好きだったものを、嫌いになろうとしたことはあるでしょうか。
夢中になるほど苦しくなる。
努力するほど、自分より才能のある人が見えてくる。
純粋に楽しみたかったはずなのに、評価、順位、収入、将来性が気になり始める。
好きなものを続けているだけでは、生きていけない。
かといって、やめれば自分の一部まで失うような気がする。
そのようなとき、人は「もうどうでもいい」と言います。
本当にどうでもよくなったからではありません。
大切に思い続ければ、傷つくからです。
ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」に登場する青年も、音楽を突き放そうとしています。
音楽では稼げない。
歌詞など深く考えなくてもよい。
愛や優しさに根拠などない。
人生の正しさを考えても答えは出ない。
主人公は、音楽だけでなく、人間、愛、救い、人生そのものへ冷笑的な態度を取ります。
しかし、この冷たさは彼の本心ではありません。
本当に音楽をどうでもいいと思っているなら、音楽を辞める理由を一曲かけて説明する必要はないからです。
本当に君を忘れたのなら、何度も君を書いたと告白する必要もない。
彼は音楽を嫌いになったのではありません。
音楽を好きな自分を、これ以上傷つけないために捨てようとしているのです。
「だから僕は音楽を辞めた」は、夢を諦めた人の歌であると同時に、諦めたふりをしている人の歌です。
音楽を辞めるという結論へ向かいながら、最後まで音楽によって君へ語りかける。
その大きな矛盾にこそ、この曲の本当の意味があります。
では、主人公はなぜ音楽を続けられなくなったのでしょうか。
歌詞に繰り返し登場する「防衛本能」とは何から自分を守っているのでしょう。
幸せそうな人へ向けた憎しみは、単なる嫉妬なのでしょうか。
そして、主人公が最後まで責任を押し付ける“君”とは、どのような存在なのでしょうか。
本記事では、ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」の歌詞に込められた意味を、エルマへの感情、才能への劣等感、商業音楽への葛藤、自己防衛という視点から詳しく考察します。
- ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」とは
- 【結論】音楽を辞めた理由は、音楽を愛しすぎたから
- タイトルの「だから」は何を受けているのか
- 「辞めた」は事実ではなく決意なのか
- 主人公とエルマの関係
- エルマは音楽を続ける理由だった
- “君のせい”は責任転嫁なのか
- 「考えても分からない」が繰り返される意味
- 正しさを求めることが“防衛本能”になる
- 愛や救いを否定するのも防衛本能
- ラブソングを痛いと感じる理由
- 幸せそうな人が憎い理由
- 劣等感が“化け物”になるまで
- 音楽では稼げないという現実
- “売れること”を嫌いながら、評価を求めている
- 歌詞は適当でもよいという言葉は本心か
- ピアノを弾く癖が抜けない意味
- 音楽を辞めることと、音楽家でなくなることは違う
- 心に引いた“一本の線”とは
- “心”から何を切り離そうとしたのか
- 年を取ることが怖い理由
- 何もしていない自分への失望
- なぜ人間全体へ怒りを向けるのか
- 「間違っている」と「間違っていない」の揺れ
- 最後に“信念”を持ち出す理由
- 音楽を辞めたのに、なぜ最後まで歌っているのか
- 表題曲がアルバムの最後に置かれた意味
- 日付を冠した楽曲が示す“手紙の時間”
- 続編『エルマ』で変わる意味
- 青年が消えても音楽は残る
- MVの青年が表す“感情の空回り”
- suisの歌声が生む距離
- 「だから僕は音楽を辞めた」は夢を諦める歌なのか
- 何かを辞めても、失敗とは限らない
- 現代の創作者へ響く理由
- 評価されたい気持ちは不純なのか
- 「だから僕は音楽を辞めた」に関するよくある疑問
- まとめ|「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽を捨てられなかった人の歌
ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」とは
「だから僕は音楽を辞めた」は、2019年4月10日に発売されたヨルシカの1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』の表題曲です。
同アルバムは、音楽を辞めることになった一人の青年が、エルマという女性へ宛てて作った楽曲、手紙、写真をまとめたコンセプト作品です。表題曲は、複数の楽曲と日付を冠したインストゥルメンタルを経た最後の14曲目に配置されています。
