音楽、そしてポップ・ミュージックは、”歌”、つまり言葉を乗せる事でカルチャーやビジネスとしてもスケールしてきた側面があります。
人間にとって最大のコミュニケーション手段である言葉を音楽に乗せる事で、その言葉はより深く耳にも心にも残ります。
この”言葉”は、当たり前ではありますが、楽器演奏ではなく、”声”によって表現される訳で、楽器の音色以上に歌い手のエモーションやパーソナリティを伝えてくれます。
(もちろん、楽器でもそれらは個性豊かに伝える事ができますが一般的に。)
ザ・ブルーハーツ〜ザ・ハイロウズを経て、ザ・クロマニヨンズへと活動バンドを変遷する甲本ヒロトと真島昌利の両氏は、この言葉を歌に乗せるという表現パフォームの中でも、特にメッセージソングに秀でた才があるというのは周知の通りでしょう。
ことポップ・ミュージックにおいて、否、音楽に限らずメッセージというものはすべからく、そのメッセージが本質的であったり哲学的であるほどに、誰が言うか、誰に言われるかによって伝わり方は大きく異なるように思えます。
そして、今回取り上げるザ・クロマニヨンズによる2018年の17thシングル「生きる」。
これ以上に無い強い言葉でもあり、一般的なミュージシャンであればタイトルとしては避けるであろう直球ぶりです。
しかし、彼らを知るものであれば、「生きる」というタイトルを見た時点で、「これ、名曲なんじゃない?」と、察しがついた方も少なく無いのではないでしょうか。
(かつて「生きるという事に命をかけてみたい」と歌った彼らですしね。)
作詞作曲は甲本ヒロトによるものですが、ザ・クロマニヨンズに言われる「生きる」と、新人若手バンドの「生きる」では、我々リスナーの”聞く耳”には違いが生まれます。
それは彼らのキャリアもそうでしょうし、ルックスや声質、これまでの発言などが折り重なって起こる違いに他なりません。
ちなみに、この楽曲は、菅田将暉主演のテレビドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』主題歌としても使用され、これは番組プロデューサーたっての希望により、既発曲だった「生きる」の使用をオファーしたというエピソードも知られています。
70’sパンク調のイントロで始まるこの曲は、タイトルの通り、「生きる」という事をヒロト流にメッセージソングとしてまとめ上げています。
黄土色のサファリルック 中南米あたりの探検家 捕虫網と虫眼鏡とカメラ
人生を探検家に見立てた歌い出しでスタートします。
言い回しこそヒロト流ではありますが、ここはテーマ説明的なパートと言って良いでしょう。
探し物があるのではなく 出会うものすべてを待っていた 見たいものと見せたいものばかり
早くも「これこそが生きるという事」といった哲学的で胸に刺さる一文です。
“出会い”とは、なるほど人生そのものであると解釈ができますし、”見たいものと見せたいもの”とは、人間ならではの欲求としては最も強いものかもしれません。
“知りたい・知って欲しい”と解釈をして間違いはないでしょう。
謎のキノコをかじる 三億年か四億年
前文の「待っていた」「見たいものと見せたいもの」の為には、どんなトライも時間も費やしてやるという気概を示したフレーズが続きます。
見えるものだけ それさえあれば たどり着けない答えはないぜ
ずっとここには ずっとここには 時間なんか無かった
サビは”生きること”を肯定した、賛歌らしいポジティブなメッセージが投げかけられています。
前半は「今のままでもなんだってできる」と解釈ができ、後半の”時間なんか無かった”はつまり「今、生きている」ことを告げていると解釈する事ができ、「生きている君は、今のままでもなんだって出来る」という力強いメッセージである事が分かります。
いつかどこかわからないけど なにかを好きになるかもしれない その時まで空っぽでいいよ
ここは暗喩ではなく、言葉そのまま「夢や目標がなくても不安やコンプレックスに思う事はないよ」と、若い時代に陥りがちなネガティブな思考を晴らすような一節です。
この楽曲に込められたメッセージそのものは、こんな風に要約する事ができるかもしれません。
【人生とは探検のようなもの。その中で多くの人や事象と出会い、もっと多くのそれらを知りたいし、そんな自分の事も知って欲しい。今を生きている君は、君のままでなんだって出来る。もし、まだどんな人生にしたいのか決まっていないとしても、不安に感じる事はないんだよ。】
こんな風に無粋に要約をしてしまうと、月並みな大人の励ましのようにも感じるかもしれませんが、これを「生きる」というタイトルでヒロトの言葉でヒロトが歌っている事。
つまり、誰の言葉かという事の重要性を改めて思い知らされた一曲です。
関連 【タリホー/ザ・クロマニヨンズ】歌詞の意味を考察、解釈する。