていない悲しみを先に経験してしまうのです。
主人公も、大切な人が現在そばにいるのに、未来の不在を想像しています。
これは愛が深い証拠ともいえます。
一方で、未来への恐怖によって現在を失いかけている状態でもあります。
「アポトーシス」は、死を考えないよう勧める歌ではありません。
死を考えたうえで、今日を死後の悲しみだけに染めないようにする歌です。
老いは愛の終わりではない
恋愛を描く作品では、若く美しい二人の姿が中心になりがちです。
しかし「アポトーシス」が見つめているのは、年齢を重ねた先の関係です。
髪や肌が変化する。
体力が落ちる。
以前のようにできないことが増える。
それでも、二人の間には過ごしてきた時間が残ります。
若さが失われることは、愛が失われることではありません。
むしろ外見や生活が変化しても、相手を同じ存在として大切にできるかが問われます。
アポトーシスによって身体の細胞が入れ替わるように、人間は変化し続けます。
その変化を含めて同じ人を愛することが、長く生きる二人の愛なのでしょう。
変わっていく相手を愛せるのか
出会った頃の相手と、何十年後の相手は同じではありません。
性格や価値観が変わる。
病気によって生活が変化することもある。
記憶や判断力が以前と同じではなくなる可能性もあります。
主人公が本当に約束しようとしているのは、現在の“君”だけを愛することではありません。
これから変わっていく“君”も、自分の大切な人として見続けることです。
ただし、未来の感情を完全に保証することはできません。
だからこそ、永遠の約束より、今日愛するという選択が重要になります。
「いつまでも」は本当に存在するのか
人は愛を伝えるとき、永遠を意味する言葉を使います。
ずっと一緒にいる。
いつまでも愛する。
しかし、人間にとっての「いつまでも」には終わりがあります。
だから約束は嘘なのでしょうか。
そうではないでしょう。
人間が言う永遠とは、物理的に時間が終わらないことではありません。
自分に与えられた時間の限り、その関係を大切にするという意志です。
「アポトーシス」は、永遠が存在しないことを認めたうえで、人間に可能な永遠を探している歌でもあります。
別れを想像することは縁起が悪いのか
幸福な関係の中で死や別れについて話すことは、避けられがちです。
そんなことを考えたくない。
今を楽しめばよい。
しかし、終わりを考えることは、必ずしも幸福を壊す行為ではありません。
有限性を知ることで、何でもない時間の価値へ気づくことがあります。
今日の会話が最後になる可能性は、誰にでもあります。
だから恐怖に支配されるのではなく、伝えられるうちに感謝や愛情を伝える。
「アポトーシス」は死への準備を促す歌ではなく、死を意識することで生きている時間を見直す歌なのです。
後悔のない別れは可能なのか
どれほど相手を大切にしても、別れた後には後悔が残るでしょう。
もっと話せばよかった。
もっと会えばよかった。
なぜあの日、優しくできなかったのか。
人間は未来から過去を振り返るため、当時には分からなかったことまで自分の責任だと思ってしまいます。
完全に後悔のない別れを準備することは難しい。
主人公も、それを理解しているのかもしれません。
だから、未来の後悔をすべてなくそうとはしません。
少なくとも今、自分が大切に思っていることを忘れずにいようとします。
「しょうがない」で終わらせない優しさ
死が自然の仕組みであるなら、「仕方がない」と説明できます。
しかし、悲しんでいる人にその言葉を渡しても、救いにはならない場合があります。
正しさと優しさは同じではありません。
正しい説明によって、感情が整理されるとは限らないからです。
「アポトーシス」は、避けられないものを無理に納得させようとしません。
悲しいものは悲しい。
怖いものは怖い。
受け入れられない自分も、間違ってはいない。
主人公は、生物学的な必然性を理解したうえで、人間の感情が反抗することを許しています。
救いは言葉ではなく、現在の時間にある