初回限定盤は、青年がエルマへ書きためた手紙や歌詞、旅先で撮った写真を木箱へ収めたという設定を再現した仕様でした。音源だけでなく、手紙を読むことで主人公が音楽を辞めるまでの心の変化を体験できる作品となっています。
作詞・作曲・編曲はn-buna、ボーカルはsuisが担当。ミュージックビデオは、ぽぷりかとまごつきによって制作され、青年がエルマへの思いや音楽への葛藤に揺れる姿がアニメーションで描かれました。
また、Billboard JAPANの集計では、2026年までにストリーミング累計再生数3億回を突破した楽曲として紹介されています。
【結論】音楽を辞めた理由は、音楽を愛しすぎたから
「だから僕は音楽を辞めた」の意味をひと言で表すなら、音楽とエルマを深く愛した青年が、才能への劣等感や報われない現実に耐えられず、大切なものを嫌いになったことにして自分を守ろうとする歌です。
主人公は、音楽へ無関心になったわけではありません。
ピアノを辞めても、指は机の上で鍵盤を探してしまう。
音楽をしていない未来を望みながら、現在も歌詞を書いている。
愛や優しさを否定しながら、エルマへの思いを何度も作品へ残している。
彼の言葉と行動は、最初から矛盾しています。
しかし、その矛盾は歌詞の欠陥ではありません。
主人公自身が、本心を直視できていないことを表しています。
彼は音楽を辞めたいのではなく、音楽を続けても理想の自分になれない苦しみから逃げたいのです。
タイトルの「だから」は何を受けているのか
タイトルは、単に「僕は音楽を辞めた」ではありません。
冒頭に「だから」が付いています。
「だから」は、それ以前に理由があることを示す接続詞です。
才能がなかったから。
音楽では生活できないから。
評価されなかったから。
将来が不安だから。
自分より幸せそうな人が憎いから。
愛や人生の意味を考えても分からないから。
主人公は、曲の中で辞める理由を次々と並べます。
しかし、どの理由も決定打にはなっていません。
一つの問題が解決すれば音楽へ戻れる、という話ではないからです。
彼の中では、才能、収入、年齢、嫉妬、恋愛、自己嫌悪が複雑に絡み合っています。
「だから」という一語は、論理的な結論を示すように見えて、実際には主人公が自分を納得させるための言葉なのです。
「辞めた」は事実ではなく決意なのか
タイトルは過去形です。
すでに音楽を辞めた人物が、昔を振り返っているように見えます。
しかし歌の中の主人公は、まだ完全には音楽から離れられていません。
音楽をしていない将来を想像する。
辞めたはずの楽器を弾く動作が身体へ残っている。
売れることを気にしていなかった過去を振り返る。
そして、現在も一曲を完成させています。
そのため、「辞めた」は客観的な事実というより、自分へ言い聞かせる宣言だと考えられます。
もう辞めた。
だから考える必要はない。
君のことも、音楽のことも、これ以上思い出さない。
そう繰り返さなければ、再び音楽へ戻ってしまう。
過去形を使うことで、まだ終わっていない感情を、終わった出来事にしようとしているのです。
主人公とエルマの関係
アルバムは、音楽を辞める青年がエルマへ残した作品として構成されています。
二人の関係を、明確に恋人と断定する必要はありません。
音楽を通じて出会った大切な相手。
自分の表現を理解してほしかった人。
創作の理由となった存在。
そのような関係として読むことができます。
主人公は、エルマを単に愛しているだけではありません。
彼女へ自分を理解してほしい。
自分が見てきた景色や、胸の中にある感情を共有したい。
そのため、何度も彼女を歌へ書こうとします。
彼にとってエルマは、恋愛対象であると同時に、音楽を届けたい最初の聴き手なのです。
エルマは音楽を続ける理由だった
主人公は、音楽そのものへの情熱だけで創作していたのではないでしょう。
君へ伝えたい。
君を形として残したい。
君が見た自分を、歌の中へ保存したい。
その思いが、創作を動かしていました。
同じアルバムに収録された楽曲でも、主人公はエルマを思い出へ変えることへ抵抗し、音楽によって形に残そうとしています。
だから、エルマとの関係が失われることは、恋愛上の別れだけを意味しません。
音楽を書く目的まで失うことです。
君のいない世界で、誰に向けて歌えばよいのか。
何を残すために作ればよいのか。
主人公が音楽を辞める理由には、創作の中心だった相手を失った空虚さも含まれています。
“君のせい”は責任転嫁なのか
主人公は、自分の苦しみをエルマのせいにします。
音楽を辞めること。
人生を考え続けてしまうこと。
