1. 「Feelin’ Go(o)d」のタイトルに込められた〈Good〉と〈God〉の二重意味
藤井風の楽曲タイトル「Feelin’ Go(o)d」には、明らかに遊び心が込められています。一見すると「気持ちがいい」というポジティブな感情を表す“Good”という意味ですが、括弧の中に“o”を加えた「Go(o)d」という表記には、もう一つの意味――“God(神)”――が隠されています。
藤井風はこれまでの楽曲でも、「優しさ」や「愛」といったスピリチュアルな概念を繰り返し歌ってきました。「God」を示唆するこのタイトルは、単なる快楽や楽しさではなく、より深い“神聖な幸福感”や“愛の境地”を象徴していると考えられます。
つまり、「Feelin’ Good」は日常の中で感じるちょっとした幸せでありながら、「Feelin’ God」は人間の本質や宇宙とのつながりを感じるような、形而上の幸福。その二重の意味を一つのタイトルで表現しているのです。
2. 「心は言葉を失くして 感じられるは愛だけ」──言葉を超えた“愛”の体験
サビの一節、「心は言葉を失くして 感じられるは愛だけ」は、この曲を象徴するフレーズです。私たちは普段、言葉で物事を理解しようとします。しかし、この歌詞が語るのは、言葉を超えたコミュニケーション――つまり、純粋な“感覚”としての愛です。
藤井風は以前からインタビューで「愛とはすべてにあるもの」「神とは愛そのもの」という思想を語っており、この歌詞もその哲学に沿っています。理屈や概念を取り払い、ただ“愛”というエネルギーを感じ取る境地。それは宗教的な祈りに近い感覚でもあり、同時に、私たちの日常に存在する静かな喜びを思い出させてくれます。
このフレーズを聴いたとき、言語や文化を超えて共通する“感覚”の世界が広がるのです。藤井風は、言葉の無力さを逆手に取り、その先にある無条件の愛を提示しているといえるでしょう。
3. 「闇を抜けて山を越えて 愛ではじめ愛で終えて」──再生と祈りのメッセージ
「闇を抜けて山を越えて」という歌詞は、人生の試練を象徴しているように感じられます。誰しも暗闇を経験し、困難な“山”を乗り越える過程があります。しかし、このフレーズの核心は「愛ではじめ愛で終えて」という結末です。
藤井風は“愛”を人生の起点であり終点とするサイクルとして描いています。生まれたときから愛に包まれ、最後には再び愛に還る。これは単なる恋愛の歌ではなく、もっと大きなスケールで「命の循環」や「魂の旅路」を示しているのです。
この歌詞の構造は祈りに近く、仏教的な“輪廻”や、インド哲学の“ブラフマンとの一体感”をも想起させます。藤井風自身、幼少期からインド思想に触れており、この曲にもそうした精神性が色濃くにじみ出ています。
4. サイババの教えと藤井風のスピリチュアル観──神=愛という哲学
藤井風の思想を理解するうえで欠かせないのが、彼が影響を受けたと語るインドの聖人・サイババの教えです。サイババは「神は愛であり、愛は神である」という言葉を残しました。藤井風はこの概念を自身の音楽に取り込み、「愛そのものが神である」という思想を一貫して発信しています。
「Feelin’ Go(o)d」における“Go(o)d”は、まさにその象徴。愛を体験することは、神を感じることと同義であるという信念が、この曲全体に流れています。これは宗教の枠を超えた普遍的なメッセージであり、聴く者に「自分の中の愛を信じること」の大切さを伝えているのです。
このスピリチュアルな要素は、一見するとポップなサウンドに隠れていますが、歌詞を深読みすればするほど、藤井風が届けたいメッセージの深さに気づくはずです。
5. 音とリリックの融合──軽やかなファンクサウンドと深い歌詞表現
「Feelin’ Go(o)d」は、軽やかなグルーヴとファンクの要素が際立つ楽曲です。藤井風の歌声は柔らかく、聴き心地は非常にポップ。しかし、その裏にある歌詞は、驚くほどスピリチュアルで哲学的です。
このギャップこそが藤井風の魅力。リスナーはまずビートに身を任せ、自然と身体を動かしながら、ふと耳に残るフレーズに心を奪われます。「闇を抜けて」「愛で終えて」といった言葉は、軽快なメロディの中で違和感なく溶け込みながらも、聴く者に深い問いを投げかけるのです。
また、曲の展開は非常にダイナミックで、静と動のコントラストが際立っています。リズムの軽快さと、歌詞の持つ静謐な祈り。この二面性が、藤井風の音楽を唯一無二の存在にしています。
✅ Key Takeaway
「Feelin’ Go(o)d」は、単なるポジティブソングではありません。その背後には、“愛=神”という藤井風のスピリチュアルな世界観が流れています。軽やかなビートに乗せて届けられる深いメッセージは、聴くたびに新しい発見を与えてくれるはずです。