【さいごのひ/スキマスイッチ】歌詞の意味を考察、解釈する。

2011年に、3年半ぶりにリリースされたスキマスイッチのファン待望のバラード曲「さいごのひ」。
この歌は、不確かな世の中で何かを頼りにして生きているのか、と考えさせられるものです。
歌詞は切ないラブソングでありながら、終わりを見つめながらも心温まる感情を抱かせてくれる素晴らしい楽曲です。

壮大な悲しみがただようMV

今回紹介するのは、スキマスイッチの楽曲「さいごのひ」です。
この曲は、2011年に発売された3年半ぶりのバラードです。
タイトルからも感じられる通り、切なさが漂う曲ですが、実際に聴いてみると温かいラブソングとわかります。
物事がうまくいかない現実の中で、苦しい瞬間も多い世界…。
そんな中で、どんなに届かなくても相手を想う気持ちだけは確かに存在します。
別れや失恋の悲しみが押し寄せても、なぜか涙が流れないあなたへ贈りたい一曲と言えます。
涙が切なさではなく、むしろ心温まる感情として流れることでしょう。


公式のYouTubeチャンネルで公開されているミュージックビデオの舞台は、かつては人々が住んでいたであろう場所で、今では荒れ果て、瓦礫が散乱しています。
その場所には古びたピアノが置かれており、メンバーの一人である常田が演奏を始めます。
隣には廃墟の中で横たわり、苦悩に満ちた表情で歌う大橋がいます。
この映像から感じる奇妙な悲しみの気配は一体何なのでしょうか?
廃墟は基本的に、昔は賑わっていた場所であることが多く、その過去の繁栄が垣間見えます。
以前は誰かがそこで楽しいひとときを過ごし、笑顔があふれていた場所です。
さまざまな理由があるかもしれませんが、所有者を失った場所だからこそ、壮大な悲しみがただようのかもしれません。
何らかの別れや喪失がそこに静かに息づいているのかもしれません。
このような背景が、この楽曲の歌詞と相まって深みを増しています。
それでは、歌詞の解説に移りましょう。

大切なものを手に入れることは、それを失う可能性を同時に受け入れること

揺れる 揺れている か弱く燃えている
巡る 巡っている 僕を取り巻くモノ

それは灯火のように、今にも消えてしまいそうな儚いもの。
この描写にはさまざまな意味が込められています。
季節、命、感情、人間関係など、列挙すればきりがない要素が含まれます。
これらはすべて絶えず変遷していくものです。
保証されたものは何ひとつありません。
季節は常に移り変わり、命も突然奪われることがあるでしょう。
人の感情は瞬時に変わり、人間関係も時間の経過とともに好転することもあれば悪化することもあります。
私たち人間は、恒常的な不安定さの中で生きているというメッセージが、この二行に込められています。


先週末から鳴らない電話 持ち主が一人減ったテーブル
つけっぱなしのテレビはまた 子供が犠牲になったという

最初の行は、私自身が経験した悲しい失恋の出来事を描写しています。
二行目は、遠くの街で子供たちの命が次々に奪われる悲劇的な出来事を表現しています。
これらの出来事は全く異なる背景を持っていますが、共通するテーマがあります。
それは、先に述べた「儚さ」です。
子供たちの命も恋愛関係も、非常に脆い状態にあったことが共通しています。
何かを失ったとき、私たちはその不安定さに気づくものです。
そして、その現実に対する恐怖が生まれるのです。
今大切にしているものも、いつかは失われる可能性があるという現実に向き合う時、私たちはその儚さを実感するでしょう。


あぁ なぜ 僕は君と出会ったの?
この世に生まれた時には 名前すらなかったのに
君を呼ぶ声 いつしか口癖になっていた
暮れていく夕闇が 愛の影を躊躇なく消していく

誰もが独りで生まれてくる現実を抱えています。
夢や希望、大切な人など、何も持たずに孤独に存在します。
そこから、他者によって名前を与えられ、時間が経つにつれて様々なものを手に入れていきます。
この過程は喜ばしいことですが、同時に、一人では生きていけないという交換条件が生じることもあります。
「始まり」には必ず何かの「終わり」があり、「終わり」にも何かの「始まり」が潜んでいます。
大切なものを手に入れることは、それを失う可能性を同時に受け入れることを意味しているのです。