愛や救いを簡単には信じられないこと。
しかし、エルマが主人公へ音楽を辞めるよう命じたわけではないでしょう。
彼女は、主人公が苦しむ原因というより、苦しみを隠せなくする存在です。
エルマを知ったことで、主人公は誰かを愛する喜びを知った。
同時に、失う恐怖も知った。
伝えたい言葉があるのに、伝えられない自分の未熟さにも気づいた。
そのため“君のせい”とは、単純な非難ではありません。
君と出会わなければ、これほど深く音楽を書かなかった。
君と出会わなければ、これほど苦しむこともなかった。
感謝と恨みが重なった、不器用な愛情表現なのです。
「考えても分からない」が繰り返される意味
主人公は、将来、人生、愛、正しさについて考え続けています。
しかし、どれほど考えても結論は出ません。
どう生きるべきか。
音楽を続けるべきか。
何をもって成功と呼ぶのか。
愛に根拠はあるのか。
人生には意味があるのか。
これらの問いには、一つの正解がないからです。
それでも主人公は考えることをやめられません。
正解が分かれば、間違った人生を選ばずに済む。
音楽を辞める決断にも、自信を持てる。
彼が欲しいのは哲学的な真理ではなく、後悔しないための保証なのです。
正しさを求めることが“防衛本能”になる
主人公は、正解を知りたいという欲求さえ、防衛本能だと考えます。
正しい道が分かれば、失敗を避けられます。
音楽を続けることが正しいと証明されれば、不安に耐えられる。
反対に、辞めることが正しいと分かれば、夢を手放した自分を責めずに済みます。
しかし、人生には事前に保証された正解がありません。
主人公はそれを理解しているからこそ、正しさを求める自分まで批判します。
本当に知りたいのは正解ではない。
自分の決断によって傷つきたくないだけではないか。
この自己分析によって、彼はさらに身動きが取れなくなります。
愛や救いを否定するのも防衛本能
主人公は、愛、優しさ、救いのような言葉へ強い不信感を示します。
根拠がない。
簡単に信じるのは気味が悪い。
愛を歌う作品を素直に受け取れない。
しかし、それも愛を必要としていないからではありません。
信じた後に裏切られるのが怖いからです。
愛に確かな根拠がないなら、最初から信じなければ傷つかずに済む。
誰かに救われることを期待しなければ、見捨てられても失望しない。
主人公は、欲しいものほど価値がないと決めつけます。
それが彼の防衛本能なのです。
ラブソングを痛いと感じる理由
幸せな恋を歌う曲は、恋をしている人には祝福として届きます。
一方、愛を信じられない人には、きれいごとや自慢のように聞こえることがあります。
自分にはない幸福。
信じたくても信じられない関係。
それを当然のものとして歌われるほど、自分だけが人間らしい感情から外れているように感じる。
主人公がラブソングへ反発するのは、愛情そのものが嫌いだからではありません。
自分もそのような歌を書きたかったからです。
本当は愛を信じたい。
君と幸福な歌を作りたい。
しかし、それができない自分を認めたくないため、ラブソングの側を否定します。
幸せそうな人が憎い理由
主人公は、幸福そうな表情を見せる人へ強い嫉妬を抱きます。
これは、単に性格が悪いという話ではありません。
他人の幸福は、自分に足りないものを可視化するからです。
音楽で成功している人。
好きな相手と一緒にいる人。
自分の人生に満足しているように見える人。
その姿を見るたび、主人公は自分の失敗や空虚さを思い出します。
本当は相手が何を抱えているか分かりません。
外から幸せに見える人にも、苦しみはあるでしょう。
それでも、満たされていない主人公の心は、他人を一つの幸福な記号として見てしまいます。
劣等感が“化け物”になるまで
主人公の劣等感は、単なる向上心ではありません。
自分より優れた人物を見て刺激を受けるのではなく、自分の存在価値を否定する力へ変わっています。
才能がない。
売れない。
理想の音楽を作れない。
幸せにもなれない。
比較が続くほど、劣等感は本人の意思では制御できないものになります。
そのため主人公は、頭の奥へ棲みつく化け物のように感じているのでしょう。
化け物を消すため、音楽そのものを辞めようとする。
競争の場から降りれば、もう比較しなくて済む。
しかし、音楽を辞めても、劣等感まで消えるとは限りません。
問題は音楽だけでなく、他人の価値によって自分を測る習慣にあるからです。
音楽では稼げないという現実
主人公は、音楽が経済的に報われにくいことにも触れます。
創作には時間がかかります。
練習、制作、録音、発表。
多くの労力を費やしても、生活できるほどの収入が得られるとは限りません。
