「悪い癖」というタイトルに込められた意味とは
My Hair is Badの楽曲「悪い癖」は、そのタイトルからしてどこか私たちの心に引っかかるフレーズです。「癖」という言葉は、日常的な振る舞いの中に潜む習慣的な行動や感情のパターンを示しますが、それが“悪い”と形容されることで、感情のすれ違いや行き違いが暗示されます。
この楽曲で描かれるのは、カップルの破れそうで破れない、けれどどこかで終わりを予感させる関係性です。歌詞の冒頭から、「君は映画の話 僕はナンパの話」という会話のすれ違いが示され、同じ空間にいても、心は違う方向を見ていることが感じられます。
このような“会話のズレ”もまた、「悪い癖」の一つとして象徴されています。互いに気づいていながら、それを放置する「癖」、本音を言わずに取り繕う「癖」。そうした些細な違和感が蓄積し、やがて関係をむしばんでいく様子が、歌詞の随所に織り込まれているのです。
会話から読み取れる2人のすれ違い日常
歌詞中に登場する「映画」と「ナンパ話」は、実は関係性のメタファーとして極めて秀逸です。感情的にも知的にも何かを共有したいと願う「君」に対し、「僕」は軽薄な話題で応じる。これは価値観や期待の不一致を如実に表している象徴的なシーンです。
さらに、「同じ味ばかり頼んじゃう 僕の悪い癖」と自嘲気味に語る主人公の姿は、自分の狭い世界や変化を恐れる性格を浮き彫りにします。それに対して「飽きたような顔しても黙って食べてくれる君」の姿には、相手の内に秘めた忍耐や不満がにじんでいます。
このように、ふとした日常のシーンの裏に、互いの“本音”や“隠れた願い”が見え隠れする構成が、この曲の魅力のひとつです。言葉にしない思いや、微妙な表情の変化から浮かび上がる心の距離感が、聴く者の共感を呼びます。
「あの六文字」の正体とは?歌詞の伏線構造
歌詞の終盤で登場する「六文字」という表現は、多くのリスナーに考察を促してきました。「喫茶店で流れる あの六文字の曲」とは何を指すのか。それは具体的な楽曲名なのか、それとも暗喩なのか。
ここで想起されるのが「THE END」というフレーズです。映画のエンディングで流れる、6文字の終止符。これは「君」の言葉にならない“別れの意志”を象徴している可能性が高いです。
物語を通じて積み重ねられてきた違和感や矛盾、その全てがこの「六文字」で一気に集約される。歌詞の伏線がこのワンフレーズで回収される構造は、My Hair is Badの楽曲らしい緻密な物語設計の賜物です。
また、“曲”という言い方をしている点にも注目すべきでしょう。これは単なる会話ではなく、二人の関係の“終わりのテーマソング”であり、彼らの関係性そのものを象徴する存在として描かれているのです。
押しつけと見ないフリ──二人の“悪い癖”を読み解く
「僕」にも「君」にも、それぞれに“悪い癖”があります。しかし、それは単純な性格の欠点ではなく、もっと根深い「関係性の歪み」として現れています。
「僕」の“悪い癖”は、自分の都合や言い訳を押しつけてしまう点です。「悪く言えば押しつけがましいし、良く言えば君のためだった」という歌詞は、正当化と自己嫌悪が交錯する感情の表れです。
一方で「君」の“悪い癖”は、「自分の本音を言わずに黙って受け入れてしまうこと」です。これは我慢の美徳のように見える一方で、実は大きなストレスや誤解の原因ともなり得るものです。
このように、二人の“悪い癖”は相互に絡み合い、関係の中で増幅されていきます。だからこそ、どちらが悪いという単純な構図ではなく、関係性の中における「共犯性」として描かれている点に、この楽曲のリアリティと深みがあります。
男性視点・女性視点を超えた“人間”同士の共感性
My Hair is Badの椎木知仁の歌詞は、しばしば「男目線」と言われがちですが、「悪い癖」では男性・女性という立場を超えて、より普遍的な“人間”同士の心の機微を描いています。
言葉が足りない、うまく伝えられない、相手の本音を見抜けない……そうした葛藤は、性別に関係なく誰もが抱える問題です。「悪い癖」は、それを真正面から描くことで、多くのリスナーの胸に刺さる普遍性を獲得しています。
また、喫茶店や食事、映画など、誰もが経験したことのあるシチュエーションを舞台にしている点も、共感を高める要因です。だからこそこの曲は、「ある特定の誰か」ではなく、「すべての誰か」に向けて歌われているのです。
✅ まとめ
『悪い癖』は、一見些細に見える日常会話や行動の裏に隠れた、深い心のすれ違いを描く作品です。「君」と「僕」の間に存在する小さな違和感、言葉にできない本音、そしてその積み重ねが「THE END=六文字の曲」という象徴的な終わりに収束していく構成は、リスナーに深い余韻と考察を促します。性別や立場を超えて共感を呼ぶこの曲は、“人間”の関係性そのものを映し出す鏡のような作品と言えるでしょう。