ボカロP「すりぃ」が手がけた楽曲「おべか」は、2024年に発表された作品でありながら、まるで昔から語り継がれてきたかのような不思議な雰囲気をまとった一曲です。童歌を彷彿とさせるリズム、どこか無邪気で残酷な歌詞、そしてMVに登場する“被り物”をしたキャラクターたち――。その全てが観る者、聴く者の心に引っかかりを残します。
今回は、歌詞の言葉選びや構造、MVの映像演出、そして制作者インタビューなども参考にしながら、この楽曲の持つ多層的なメッセージに迫っていきます。
「おべか」とは?――タイトルの言葉遊びと“おべっか”の含意
「おべか」という言葉は、一般的には聞き慣れない造語です。しかし、この言葉の音感はすぐに「おべっか(お世辞・媚びへつらい)」という日本語を連想させます。実際、多くのファンもこの連想を前提にしてタイトルを捉えており、「自分を偽ってでも他人に気に入られようとする姿勢」が、楽曲全体の核となっていると読み解かれています。
言葉遊び的なタイトルですが、その背後には、現代社会の“同調圧力”や“自己抑圧”といった問題が垣間見えます。子どもたちが童歌を通して、知らず知らずのうちに「良い子」や「正しい子」に矯正されていく様子を象徴しているとも言えるでしょう。
歌詞のリズムと構造を読みほどく――「あのね あのね」「逮捕逮捕」の効果
この楽曲では、「あのね あのね」「逮捕逮捕」などの印象的な繰り返し表現が多数登場します。これらは、童歌のリズムや呼びかけに似た無邪気さを持つ一方で、その内容には不穏さが漂います。
「あのね」という前置きは、子どもが親や先生に話しかけるような無垢な響きを持ちますが、続く言葉はどこか支離滅裂で、現実と虚構が入り混じったような世界観を形成しています。特に「逮捕逮捕」といったフレーズは、子ども同士の遊びの中での“ルール”や“罰”を想起させ、社会的規範の刷り込みを象徴しているかのようです。
全体として、歌詞の断片的かつ繰り返しの多い構造は、童歌のようなリズムを再現しながら、同時に不安や恐怖を含んだ“教育”の影を浮き彫りにしています。
MVから読み解く隠されたメッセージ――被り物と童歌の共鳴
「おべか」のMVには、様々な動物の被り物をしたキャラクターたちが登場します。彼らはまるで無言で踊らされているかのように動き、感情を持っていないように描かれています。これは、「自分を隠しながら社会に適応しようとする姿」を象徴していると考えられます。
さらに、被り物には一貫して“表情がない”こともポイントです。これは、感情を押し殺して生きる現代の若者や、社会の型に当てはめられる子どもたちを暗示しているようにも見えます。MVの中で描かれる風景や記号(看板や建物、奇妙な文字)もまた、視聴者の想像力をかき立て、童歌に込められた「見えない圧力」の存在を示しています。
制作者の言葉に込められた思い――ねこぜもん氏が語る「令和の童歌」の世界
本作のMV制作を担当したねこぜもん氏は、インタビューの中で「これは“令和の童歌”」であると語っています。表面的には可愛らしくも見える歌と映像の中に、「同調圧力」や「個性の喪失」といった、現代的なテーマを織り込んでいると明言しています。
特に、子どもたちが童歌を歌うことで「他人と同じであることが正義」と刷り込まれていく様子を描きたかったとのことで、「自分を偽ることが当たり前になってしまう社会」への風刺が込められていると考えられます。
ファンたちの考察と共鳴――レビューから見える「おべか」の魅力
「おべか」は、その独特な世界観ゆえに、リスナーたちの間でもさまざまな解釈が生まれています。歌詞の“意味がわからないけど惹かれる”という声や、“自分も被り物をして生きている気がする”といった共感の声がSNSやレビュー欄で多く見られます。
また、看板の文字が途中で変化するなど、MV内の細かい演出を拾い上げて考察するファンも多く、楽曲そのものが“考察する楽しみ”を提供している作品とも言えるでしょう。
総まとめ:「おべか」は現代社会への鋭い風刺を込めた“新しい童歌”
「すりぃ」の『おべか』は、童歌という無邪気な形式を借りながら、現代社会の「同調圧力」や「自己喪失」といった深刻なテーマを浮かび上がらせる楽曲です。歌詞、リズム、MV、そして制作者の意図すべてが連携し、聴き手に多くの“問い”を投げかける一曲となっています。表面的な可愛さの裏にある、鋭い社会風刺を感じ取れるかどうかが、この作品の本当の魅力を知る鍵となるでしょう。