好きなことを仕事にすれば幸福になれる、という言葉だけでは解決できない現実があります。
生活のために、作りたいものではなく、求められるものを作らなければならない場合もある。
評価される形式へ寄せる。
売れる題材を選ぶ。
主人公は、音楽を純粋な表現として愛したい一方、商品として扱わなければ続けられない矛盾へ苦しんでいます。
“売れること”を嫌いながら、評価を求めている
主人公は最後に、かつては売れるかどうかなど気にしていなかったと訴えます。
この言葉は、自分の純粋さを証明しようとするものです。
最初は君を書きたかっただけだ。
評価や収入のためではなかった。
しかし「昔は」と付け加えることで、現在は売れることを意識してしまっていると認めています。
聴いてほしい。
認めてほしい。
音楽で生きていきたい。
その欲望は、創作者として不自然なものではありません。
けれど主人公は、評価を求める自分を純粋ではないと責めます。
音楽を愛する気持ちと、音楽によって成功したい気持ちは共存できます。
主人公は、その両方を持つ自分を許せないのです。
歌詞は適当でもよいという言葉は本心か
主人公は、歌詞に深い意味などなくてもよいと投げやりになります。
しかし、この曲の言葉は極めて慎重に配置されています。
将来への不安。
幸福への嫉妬。
愛への反発。
音楽の商業性。
エルマへの執着。
彼が適当でよいと言いながら、誰よりも言葉へこだわっていることは明らかです。
自分が一生懸命書いたものを評価されなければ、深く傷つきます。
だから先に「適当だ」と言っておく。
本気ではなかったことにすれば、否定されても痛みを減らせる。
ここにも防衛本能が働いています。
ピアノを弾く癖が抜けない意味
主人公は、音楽を辞めたはずなのに、机へ触れると無意識に鍵盤を弾くような動きをしてしまいます。
これは、音楽が趣味や職業より深い場所へ根づいていることを示します。
頭では辞められる。
楽器を手放すこともできる。
しかし、身体が音楽を覚えています。
長く続けたものは、技術だけでなく、物の見方や動作へ入り込みます。
雨音にリズムを感じる。
言葉を聞けば韻を探す。
机の上で旋律を奏でる。
音楽をしない自分になりたいと願っても、音楽を知る前の身体へは戻れません。
音楽を辞めることと、音楽家でなくなることは違う
演奏や制作をやめることはできます。
しかし、音楽によって作られた人格まで消すことはできません。
主人公は、音楽を辞めれば苦しみから解放されると考えています。
一方で、世界を音楽的に捉える感覚は残ります。
君を思えば言葉が浮かぶ。
感情が旋律になる。
自分の苦しみを整理するため、結局は歌を書いてしまう。
彼にとって音楽は、するかしないかを選べる活動であると同時に、世界を理解する方法なのです。
心に引いた“一本の線”とは
主人公は、心の中へ線を引き、あるものを切り離そうとします。
音楽をしていた過去と、これからの自分。
エルマへの愛情と、現在の生活。
理想と現実。
その間へ境界を作れば、前へ進めると考えたのでしょう。
しかし、感情は紙のように簡単には分けられません。
音楽を思い出さないようにするほど、音楽が意識へ残る。
君を忘れようとするほど、君の姿が濃くなる。
線を引く行為は、切り離すことではなく、むしろ線の向こう側にあるものを強く意識させます。
“心”から何を切り離そうとしたのか
曲を聴くと、主人公が切り離したいのは音楽だけではないように感じられます。
感情そのもの。
傷つきやすさ。
誰かを愛する心。
期待する心。
それらを切り離せば、劣等感も悲しみも消えると思ったのかもしれません。
しかし、人間は感情だけを都合よく捨てられません。
悲しみを感じないようにすれば、喜びも小さくなる。
失う痛みを避けるため誰も愛さなければ、出会う幸福も失われる。
主人公が音楽を辞めようとする行為は、心を守るため、心そのものを停止させようとする行為なのです。
年を取ることが怖い理由
主人公は、年老いていくことと死を強く恐れています。
若い頃には、未来が無限にあるように感じます。
いつか才能が認められる。
いつか理想の曲が書ける。
いつか君へ思いを伝えられる。
しかし年齢を重ねるほど、「いつか」に使える時間は減っていきます。
夢を保留にしている間にも、人生は進む。
何も成し遂げていないと感じるまま大人になった主人公は、将来を想像するほど空虚になります。
音楽を辞めることは、夢に失敗する可能性から逃れる方法でもあります。
挑戦しなければ、才能がなかったと証明されずに済むからです。
何もしていない自分への失望
子どもの頃に想像した大人の自分は、もっと明確な何かを持っていたはずです。
仕事。
夢。
愛する人。
自分なりの信念。
