YOASOBI「もしも命が描けたら」は、命を他人へ分け与えることができる男を描いた物語です。
一見すると「自己犠牲の美しさ」を描いた曲にも思えます。
しかし、物語を最初から最後まで追うと、もっと複雑です。
主人公・星野月人は、一度は自分の命を終わらせようとした人物。
そんな彼が「命を誰かに与えられる力」を手にしたことで、逆説的に生きる意味を見つけていきます。
つまりこの曲が問いかけるのは、
「自分ではいらないと思っていた命が、誰かにとって必要なものになったとき、その命をどう使うのか」
という問題なのではないでしょうか。
鈴木おさむによる舞台版の物語と合わせながら、「もしも命が描けたら」の歌詞の意味を考察します。
YOASOBI「もしも命が描けたら」とは?
「もしも命が描けたら」は、鈴木おさむが作・演出を担当した同名舞台のテーマ曲です。
舞台は2021年8月12日に東京芸術劇場で初日を迎え、田中圭、黒羽麻璃央、小島聖による3人芝居として上演されました。
YOASOBIにとって初めての舞台テーマソングです。
楽曲は2021年12月1日発売の2nd EP『THE BOOK 2』に初収録。その後、舞台初演から1周年となる2022年8月12日にシングルカットされました。
そのため、「2021年の曲なのか、2022年の曲なのか」が分かりにくいのですが、
初収録は2021年12月1日、シングル配信は2022年8月12日
と整理すると分かりやすいでしょう。
参考:YOASOBI公式サイト
舞台情報:舞台「もしも命が描けたら」公式
原作は小説ではなく鈴木おさむの「舞台」
YOASOBIは「小説を音楽にするユニット」として知られています。
そのため、この曲にも原作小説があると思われがちですが、「もしも命が描けたら」の出発点は鈴木おさむ作・演出の舞台作品です。
YOASOBI公式サイトには「YOASOBI版」の戯曲も公開されています。
舞台公式で、鈴木おさむは作品について「生きること」と「愛すること」をストレートにぶつけたいという趣旨のコメントを残しています。
したがって、単なる生死のファンタジーではなく、
「生きるとは何か」と「愛するとは何か」を、一つの命を使って衝突させる物語
として捉えることが重要です。
舞台「もしも命が描けたら」のあらすじ
主人公は35歳の星野月人。
かつて画家になる夢を持っていましたが、その夢を諦めています。
そして物語冒頭、月人は森の中で自ら人生を終わらせようとしていました。
しかし、その直前に不思議な力を与えられます。
それは、
絵を描くことによって、自分の残りの命を別の生命へ分け与える力。
枯れかけた植物を蘇らせることもできる。
しかし、誰かの命を延ばせば、その分だけ月人自身の残された時間は短くなります。
やがて月人は空川虹子という女性に出会い、彼女を笑顔にすることを生きる理由にしていきます。
ところが虹子には、光陽介という愛する男性がいました。
そして陽介の命が失われようとしていることを知った月人は、大きな決断をします。
ここから「愛すること」と「生きること」が真正面からぶつかります。
「命を描く」とはどういう意味?
タイトルの「命を描く」は、物語上では文字通りです。
月人が絵を描くことで、その絵を通して自分の命を他の生命へ渡すことができます。
しかし、この設定には非常に残酷な仕掛けがあります。
月人にとって絵は、もともと「生きたい未来」の象徴でした。
彼には画家になる夢があり、母も彼の絵を喜んでいました。
ところが夢を諦めた後に与えられた能力では、絵を描けば描くほど自分の未来が短くなっていく。
つまり、
かつて「未来を作る行為」だった絵が、「自分の未来を減らす行為」に反転している。
ここが、この物語で「絵」が使われる最大の意味ではないでしょうか。
創作によって自分を表現するはずだった人が、創作によって自分自身を誰かへ渡していく。
「描く」と「消えていく」が同時に進むのです。
一度は捨てようとした命が「価値」を持ち始める
物語冒頭の月人は、自分の人生を続ける意味を失っています。
ところが不思議な力を得ると状況が変わります。
自分の命を使えば、枯れかけたものを救える。
つまり、それまで月人自身には価値を感じられなかった命が、突然「誰かを生かせるもの」になります。
この逆転が非常に重要です。
命そのものが変化したわけではありません。
変わったのは、
その命が誰かとつながったこと
です。
月人は自分だけのためには生きられなかった。
しかし、誰かのために何かができると知ったことで、再び生きる理由を見つけます。
この曲は単純に「命は大切」と訴えているわけではなく、
他者との関係によって、自分では見つけられなかった命の価値が見えることがある
と描いているように思えます。
虹子との出会いが決定的に重要な理由
月人はその後、空川虹子と出会います。
虹子もまた悲しみを抱えた人物です。
月人は彼女に惹かれ、彼女を笑顔にしたいと思うようになります。
ここで月人の生き方はさらに変化します。
最初は「終わらせたい」と思っていた人生。
次は「誰かを救うために使える」と知った人生。
そして虹子との出会いによって、
「誰かと一緒に生きたい人生」
へと変わっていきます。
だからこそ、その後の選択が残酷なのです。
ようやく生きる喜びを知った人物が、その大切さを知ったうえで自分の残り時間を差し出す。
価値がないと思っているものを捨てるのと、大切だと理解したものを手放すのでは意味がまったく違います。
