安田章大「まだらびより」歌詞の意味を考察|病室で知った孤独と“まだら”な人生

安田章大「まだらびより」の歌詞の意味を考察。2017年の髄膜腫の術後、病室で感じた「孤独」から生まれた楽曲です。タイトル“まだらびより”の意味や、9年近い時間を経て2026年に発表された理由、楽曲に込められた生きることへの思いを読み解きます。


安田章大の「まだらびより」は、2026年9月11日にリリースされた1st Digital Single『ばっか / まだらびより』に収録された楽曲です。

明るくハッピーな「ばっか」とは対照的に、「まだらびより」の出発点となっているのは「孤独」。

しかも、その孤独は想像から生まれたものではありません。

この曲は、安田章大が2017年に髄膜腫の手術を受けた後、病室で一人になったときに実際に感じた感情から作られました。

だからこそ「まだらびより」は、単純な応援歌でも、闘病を振り返る歌でもないのでしょう。

そこに描かれているのは、

人は一人で生きているように感じる瞬間がある。それでも誰かとつながりながら生きていく。

という、とても普遍的な感覚です。

では、タイトルの「まだらびより」とは何を意味しているのでしょうか。

今回は制作背景を手がかりに、安田章大「まだらびより」の歌詞に込められた意味を考察します。

「まだらびより」は2017年の病室で生まれた曲

まず、この曲を読み解くうえで欠かせないのが制作された時期です。

「まだらびより」が作られたのは2026年ではありません。

安田章大が髄膜腫を患い、手術を受けた2017年。

術後の病床で生まれた楽曲です。

公式サイトでは、病室で一人きりになったことで安田が「孤独」を実感し、そのときのありのままの感情を歌詞に綴った作品だと説明されています。

普段の生活では、本当の意味で「一人」を意識する機会は意外と少ないものです。

家族がいる。

仲間がいる。

仕事をすればスタッフがいる。

ステージに立てばメンバーや観客がいる。

しかし病室という場所では、それまで当たり前だった日常から突然切り離されます。

しかも、自分の身体がこれからどうなるか分からない状況です。

誰かが心配してくれていたとしても、その身体を引き受けることができるのは自分しかいません。

「まだらびより」にある孤独とは、単に「周りに人がいない」という寂しさだけではなく、

最後には自分自身で自分の人生と向き合わなければならないという孤独

なのではないでしょうか。

タイトル「まだらびより」の意味とは?

