【朝がまた来る/DREAMS COME TRUE】歌詞の意味を考察、解釈する。

年ごとに、励ましの言葉だけでは解決できない課題が増えつつあります。
言われても、何をしても解決できない自分を責めることすらある日々もあります。
そんなとき、ラジオで、ある歌が流れてきました。
その曲はDREAMS COME TRUE(ドリームズ・カム・トゥルー、通称:ドリカム)の『朝がまた来る』でした。

同じような一日が今日も始まる
となりの人が空見上げて舌打ちする

以前、楽しげに聞こえたこの曲には、予想外に感受性豊かなメッセージが込められていました。
確かに、いかに悩んでも、日常の出来事は大きな変化を見せません。
そうした現実を理解していても、受け入れることが難しいことがあります。
この理想と現実のギャップこそが、絶望の原因であるかもしれません。

しかも、私が絶望の淵に立たされているのにもかかわらず、この曲は次々と続けて言います。

雨だって晴れだって 願いは届かない

壊れて泣いたって 願いは届かない

これはまさに泣きっ面に蜂ですね。
つまり、天候がどうであろうと、悲しんでも絶望は晴れることはありません。
そして、最後にこんな無責任な言葉で結びます。

思いが逝く日まで 空に昇る日まで

どれだけ絶望していても、残念ながら夜は明けてしまいます。
これからも物事は、その成り行きでしか解決できないのかもしれません。


ただ、どこかこの歌は絶望の淵にいる私を安心させてくれたようです。
なぜなら、どうしようもないという不安を受け入れてくれたように感じたからです。
自分の現状ではどうしようもないと悩んでいるとき、与えられる励ましは、時に心の負担になることもあります。
励ましを受けても、自分には何もできないと感じることもあります。
そのようなとき、『朝がまた来る』のような、どこか後ろ向きな感情を含む歌は、一種の慰めにもなります。
だからこそ、私も、そしてきっと周囲の人々も、普通に日常を続けることができるのでしょう。

雨なら傘もって 晴れたら上着脱いで みんなそうして生きていく

日常に絶望していても、日常を生きていかなければならないのです。
それは、新たな挑戦以上に体力や気力が必要なときもある難しいことです。
現状を受け入れることは、現状を打破することほどに難しいことかもしれません。
だからこそ、私はたとえ絶望していても、現状から逃げ出さず、現状を何とか耐え抜くために『朝がまた来る』を聴くのです。
そうすれば、きっと朝がまた訪れるのでしょう。