【銀の龍の背に乗って/中島みゆき】歌詞の意味を考察、解釈する。

もう一つの「Dr.コトー」の姿

中島みゆきという詩人は、自由奔放に自分の描きたい世界だけを描くような印象もあるが、タイアップのような作品において、きちんと作品のイメージや物語に沿った作品を作り上げることに関しても一流である。

ドラマ「家なき子」に提供された「空と君のあいだに」では主人公・すずの愛犬であるリュウの目線で描かれたもう一つの物語を形成し、「マッサン」に提供された「麦の唄」は物語に登場するウィスキーと昭和初期の北海道をイメージして作られた、これももう一つの物語である。
勿論、「悪女」や「糸」といったその他の楽曲に関してもその歌から物語がもう一つ作れるようなストーリー性を持ち合わせており、さだまさしや井上陽水といった同世代のシンガーソングライター同様、中島みゆきはストーリーテラーとしても数多くの作品を発表してきた。

その他にも数多の提供曲で作品を彩る中島みゆきの作品を長年使用している作品がドラマ「Dr.コトー診療所」である。

沖縄の架空の島、志木那島に赴任した医師・五島健助が様々な出来事に振り回されながらも奮闘し、やがて島民の信頼を得て自分の居場所を見つける「Dr.コトー診療所」は、2003年の第一弾ドラマから幾度となく続編が作られ、2022年に公開された完結編である劇場版で物語は終りを迎える。
その全ての作品の主題歌として使用されたのが中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」である。

ドラマをイメージして作られたこの作品は、ドラマの内容をなぞると同時にもうひとつの物語を描いており、まさにこのドラマと共に年月を重ね、対になる存在である。

今回はこの「銀の龍の背に乗って」を考察してみたい。

暗示される「孤島での医療」

あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷(いた)んでいる

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

急げ悲しみ 翼に変われ

急げ傷跡 羅針盤になれ

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

蒼ざめた海の彼方、という言葉が意味するものは沖縄の美しい海と、医師が不在で不安を抱える島民の様子を描いたものではないだろうか。

海は美しくあるが、あまり美しいものに「蒼ざめた」という表現は使わない。
中島みゆきはあえてこの言葉を使い、不安定な島の様子を描いている。

そして、Dr.コトーこと五島健助もまた問題を抱え、この島にやってきた。

自身の医療ミスによって僻地へ飛ばされた五島は、今までに来島した医師と同様に無能の医師であるという先入観を島民に持たれている。

そして、五島も医療ミスで自信を失い、不安な精神状態での赴任であるという事が最初のヴァースで描かれている。

しかし、病人は待ってはくれない。
何もしなければ、目の前の命は失われるだろう。

そんな時に過去のミスや島民からの感情を考えている猶予はないのだ。

その感情が「急げ」という一節に現れている。

抱えている悲しみを翼に変えて。

負った傷跡を羅針盤に変えて、Dr.コトーは非力ながらも患者のために全力を尽くす。

もがきながらも戦うことを選んだDr.コトー

夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日

明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ

銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を

不安を抱えるDr.コトーだが、目の前の患者は苦しんでいる。

俺は医者だ、医者なら患者を救うのが使命だ、五島は自分を奮い立たせて患者を救う。

不安に震える患者から見て、その姿はあまりにも美しい姿だろう。

「銀の龍」が意味するものは、インタビューによると「波が砕ける色」と「医療機器であるメスの色」であるそうだ。

医師が不在だった孤島に波を割りやって来た、頼りなくも心強いDr.コトーの姿は島民から見てまさに「銀の龍の背に乗って」やってきた希望そのものだったのではないだろうか。

「命の砂漠」は医師がいない島を表し、Dr.コトーはその砂漠へ雨雲の渦を運び、水をもたらそうとしている。

「さあ、行こうぜ」と叫んでいるのは、病に震える島民を励ますDr.コトーであり、

そして、忘れたい過去を抱えるDr.コトーに向けた島民からのメッセージとも読み取れる。

1番では孤島にやってきたDr.コトーと、不安に震える島民の関係性について描かれている。

「金の龍」ではなく「銀の龍」である理由

失うものさえ失ってなお 人はまだ誰かの指にすがる

柔らかな皮膚しかない理由(わけ)は 人が人の傷みを聴くためだ

急げ悲しみ 翼に変われ

急げ傷跡 羅針盤になれ

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

わたボコリみたいな翼でも 木の芽みたいな頼りない爪でも

明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ

銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を

銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を

銀の龍の背に乗って

銀の龍の背に乗って

金と銀。

将棋で例えれば、金は銀より格上であり、また鉱物としての価値も金の方が上である。

まばゆく光り輝く金に比べ、銀は幾分弱々しい。
それではなぜ、中島みゆきは金ではなく銀を選んだのだろうか。

「銀の龍」という言葉にはもう一つの意味がある。
完璧な金ではなく、弱い銀を選んだ理由、それはDr.コトーのキャラクターを表している。

真面目だが線が細く、身の回りのことにも無頓着。
過去のミスを抱え、自信を失った銀の龍。

しかし、だからこそ見えるものもある。
弱き者だからこそ、弱き者の気持ちがわかる。

たとえわたボコリのような翼しかなくとも、木の芽のような爪しか持たなくとも、人の命を救うためならDr.コトーは強き龍へと姿を変えられるのである。

銀の龍にしかできない事。
それは弱き者に寄り添うことである。
Dr.コトーは病を直し、傷を癒やすだけではない。
患者の心に寄り添い、精神的なケアで患者を心身から救う。

患者は治癒を喜び、Dr.コトーはその姿を見て自分の居場所を確認する。

患者を救うことで、Dr.コトー自身も救われているのではないだろうか。

それこそが、「Dr.コトー診療所」というドラマの最も大きなメッセージであり、

そしてこの「銀の龍の背に乗って」という歌が描くもう一つの物語なのだろう。

偶然?計算?龍が昇る崖

最後に面白いエピソードを一つ。

「Dr.コトー診療所」の最初のドラマが撮影された時、崖の上に座るDr.コトーの写真がタイトルバックとして使用された。

ロケ地は架空の志木那島と同じ沖縄県に実在する与那国島。
与那国島のその崖からは龍が昇るという言い伝えがあるそうだ。

知ってか、知らずか。
まさに奇跡的なめぐり合わせとなった「Dr.コトー診療所」というドラマと「銀の龍の背に乗って」という歌である。

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