「まだらびより」という言葉は、不思議なタイトルです。

一般的な言葉というより、「まだら」と「日和」を組み合わせた造語のように感じられます。

「まだら」とは、一色に統一されず、色や状態が部分ごとに異なっていること。

一方、「日和」には天候や、その日の具合といった意味があります。

この二つを合わせて考えるなら、「まだらびより」とは、

晴れとも雨とも言い切れない、いくつもの感情が入り混じった一日

を表しているのではないでしょうか。

人間の心は、いつも一色ではありません。

つらいからといって、24時間ずっと絶望しているわけではない。

幸せだからといって、不安が完全になくなるわけでもない。

笑っている瞬間にも寂しさがあり、苦しい時間の中にも小さな希望がある。

そう考えると「まだら」という言葉は、人間の感情そのものをよく表しています。

白か黒かではなく、

明るさと暗さ。

希望と不安。

強さと弱さ。

生きたい気持ちと、生きることへの怖さ。

それらが混ざり合っている状態こそが、私たちの日常なのでしょう。

つまり「まだらびより」とは、完璧に晴れる日を待つ歌ではなく、

心がまだらなままでも、その一日を生きていくことを肯定する言葉

だと考えられます。

「孤独」を歌いながら、孤独だけでは終わらない

この曲の重要なところは、「孤独」を出発点にしながら、孤独そのものを結論にしていない点です。

病室では、一人だった。

怖かった。

寂しかった。

その感情を無理に美しく言い換える必要はありません。

しかし、人は孤独を知ったからこそ、逆に「誰かがいること」の意味を知ることがあります。

当たり前に会っていた人。

一緒に音楽をしていた仲間。

話を聞いてくれる家族。

ステージの向こう側にいる観客。

失いかけて初めて、それまで自分を支えていたものの大きさに気づく。

「まだらびより」は、そんな「一人」と「つながり」の境界に立っている歌なのではないでしょうか。

安田章大は2026年のインタビューで、病気を経験したことで、知り合いも友達も他人も「みんな家族みたいな感覚」になったと語っています。

さらに、

「一人じゃないことに気づこうぜ」

という趣旨の言葉も残しています。

2017年の病室で実感した「孤独」と、現在の安田章大が語る「一人じゃない」という感覚。

この二つを重ねると、「まだらびより」が約9年の時間を経て発表されたことにも大きな意味があるように思えます。

なぜ2017年に作った曲を2026年に発表したのか

「まだらびより」が興味深いのは、作られてすぐに発表された楽曲ではないことです。

2017年の病床で生まれながら、正式に世に出たのは2026年。

約9年の時間が流れています。

もちろん、発表まで時間がかかった具体的な理由について、すべてが明かされているわけではありません。

ただ、この時間そのものが「まだらびより」という曲に新しい意味を与えているようにも感じます。

もし2017年直後に発表されていたなら、この曲は「病気を経験した安田章大の歌」として受け取られる可能性が高かったでしょう。

しかし2026年の安田は、その経験を過去として振り返れる場所まで歩いてきました。

病気によって価値観を壊され、できなくなったことに苦しみ、その後何年もかけて自分自身を立て直してきたことも本人が語っています。

そして現在は「今が一番ハッピー」と話しています。

重要なのは、

苦しかった2017年が消えたから幸せになったわけではない

ということです。

2017年の孤独も、苦しんだ年月も、現在の幸せも、すべてが同じ人生の中に存在している。

まさに「まだら」です。

暗い部分だけを消して真っ白に塗り直すのではなく、暗い色も明るい色も残したまま、一枚の人生として受け入れていく。

その地点まで来た2026年だからこそ、この曲を誰かへ届けることができたのかもしれません。

「まだら」は弱さではなく、人間らしさ

私たちはつい、「元気でいなければならない」と考えてしまいます。

落ち込んでいる自分。

弱っている自分。

人に会いたくない自分。

将来が怖い自分。

そうした状態を「本来の自分ではない」と思い、早く元に戻ろうとします。

しかし、「まだらびより」が示しているのは、もっと曖昧な人間の姿ではないでしょうか。

今日は元気だけれど、少し寂しい。

笑っているけれど、心には傷がある。

未来を楽しみにしているけれど、不安も消えていない。

その矛盾を無理に一つへ整理する必要はありません。

むしろ人間とは、さまざまな色が同時に存在している「まだら」な生き物なのでしょう。

だからこのタイトルには、

完璧じゃなくてもいい。心にいろいろな色が混ざったままでいい。

という優しさが感じられます。

「誰かのためになって欲しい詩」へ変わった孤独

2026年、シンガーソングライターとして新たな活動を始めるにあたり、安田章大は「誰かのためになれたら」という思いを語っています。

そして、自分の作るものを「誰かのためになって欲しい詩」として届けたいという趣旨のコメントを発表しました。

ここに、「まだらびより」が今リリースされた理由を考える大きなヒントがあります。

2017年、この曲はまず安田自身のために生まれたものだったはずです。

病室で感じたことを言葉にする。

音楽にする。

自分の中にある感情を外へ出す。

それはある意味、自分自身がその時間を生き抜くための行為だったのかもしれません。

しかし時間が経ち、その曲が今度は誰かのもとへ届けられる。

かつて「一人きり」の場所で生まれた音楽が、9年後には見知らぬ誰かの孤独に寄り添う。

この変化こそ、「まだらびより」という曲の最も美しい部分ではないでしょうか。

孤独から生まれたものが、人と人をつなぐものになる。

それは音楽だからこそ起こる、不思議な逆転です。

「ばっか」と「まだらびより」は正反対ではない

1st Digital Singleには、「まだらびより」と並んで「ばっか」が収録されています。

公式には「ばっか」は明るくハッピーなメロコア楽曲、「まだらびより」は病室で感じた孤独を綴った曲として紹介されています。

一見すると正反対の2曲です。

しかし、本当にそうでしょうか。

人間は明るいだけでも、暗いだけでもありません。

仲間と笑っている自分も本物。

一人で孤独を感じている自分も本物。

現在を楽しんでいる自分も、過去に傷ついた自分も、どちらも同じ一人の人間です。

だからこそ、この対照的な2曲が一つのシングルに並んでいること自体が、「まだら」という感覚を表しているようにも見えます。

明るさと暗さをどちらか一方に決めるのではなく、両方とも自分として歌う。

『ばっか / まだらびより』は、シンガーソングライター安田章大のスタート地点であると同時に、

「これが今まで生きてきた自分です」と差し出すような作品

なのかもしれません。

「まだらびより」が伝えているもの

「まだらびより」は、苦しい人に「頑張れ」と強く背中を押す歌ではないように感じます。

それよりも、

「そんな日もある」

「いろいろな感情が混ざっていていい」

と、隣に座ってくれるような歌なのではないでしょうか。

人生には、きれいな晴天ばかりが続くわけではありません。

かといって、ずっと雨でもありません。

雲の隙間から少し光が差す日。

晴れているのに心だけ曇っている日。

泣きながら笑う日。

幸せなのに過去を思い出してしまう日。

そんな説明しづらい日々を、あえて一つの言葉にするなら「まだらびより」。

完璧に元気になることを目指すのではなく、

今日の自分にあるすべての色を抱えたまま、生きていく。

その感覚こそ、この楽曲の中心にあるメッセージなのではないでしょうか。

まとめ|「まだらびより」は孤独を知った人が、誰かへ手渡した歌

安田章大「まだらびより」は、2017年の髄膜腫の術後、病室で一人きりになったときに感じた「孤独」から生まれた楽曲です。

タイトルの「まだら」は、明るさと暗さ、希望と不安、強さと弱さといった、簡単には一つに分けられない人間の感情を象徴しているように感じられます。

そして約9年を経た2026年。

かつて病室で自分自身と向き合うために生まれた歌が、今度は「誰かのためになって欲しい詩」として世の中へ届けられました。

人生は、つらい出来事を消して完成するものではありません。

傷も、喜びも、孤独も、出会いも残ったまま続いていく。

だから人生は、きっと一色ではない。

いろいろな色が混ざっているからこそ、その人だけの人生になる。

「まだらびより」という少し変わったタイトルには、そんな安田章大の人生観まで映し出されているのではないでしょうか。

※本記事は、安田章大公式サイトなどで公表されている制作背景をもとに、歌詞およびタイトルの意味を独自に考察したものです。

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安田章大