藤原聡は、別れを乗り越えるための救いの言葉を見つけられなかったと語っています。
しかし、曲に救いがまったくないわけではありません。
言葉で死を克服することはできない。
その代わり、主人公には“君”と過ごしている現在があります。
同じ景色を見る。
車で移動する。
夜明けを迎える。
相手の表情を覚える。
別れを説明する言葉は見つからなくても、愛する行動は選べます。
「アポトーシス」がたどり着いた救いは、死後に用意された答えではありません。
まだ二人が生きている、今この瞬間そのものなのです。
ミュージックビデオが3世代を描く理由
「アポトーシス」のミュージックビデオでは、若者だけでなく、異なる世代の人々の人生が描かれています。
映像は、人生の中に存在する幸福な瞬間を切り取り、バンドの演奏場面と組み合わせた群像劇として制作されました。
若い恋人たちだけを描けば、曲は将来の死を想像するラブソングとして見えるでしょう。
しかし複数の世代を描くことで、老いや別れが抽象的な未来ではなくなります。
人は成長し、家族を作り、年齢を重ねる。
その途中には無数の幸福があります。
同時に、すべての人生に終わりがあります。
MVは、死だけに焦点を当てるのではなく、死へ至るまでに存在した時間の豊かさを見せているのです。
幸福な映像がかえって切ない理由
笑顔や家族の風景は、本来なら明るいものです。
しかし、すべてに終わりがあると知った状態で見ると、幸福な場面ほど切なくなります。
この瞬間も、いつか思い出になる。
映像に残る笑顔も、永遠には続かない。
ただし、その切なさは幸福を否定するものではありません。
終わるから無意味なのではない。
終わるからこそ、存在した時間がかけがえのないものになります。
「アポトーシス」は死別の歌なのか
死別を強く意識した歌として解釈できます。
主人公は、大切な人の命が終わる未来を想像しています。
ただし、実際に“君”が亡くなった後を歌っているとは限りません。
現在はまだ二人で過ごしており、いつか来る別れを先に思っている物語とも読めます。
また、死以外の別れへ重ねることもできます。
恋人との別離。
家族からの自立。
仲間との活動の終了。
長く住んだ場所を離れること。
人間は、人生の中で多くの小さな死を経験します。
以前の関係や生活が終わり、同じ形には戻れなくなる。
そのすべてを「アポトーシス」という言葉へ含められるのです。
「アポトーシス」は結婚式に合う曲なのか
長い人生を共に歩む二人の歌であるため、結婚を連想する人もいるでしょう。
若さだけでなく、老いや死まで含めて一緒に生きようとする点では、結婚の誓いに近い作品です。
一方、曲の中心には避けられない別れへの恐怖があります。
純粋に明るい門出を演出する曲ではありません。
幸福な時間が有限であることまで受け止め、そのうえで相手を愛したいと考える二人には、深く響く楽曲といえます。
「アポトーシス」に関するよくある疑問
「アポトーシス」はどのような歌ですか?
いつか訪れる大切な人との別れを恐れながらも、死をなくせないのであれば、現在一緒に過ごせる時間を大切にしようとする歌です。
タイトルの「アポトーシス」とは何ですか?
生命を正常に成長・維持するため、不要になった細胞などが計画的に死ぬ仕組みです。プログラムされた細胞死とも呼ばれます。
なぜ細胞死を恋愛の歌に使ったのですか?
死や終わりが生命の外側にある異常ではなく、生きる仕組みの中に最初から含まれていることを表すためだと考えられます。
恋愛にも、変化や別れが避けられないというテーマが重ねられています。
“君”は恋人ですか?
長い人生を共にする恋人や配偶者として読むのが自然です。
ただし、家族、友人、仲間など、失いたくない大切な存在へ広く重ねられます。
“君”は歌詞の中ですでに亡くなっていますか?
明確には描かれていません。
現在一緒にいる相手との未来の死別を想像しているとも、すでに失った人を振り返っているとも解釈できます。
主人公はどちらが先に死ぬと考えていますか?