すべてが過去の思い出へと変わってしまう

掴める 掴めない 愛情に実体(かたち)は無い
だけどどうにも忘れられない 安らぎと温もり

他人から受ける思いやりや自分への愛情は、目に見えないものです。
したがって、それが本物であるかどうかは、誰にも確定することはできません。
もしかすると、提示された優しさは嘘かもしれませんし、愛情も見せかけかもしれません。
一旦疑念が生まれると、その判断は尽きないこともあります。
それでもなお、人々はその思いやりと愛情によって支えられ、生きています。
こうした理由から、「信じること」「信じようとすること」が生まれるのです。
失恋したとしても、忘れることができないのは、その目に見えない感情が大きな意味を持っていたからかもしれません。


人の命は儚くて それ以上に心なんて脆い
だからこそ僕らはきっと 希望にしがみついて生きている

人生の終焉や自分の心の崩壊といった出来事を考えるだけで、深い不安が湧いてきます。
その不安は、まるでブラックホールに飲み込まれるような恐怖感を引き起こします。
この恐怖を見せないように、私たちは日々、何かにすがるように過ごしているかもしれません。
例えば、誰かと楽しく笑ったり、抱きしめ合ったり、夢に向かって努力したりすることでしょう。
これらは一時的な安らぎかもしれませんが、それがなければ立ち直ることが難しいのです。
そう考えると、私たちはお互いの心を支え合っているという側面もあります。
しかし、自分の心を支えてくれていた存在が突然姿を消すと、心の糸が急に切れてしまう恐れがあります。
だからこそ、失恋は非常につらいのでしょう。


今日も 昨日より 君を想ったよ
言葉はありきたりでも 込めた願いは 確か
暗がりの中浮かべた 痛みと 記憶は
美しく色をつけながら 思い出にすりかわる

「思い出は美しい」という言葉を聞いたことがありますか?
傷つけたり、傷つけあったり…。
当時は辛い経験ばかりだったはずなのに、今となっては愛おしい思い出に変わります。
そうした瞬間、人は「あの頃に戻りたい」と思うことがあります。
しかしその欲望が湧いたときには、もう時は戻らないというのが現実です。
辛いことも楽しいことも含めて、日々の瞬間を大切にできたら素晴らしいでしょう。
大切な思い出は忘れたくないと願っても、すべてが過去の思い出へと変わってしまうのです。

最後に誰に会いたいか

カーペットの上 横になって目をつむり
それでも手を伸ばして あの暖かい光にまだ触れようとする
さいごのひが消える時に人は
いったい何色の世界を見て 誰を想うの?
どうして僕には、君しかいないんだろう

もしもこの世界が終わるとしたら、最後に誰に会いたいかという問いについて考えてみましょう。
この質問に対する答えとして、最初に思い浮かぶのは恐らく、あなたにとって最も大切な人でしょう。
しかしこの相手が同じ質問をされた場合、彼らがあなたを選ぶかどうかは保証されていません。
この現実は誰もが知っているものですが、片思いの場面ではこの事実が特に実感されることでしょう。
苦しさや切なさ、そして悔しさも感じることでしょう。
そうした複雑な感情が、歌詞からも伝わってくるのです。

終わりがあるからこそ、私たちは愛おしさを感じる

あぁ なぜ 僕らはこうして出会ったの?
この世が終わってく時には 君に 呼びかけて欲しいのに
明日は 今日より昨日より 君を想うよ
照らすものは何一つ無くたって きっと ずっと
君だけを探している

失恋という選択肢の先にたどり着く答えは、大きく二つに分かれます。
一つは新たな大切な人を見つけて諦めること、もう一つは想いを続けることです。
この楽曲は、後者の選択肢を描いています。
今、心の支えがない状況にある。
大切な人が傍にいない現実と、つらい出来事が続く世界が広がっています。
それでも、大切な人がどこかに存在することで、生き続ける力を感じる…。
「さいごのひ」は、このような気持ちを込めたラブソングです。
非常に感情豊かな楽曲ですが、その中にどこか温かな感情が滲み出ていることを感じませんか?
「最期」と「最後」。
命の終わりと物事の終わりを表すこの言葉には、それぞれの意味が込められています。
タイトルが平仮名の「さいご」である理由は、両方の意味を包含しているからかもしれません。
どちらにせよ、「さいご」は終わりを指す悲しい言葉です。
しかし皮肉なことに、そこに終わりがあるからこそ、私たちは愛おしさを感じるのかもしれません。