ところが実際に大人になると、主人公は何者にもなれていないと感じます。
これは、本当に何もしていないという意味ではないでしょう。
音楽を作り、旅をし、君を思い、言葉を書いている。
それでも、本人が思い描いた成果へ届いていないため、すべてを「何もしていない」と評価してしまいます。
劣等感が強い人は、積み重ねた過程ではなく、得られなかった結果だけを見ます。
主人公の空虚さは、人生に何もなかったからではありません。
自分が生きた時間を、自分で認められないことから生まれています。
なぜ人間全体へ怒りを向けるのか
主人公の言葉は、エルマや自分自身だけでなく、“人間”という大きな対象へ向かいます。
愛を語る人。
正しさを求める人。
幸福そうに見える人。
音楽を評価する人。
自分を理解しない人。
一人一人と向き合う代わりに、人間全体を愚かだと批判します。
これは、傷つけた特定の相手を憎むより簡単です。
人間など分かり合えない存在だと決めれば、自分が理解されなかった理由を説明できます。
しかし、主人公自身も人間です。
人間を否定する言葉は、そのまま自分へ返ってきます。
だから曲の怒りは、社会への批判であると同時に、激しい自己嫌悪でもあるのです。
「間違っている」と「間違っていない」の揺れ
主人公は、自分の考えが正しいと主張した直後に、間違っていることも認めます。
音楽を辞める自分は正しい。
いや、本当は間違っている。
人間や愛などどうでもよい。
いや、本当は誰よりも必要としている。
この揺れは、結論を出せない弱さではありません。
主人公が自分へ嘘をつき切れない証拠です。
音楽を辞めれば楽になる。
しかし、それが自分の望む人生ではないことも分かっている。
彼は、正しい答えが存在しない問題へ、正解を求め続けています。
最後に“信念”を持ち出す理由
曲の終盤で、主人公はかつて自分にも信念があったと振り返ります。
音楽を書きたい。
君を表現したい。
売れることより、本当に残したいものを作りたい。
その思いは、現在では塵のように小さくなったと感じています。
しかし、本当に消えた信念なら、思い出して苦しむことはありません。
小さくなっても、まだ残っている。
だから主人公は、かつての純粋さを必死に証明しようとします。
自分は最初から評価のために音楽を始めたのではない。
君を書きたかった。
その告白によって、曲の最後に本心が表れます。
音楽を辞めたのに、なぜ最後まで歌っているのか
この曲の最大の矛盾は、音楽を辞めたという宣言が、音楽によって届けられていることです。
音楽では伝わらない。
言葉には意味がない。
人生などどうでもよい。
そう言いながら、主人公は言葉を選び、旋律へ乗せ、エルマへ残します。
つまり、彼は音楽を否定するためにさえ、音楽を必要としています。
音楽を辞める理由を説明したいのではありません。
自分がどれほど音楽を愛し、どれほど君へ届きたかったかを、最後に理解してほしいのです。
「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽との別れの歌であると同時に、音楽にしか書けなかった最後のラブレターなのです。
表題曲がアルバムの最後に置かれた意味
アルバムでは、青年がエルマへ向けて作った楽曲や、旅の日付を示すインストゥルメンタルが続き、表題曲が最後に配置されています。
これは、最初から音楽を辞める結論があったのではなく、さまざまな感情を通過した末にたどり着いた決断であることを示しています。
君を描く。
街を歩く。
過去を振り返る。
音楽を憎む。
それでも再び歌う。
アルバム全体が、主人公の思考の軌跡です。
表題曲だけを聴けば、音楽を辞める青年の独白に聞こえます。
しかし全曲を通すと、その決断の直前まで、彼がどれほど音楽を書き続けていたかが分かります。
日付を冠した楽曲が示す“手紙の時間”
アルバムには「8/31」「7/13」「5/6」「4/10」という日付を題名にしたインストゥルメンタルが配置されています。
日付があることで、作品は抽象的な心情だけでなく、実際に過ぎていく時間の記録になります。
主人公は、ある一日に突然音楽を嫌いになったのではありません。
季節が変わり、旅をし、手紙を書き、少しずつ決断へ近づいていった。
そしてアルバムの発売日でもある4月10日を冠した楽曲の後に、表題曲が置かれます。
音楽を辞める宣言そのものが、エルマへ届けられる最後の記録として構成されているのです。
続編『エルマ』で変わる意味
2019年8月に発売された2ndフルアルバム『エルマ』は、『だから僕は音楽を辞めた』の続編です。
青年から送られた手紙に影響を受けたエルマが、彼の訪れた土地をたどりながら作った楽曲と日記という設定になっています。