具体的には決められていません。
どちらが先でも残された人が悲しむため、正解を見つけられないこと自体が曲の苦しさになっています。
鐘にはどのような意味がありますか?
時間の区切り、祝福、終わり、葬送などを象徴していると考えられます。
人生の始まりと終わりの両方を知らせる音です。
夜明けにはどのような意味がありますか?
新しい一日の始まりを表す一方、二人が別れへ一日近づいたことも意味します。
希望と有限性が同時に描かれています。
この曲には救いがありますか?
死を克服する答えは提示されません。
しかし、答えが見つからなくても、現在そばにいる相手を愛することはできるという点に救いがあります。
「アポトーシス」はいつリリースされましたか?
2021年8月10日に先行配信され、8月18日発売のアルバム『Editorial』へ収録されました。
まとめ|「アポトーシス」は別れを受け入れる歌ではなく、別れまで愛する歌
Official髭男dismの「アポトーシス」は、大切な人との死別を美しく説明する歌ではありません。
主人公は、命に終わりがあることを知っています。
死が生命の仕組みに含まれていることも理解しています。
それでも、愛する人がいなくなることを受け入れられません。
頭で分かることと、心が納得できることは違うからです。
アポトーシスは、生命を維持するための細胞死です。
一部の細胞が役割を終えることによって、身体全体が成長し続けます。
生物学的には、合理的で必要な仕組みです。
しかし、人間は大切な誰かの死を、生命全体のために必要なものだとは考えられません。
自分にとって代わりのいない人だからです。
科学は、なぜ生命が終わるのかを説明できます。
けれど、愛する人がいない明日をどう生きればよいのかまでは教えてくれません。
藤原聡は、その明日を乗り越えるための救いの言葉を探しました。
しかし、約一年をかけても見つけられませんでした。
この結論は、一見すると絶望的です。
別れを消す言葉はない。
悲しみを完全に納得させる考え方もない。
どれほど愛しても、最後には離れなければならない。
それでも、曲は死だけを見つめて終わりません。
主人公のそばには、今も“君”がいます。
同じ車に乗る。
同じ夜を越える。
夜明けの空を見る。
相手の表情を心へ残す。
未来の別れをなくすことはできなくても、現在の時間を共に過ごすことはできます。
この曲の救いは、悲しみがいつか消えることではありません。
悲しみを予感していても、今日を愛せることです。
いつか終わるから、愛さないのではない。
終わると知っているからこそ、何でもない時間を大切にする。
朝の挨拶。
食事。
短い会話。
並んで見る景色。
その一つ一つは、永遠ではありません。
けれど、永遠ではないことと、価値がないことは同じではありません。
主人公は、愛によって死を乗り越えることはできません。
愛は相手を不死にしない。
時間も止めない。
その代わり、終わりへ向かう時間を、失いたくない人生へ変えます。
二人が長く一緒にいれば、別れの悲しみは大きくなるでしょう。
思い出が増え、生活の中に相手の存在が深く入り込むからです。
それでも主人公は、悲しみを小さくするために愛を浅くしようとはしません。
将来苦しむとしても、今は深く愛する。
それが主人公の選択です。
「アポトーシス」は、変化や死を前向きな言葉で包みません。
怖いものは怖い。
悲しいものは悲しい。
仕方がないと分かっても、納得できない。
その弱さを否定しないところに、この曲の優しさがあります。
別れを受け入れられないのは、未熟だからではありません。
それほど大切な人に出会えたからです。
人間にとっての永遠は、時間が無限に続くことではないのかもしれません。
与えられた時間の中で、何度でも相手を大切にしようとする意志です。
明日も一緒にいられる保証はない。
だから今日、言葉を交わす。
今日、同じ景色を見る。
今日、相手の手を握る。
Official髭男dismの「アポトーシス」は、避けられない別れを克服する歌ではなく、別れを恐れたまま、それでも最後の瞬間まで誰かを愛することを選ぶ歌なのではないでしょうか。