後半の月人の選択は、物語冒頭の行動とは同じ「死」へ向かっているように見えて、その内面は正反対なのです。
なぜ愛する虹子ではなく「虹子が愛する人」を救うのか
この作品でもっとも切ないのはここでしょう。
虹子には、月人とは別に愛している男性・光陽介がいます。
そして月人は、虹子が陽介を愛していることを知っています。
それでも彼女に自分を選ばせようとはしない。
虹子が本当に望んでいることを考え、その相手を救おうとします。
これは恋愛として考えると、かなり極端です。
普通なら、
「自分が幸せにしたい」
と考えるでしょう。
しかし月人が最終的に選ぶのは、
「自分と幸せになってほしい」ではなく、「あなたが幸せになってほしい」
という愛です。
ここに鈴木おさむが語った「愛すること」というテーマが最も強く表れているように思います。
自己犠牲は本当に「美しい」のか
ただし、月人の行動を単純に美しい自己犠牲として称賛するだけでは、この作品の複雑さを取りこぼします。
舞台のアートディレクションを担当した清川あさみは、公式サイトでこの作品を「究極の自己犠牲」を描いた現代ファンタジーと表現しています。
一方で、月人の能力には明確な代償があります。
誰かに時間を渡せば、自分の時間がなくなる。
無限に命を作り出しているわけではありません。
つまりこれは「命の創造」ではなく、
命の移動
なのです。
誰かが生きる時間と、月人が失う時間が常にセットになっている。
だから読者・リスナーは、月人の行動を見ながら、
「そこまで自分を差し出すことが本当に愛なのか?」
とも考えさせられます。
作品はその答えを簡単には決めません。
だからこそ、ただの感動的な自己犠牲物語では終わらないのだと思います。
「もしも」という言葉が重要
タイトルでもう一つ見逃せないのが「もしも」です。
「命が描けたら」ではなく、
「もしも命が描けたら」
となっています。
これは一種の思考実験です。
もし、自分の寿命を誰かに渡すことができたら。
あなたは誰に使うだろう。
家族か。
恋人か。
自分を愛してくれる人か。
それとも、自分が愛する人の大切な誰かか。
現実にはできないからこそ、このファンタジー設定を通して「自分の命を何のために使いたいか」が浮かび上がります。
タイトルは魔法について説明しているだけではありません。
リスナー自身に、
「もしもあなたなら?」
と問い返しているのではないでしょうか。
月は何を意味しているのか
この物語では「月」が重要な存在として登場します。
主人公の名前も星野「月人」。
そして人生を終わらせようとする夜、彼に不思議な力を与えるのも月です。
さらに登場人物の名前には、
月人の「月」
星子の「星」
虹子の「虹」
陽介の「陽・光」
と、空や光を連想させる言葉が多く使われています。
作者からこれらの名前について明確な説明が出ているわけではないため、ここからは考察です。
月は、自分自身では光を作らず、太陽の光を受けて輝いて見える天体です。
それは月人の生き方にも少し似ています。
彼もまた、誰かとの関係によって自分の命に意味を見つけ、その命をさらに別の誰かへ渡していく。
「誰かから受け取ったものを、また誰かへ渡す」。
そんな命の連鎖を、月というモチーフが象徴していると読むこともできそうです。
「一日だけ残す」ことが示す変化
物語後半、月人は自分の残された時間をすべて無計画に使い切るわけではありません。
わずかな時間を自分のために残します。
ここには冒頭との大きな違いがあります。
冒頭では、月人は人生そのものを終わらせようとしていました。
しかし後半の月人は、自分に残された時間の価値を理解しています。
大切な人に気持ちを伝える。
別れを告げる。
思い出す。
そのための時間を残す。
つまり彼は最後になって初めて、
自分自身の一日にも意味がある
と知ったとも考えられます。
その意味でこの歌は、「死を選ぶ物語」よりも、
生きる意味を知ってしまった人の物語
として読む方が、本質に近いのではないでしょうか。
結末の「再会」は何を意味する?
最後、月人は母や大切だった人たちに思いを巡らせながら目を閉じます。
そして長い旅の先に、待ち望んでいた再会を感じさせる形で物語が終わります。
現実として何が起きているのかを細かく説明するというより、「死」を長い人生の旅の終着点として描いた表現でしょう。
重要なのは、冒頭と結末で月人の心境がまったく違うことです。
最初は絶望の中で人生を終わらせようとする。
最後は、愛されたこと、愛したこと、誰かを救ったことを胸に人生を終える。
同じ終点でも、そこへ至る意味が変わっています。
この円環構造が「もしも命が描けたら」の物語を強くしています。
「もしも命が描けたら」が本当に伝えたかったこと
鈴木おさむは、この舞台で「生きること」と「愛すること」を描こうとしました。
歌詞を追うと、この二つは別々のテーマではありません。
月人は誰かに愛された記憶によって生き、
誰かを愛したことで再び人生に意味を見つけ、
最後にはその愛のために自分の残された時間をどう使うか決断します。
そしてタイトルは私たちにも問いかけます。
もし自分の命を目に見える形で描けたら。
残された量まで分かったら。
私たちは、その時間を誰のために、何のために使うだろう。
「もしも命が描けたら」は、自己犠牲をただ美化した曲ではありません。
見えないから普段は忘れている“自分の残り時間”を、もし目の前に置かれたらどう生きるのか。
その問いを、絵と月と愛の物語に変えた楽曲なのではないでしょうか。