この続編によって、青年の言葉が独り言ではなかったことが分かります。
エルマは彼の手紙を読み、音楽を聴き、彼の旅を追います。
青年は自分の音楽には意味がないと思っていたかもしれません。
しかし、その作品はエルマの人生と創作を動かしました。
音楽を辞めた人物が残した音楽によって、別の人物が音楽を始める。
ここに、作品全体の悲しくも美しい逆説があります。
青年が消えても音楽は残る
続編の楽曲では、エルマが青年を“自分にとっての音楽”として捉える場面があります。
青年は、売れることや評価されることを気にし、音楽の意味を見失いました。
しかしエルマにとって、彼の音楽は商品でも順位でもありません。
失った人へつながる道です。
声を思い出すための場所です。
青年が自分では無価値だと思った言葉が、別の人にとって生きる理由になる。
創作の価値は、作者本人だけでは決められないことが分かります。
MVの青年が表す“感情の空回り”
ミュージックビデオでは、青年がエルマへ対する感情や、音楽をめぐる葛藤に揺れる姿がアニメーションで描かれています。
映像の青年は、落ち着いて人生の結論を語っている人物ではありません。
考え続け、感情をぶつけ、同じ場所を巡るような印象を与えます。
歌詞の言葉も、理論的な順序では進みません。
将来への不安から、愛の否定へ移る。
嫉妬を語った後、君への責任転嫁をする。
音楽をどうでもよいと言いながら、昔の信念へ戻る。
この混乱は、主人公が答えを見つけたのではなく、答えを見つけられないまま別れを選んだことを示しています。
suisの歌声が生む距離
歌詞の語り手は青年ですが、実際に歌うのはsuisです。
男性の青年が書いた独白を、女性ボーカルが歌うことで、声の主体は一つに固定されません。
青年自身の声。
彼の手紙を読むエルマの声。
物語を外側から見つめる語り手の声。
複数の響きを感じられます。
また、透明感のある歌声と、歌詞にある怒りや自己嫌悪の対比も印象的です。
感情をそのまま怒鳴るのではなく、美しい旋律として届けられることで、主人公が否定した音楽の力が逆に証明されます。
「だから僕は音楽を辞めた」は夢を諦める歌なのか
夢を諦める人の気持ちへ重ねることはできます。
努力しても結果が出なかった。
生活のため、別の道を選んだ。
自分より才能のある人を見続けることに疲れた。
その選択を、外側の人が簡単に批判するべきではありません。
やめることが逃げではなく、自分を守るために必要な場合もあります。
ただし、本作は「嫌ならやめればよい」という単純な結論ではありません。
やめても、好きだった事実は残る。
身体に染み込んだ習慣も、夢を見た記憶も消えない。
主人公は、やめることによって問題を解決するのではなく、解決できない感情を抱えたまま音楽から離れようとしています。
何かを辞めても、失敗とは限らない
音楽を辞めた。
仕事を辞めた。
夢を諦めた。
関係を終えた。
その言葉には、失敗の印象が付きまといます。
しかし、辞めることによって生き延びられる場合があります。
別の道を選ぶことで、自分を取り戻せる場合もある。
問題は、辞めることそのものではありません。
自分が本当に望んで辞めるのか。
傷つくのが怖くて、本心を否定しているのか。
主人公は、その違いをまだ整理できていません。
だからこそ、曲は結論ではなく葛藤として響きます。
現代の創作者へ響く理由
現在は、作品を発表すると数字が目に入ります。
再生回数。
評価。
登録者数。
ランキング。
反応の速さ。
以前より多くの人へ届けられる一方、他人との比較から逃れにくくなりました。
純粋に作りたかったものが、数字によって成功と失敗へ分類される。
評価されない作品は、存在する意味がないように感じる。
「だから僕は音楽を辞めた」の主人公が抱く劣等感や、売れることへの嫌悪は、音楽家だけの問題ではありません。
文章、絵、動画、写真など、何かを作るすべての人へ重なります。
評価されたい気持ちは不純なのか
作品を多くの人へ届けたい。
認められたい。
創作で生活したい。
それらは、表現を汚す欲望なのでしょうか。
主人公はそう考え、自分を責めています。
しかし、誰にも見せる必要がないなら、作品を発表する必要はありません。
届けたい相手がいる。
反応がほしい。
その思いも、創作を始める理由の一つです。
大切なのは、評価を求める気持ちがあることではありません。
数字だけによって、自分が本当に書きたかったものを見失わないことです。
主人公は、君を何度も書いたという原点へ戻ることで、最後にそのことを思い出します。
「だから僕は音楽を辞めた」に関するよくある疑問
「だから僕は音楽を辞めた」はどのような歌ですか?
