『元彼氏として』歌詞の意味を徹底考察|My Hair is Badが描く未練と皮肉のリアルな心情

My Hair is Badは、その赤裸々な歌詞表現とエモーショナルな楽曲構成で多くのファンを魅了してきたロックバンドです。中でも「元彼氏として」は、元恋人という“もう終わってしまった関係”を主軸にしながらも、未練や嫉妬、自己防衛の感情が複雑に絡み合った一曲です。その歌詞には多くのリスナーが共感や違和感を覚え、SNSやブログでも多くの考察が飛び交っています。

本記事では、「元彼氏として」の歌詞が伝える意味を読み解きながら、語り手の感情や表現の意図、そしてリスナーに与える影響について考察していきます。


「タイトルに込められた“立場”としての意味」

「元彼氏として」というタイトルは非常にユニークで、曲全体を貫く語り手の“立場”を象徴しています。「元彼氏」であることが、今の彼女への想いを語るにあたっての唯一の資格であり、同時に制約でもある。その「元彼氏」という立場から、彼女の新しい恋人への皮肉や観察、自分への正当化を語っているのがこの楽曲の核心です。

タイトルだけで、既に語り手が“今は部外者である”という現実を自覚していることがわかります。しかし、それでもなお語りたくなるほどの感情が残っている――その“未練”が本楽曲の出発点となっています。


「歌詞冒頭〜“今の彼氏は…”:比較と皮肉の構図」

楽曲の冒頭から「今の彼氏はタバコを吸う」「背が低いし」「色が黒い」といった描写が続きます。これは一見すると単なる皮肉のようですが、裏返せば語り手が自分との比較を通じて優越感を得ようとしている心理が見え隠れします。

つまり、直接的に自分を良く言うのではなく、“今の彼氏のダメさ”を強調することで、間接的に「自分の方が良かっただろ?」というメッセージを滲ませています。これは、未練とプライドの入り混じった非常に人間らしい心理描写であり、歌詞のリアリティを生む要素のひとつです。


「“見てるよ/ずっと見てるよ”――未練と監視の交錯」

曲の中盤で登場する「ずっと見てるよ」というフレーズは、未練の強さを象徴しています。これは決して純粋な愛情とは言い切れず、どこかストーカー的な視線を感じさせる不穏さを孕んでいます。

リスナーによっては、このラインに怖さや執着心を感じるかもしれません。とはいえ、別れた相手をSNSなどでつい見てしまうという経験を持つ人も多く、そのリアルな感情を代弁しているとも言えます。「好き」と「執着」の境界が曖昧になる瞬間を見事に描いたフレーズです。


「“ママになるなんて嫌だ/金かな時間なら…”:変化を拒む想い」

このセクションでは、語り手の価値観や人生観がより強く現れています。「ママになるなんて嫌だ」「金かな時間ならいくらでもあったのに」という表現からは、社会的な“正しさ”に対する反発や、変わっていく彼女への違和感が読み取れます。

語り手は、自分が知っていた頃の彼女のままでいてほしいと思っている一方で、その変化を「損だ」と感じているようにも見えます。これは、過去に取り残された側の哀しみであり、自分だけが変わらずにいることへの焦燥感でもあります。


「批判・賛否の声から読み解く曲の受け止められ方」

この楽曲に対しては、リスナーからの反応も二極化しています。共感する人もいれば、「身体的特徴を比較に使うのはどうか」といった倫理的な批判もあります。特に「背が低い」「色が黒い」といった描写は、一部では差別的と取られるリスクも孕んでおり、曲の表現として賛否が分かれるポイントとなっています。

とはいえ、My Hair is Badが描いてきたのは、いつも“理想的な姿”ではなく、“人間臭い感情”です。この曲も、綺麗事では済まされない感情の揺れを正直に描いたからこそ、多くの議論を呼んでいるとも言えるでしょう。


まとめ:未練も皮肉もリアルな「元彼氏」の叫び

「元彼氏として」という楽曲は、未練・嫉妬・優越感・哀しみといった複雑な感情を凝縮した一曲です。語り手は、決して未練がましいだけの人物ではなく、自分なりの正義や愛情を持ち、変わりゆく現実と向き合おうとしているのかもしれません。

リスナーにとっては、自分の中にもある「醜いけど確かにある感情」を見せつけられるような曲。それでも共感してしまうのは、人間の本質に触れているからこそ。My Hair is Badらしい、感情のリアルを描いた作品です。