1970年代初頭、日本のロック史に革命を起こしたバンド、はっぴいえんど。その代表曲の一つである「はいからはくち」は、一見意味が掴みにくい歌詞と斬新なサウンドで、今なお多くのリスナーに強い印象を与え続けています。
本記事では、「はいからはくち」の歌詞に込められた意味を、詩的構造、時代背景、象徴の使い方など多角的に読み解いていきます。歌詞の一節一節に宿る言葉の力を、共に深掘りしてみましょう。
歌詞冒頭の「はいから はいから はいから…」とは何を表すか?
この楽曲は、「はいから はいから はいから…」というフレーズで始まります。リズムよく繰り返されるこの語は、明治時代に由来する「ハイカラ(high collar)」、すなわち西洋かぶれの風潮や人物を指す言葉です。
しかし、ここでの「はいから」は単なるファッションや風俗の話ではなく、「時代に流されていくこと」や「空虚な流行」への皮肉が込められているように感じられます。反復されることで、その軽薄さや空虚さがより浮き彫りになります。
ダブルミーニング/言葉遊びの世界:『はいからはくち』における多重解釈
タイトル「はいからはくち」には明確な日本語としての意味が存在しないように見えますが、実は音韻的な遊びが凝縮されています。
たとえば、「はいから」は先述の通り西洋かぶれ、「はくち」は「白痴」=無知、愚かさを連想させます。この2つが並ぶことで、「ハイカラな愚か者」「見せかけだけの近代性」といった皮肉が見えてきます。
さらに、リズム感と語感の面白さもあり、意味が曖昧であること自体がこの曲の本質を表現しているとも解釈できます。まさに日本語の音と言葉の可能性を最大限に活かした詩世界です。
「コカ・コーラ」「女郎花」「血塗れの空」–象徴とイメージの分析
歌詞の中盤には、「コカ・コーラ」「女郎花(おみなえし)」「血塗れの空」といった象徴的な言葉が登場します。これらは、どれも具体的なイメージを持ちながら、同時に多義的な意味を内包しています。
- コカ・コーラ:アメリカ文化の象徴。日本への文化的侵食、あるいは「消費される夢」としての意味が含まれる。
- 女郎花:秋の七草の一つでありながら、名前に「女郎(遊女)」の文字を含むことから、女性性や儚さ、あるいは性的なニュアンスも想起される。
- 血塗れの空:戦争や暴力、終末的なイメージを喚起させる詩的表現。
これらの単語は、単なる装飾ではなく、聴き手に多重の情景や感情を呼び起こさせる仕掛けとして配置されており、楽曲の世界観を拡張しています。
バンド背景・時代背景から読み解く「はいからはくち」の文脈
「はいからはくち」がリリースされた1970年、日本は高度経済成長の渦中にあり、西洋文化の流入とともに急速な近代化が進行していました。
はっぴいえんどは、そうした時代の中で「日本語ロック」という未踏の地を切り開いたバンドです。その試み自体が、「西洋の形式に日本語を乗せる」=「はいからでいてはくち」という自己矛盾に挑戦する姿勢を象徴しているとも言えます。
つまり、この曲は時代の価値観や文化的矛盾を、言語と音楽の両面から捉え直そうとする、ある種のアンチテーゼとも受け取れるのです。
メロディ・アレンジと歌詞の一体感:音楽としての“意味”ともに
歌詞の解釈はテキストだけにとどまりません。「はいからはくち」のメロディは、不安定な浮遊感やリズムの断絶が特徴的で、歌詞の世界と一体化した構造を持っています。
- ベースラインのうねりが生み出す不穏な空気
- 軽快に聴こえるのに、どこか毒を含んだメロディ
- 風街的なサイケデリックさと歌謡の香りが混在したアレンジ
こうした音楽的要素と歌詞が絡み合うことで、「はいからはくち」は単なる言葉遊び以上の意味を獲得し、聴き手に不安や違和感を与えながらも強烈な魅力を放っています。
まとめ:現代にも響く「はいからはくち」の本質
「はいからはくち」は、現代においてもなお、表層的な流行や空虚な近代化への問いを投げかける楽曲です。言葉の意味に明確な答えを与えないからこそ、聴くたびに新しい発見があり、解釈が変化する魅力があります。
はっぴいえんどの音楽は、歌詞とメロディの結びつき、そして時代への鋭いまなざしを持った「生きた詩」として、これからも語り継がれていくことでしょう。