才能への劣等感、将来への不安、音楽の商業性、エルマとの関係に苦しむ青年が、音楽を嫌いになったことにして、自分を守ろうとする歌です。
主人公は本当に音楽を嫌いになったのですか?
嫌いになったとは考えにくいでしょう。辞めたはずの楽器を弾く動作が身体へ残り、最後まで音楽によってエルマへ語りかけているからです。
音楽を辞めた本当の理由は何ですか?
一つではありません。才能への劣等感、評価や収入への葛藤、将来への恐怖、エルマを失った空虚さが重なっています。
エルマとは誰ですか?
アルバムの主人公である青年が、手紙や楽曲を送った女性です。続編アルバム『エルマ』では、彼女が青年の手紙を受け取り、その旅をたどる物語が描かれます。
“君のせい”とは本当にエルマを責めているのですか?
責任転嫁だけではありません。エルマと出会ったことで愛や創作の喜びを知り、同時に失う苦しみも知ったという、感謝と恨みの混ざった言葉だと考えられます。
防衛本能とは何から自分を守っているのですか?
失敗、否定、失恋、愛を信じた後の失望などから、自分の心を守ろうとしています。価値を否定することで、大切なものを失った痛みを小さくしようとしているのです。
幸せな人を憎むのはなぜですか?
他人の幸福が、自分に足りないものを見せるからです。音楽、恋愛、人生のどれにも満足できない主人公の劣等感が表れています。
なぜ売れることを否定するのですか?
音楽を純粋な表現として続けたい気持ちと、評価や収入を必要とする現実が衝突しているためです。売れたいと思う自分を不純だと責めています。
心に引いた線にはどのような意味がありますか?
音楽をしていた自分と、これからの自分、あるいはエルマへの思いと現実を切り離すための境界だと考えられます。しかし、感情は線を引くだけでは消えません。
最後まで歌っているのに、なぜ音楽を辞めるのですか?
その矛盾こそが曲の中心です。音楽を否定するためにも音楽を必要としており、辞める宣言そのものが、エルマへ残した最後の音楽になっています。
アルバムはどのような構成ですか?
青年がエルマへ向けて作った楽曲と、日付を冠したインストゥルメンタルを含む全14曲で構成され、表題曲は最後に配置されています。
続編はありますか?
2019年8月28日に、続編となる2ndフルアルバム『エルマ』が発売されました。青年の手紙を受け取ったエルマが、彼の旅をたどる物語です。
いつ発売された曲ですか?
2019年4月10日発売の1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』へ収録されました。
まとめ|「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽を捨てられなかった人の歌
ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽への情熱を失った青年の歌に見えます。
主人公は、音楽に価値などないと言います。
稼げない。
歌詞の意味など適当でよい。
愛や救いにも根拠はない。
人生の正しさを考えても答えは出ない。
その言葉だけを受け取れば、音楽と人生へ完全に見切りをつけた人物のようです。
しかし、彼の身体は音楽を忘れていません。
辞めたはずの楽器を、無意識の動作で探してしまう。
エルマを思えば、言葉と旋律が生まれる。
音楽を否定するためにさえ、一曲を書いてしまう。
彼が捨てたいのは、音楽そのものではありません。
音楽を愛しているのに、理想どおりには生きられない自分です。
主人公は、純粋な気持ちで音楽を始めたかった。
売れるかどうかではなく、君を残すために書きたかった。
しかし、続けるほど現実が入り込みます。
生活するための収入。
他人からの評価。
才能の差。
年齢。
自分より幸福そうな人々。
音楽を愛していたはずの心へ、比較や損得が混ざっていく。
主人公は、その変化を堕落だと感じています。
けれど、評価されたいと願うことは、本当に不純なのでしょうか。
君へ届けたい。
多くの人に聴いてほしい。
音楽で生きていきたい。
その願いも、音楽を愛する気持ちと共存できます。
主人公は、複数の欲望を抱えた人間である自分を許せません。
純粋な芸術家か、金銭だけを求める人物か。
どちらかでなければならないと思い込みます。
その二つに分けられない自分を、彼は失敗だと感じるのです。
エルマへの気持ちも同じです。
愛している。
理解してほしい。
忘れたい。
君のせいにしたい。
すべて本心です。
どれか一つだけが真実なのではありません。
人は大切な相手へ、矛盾した感情を持ちます。
愛しているから腹が立つ。
出会えたことへ感謝しながら、出会わなければ苦しまなかったとも思う。
主人公が“君のせい”と繰り返すのは、彼女を憎んでいるからだけではありません。
自分の人生を変えるほど、彼女が大切だったからです。
主人公が人間や愛を否定するのも、信じる必要がないからではありません。
誰よりも信じたいからです。
愛に根拠がないことが怖い。
優しさが永遠ではないことも知っている。
それなら、最初から価値がないと決めればよい。
期待しなければ、失望しない。
その考えが防衛本能です。
しかし、心を守るために愛を否定すれば、愛によって得られる幸福も失われます。
音楽を否定すれば、失敗の痛みは避けられるかもしれない。
同時に、君へ届ける唯一の方法も失われる。
主人公は、その矛盾から最後まで逃れられません。
「だから」というタイトルは、明確な因果関係を示すようでいて、実際には不安定です。
理由をどれほど並べても、本当の結論には届かない。
才能がないから。
稼げないから。
将来が怖いから。
人が憎いから。
どれも理由ではあります。
けれど、根底にあるのは、音楽を愛し続けることに疲れたという痛みです。
好きなものが報われないとき、人は嫌いなふりをします。
本気ではなかったことにする。
最初から価値などなかったと言う。
そうすれば、かなわなかった夢に傷つけられずに済むからです。
主人公も、音楽へ背を向けようとします。
それでも最後に、何度も君を書いたことを告白します。
評価のためではなかった。
君を残したかった。
この告白によって、彼が忘れようとした原点が現れます。
音楽は、成功するためだけの手段ではなかった。
君と出会った自分が存在したことを、形へ残す方法だった。
だからこの曲は、音楽を辞める宣言でありながら、音楽への愛が最も強く表れた作品でもあります。
さらに続編『エルマ』では、青年が残した手紙と音楽がエルマへ届き、彼女を旅と創作へ動かします。
主人公は、自分の音楽には意味がないと思っていたかもしれません。
売れなかった。
理想どおりには作れなかった。
自分自身も救えなかった。
それでも、その音楽は一人の人間の人生を動かしました。
作品の価値は、作者本人の評価だけでは決まりません。
作った人が失敗だと思った言葉でも、受け取った人にとっては、生きるための光になることがあります。
「だから僕は音楽を辞めた」は、夢を諦めることを否定する歌ではありません。
辞めなければ壊れてしまうなら、離れることも必要です。
ただ、何かを辞めても、それを愛した過去まで嘘にする必要はありません。
続けられなかったことと、本気ではなかったことは違う。
結果が出なかったことと、作ったものに価値がなかったことも違う。
主人公は音楽を辞めようとしました。
しかし、音楽によって作られた自分からは逃れられません。
机に触れれば旋律を探す。
君を思えば、言葉が生まれる。
そして音楽を辞める最後の理由さえ、音楽として残してしまう。
ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽を嫌いになった青年の歌ではなく、才能への劣等感、売れることへの葛藤、エルマを失う痛みから自分を守るため、最も愛した音楽を否定しようとしながら、結局は最後の一曲まで君を書かずにはいられなかった人の歌なのではないでしょうか。


